しおりんの秘密の推し
穏やかな日曜日の午後、扇華は栞の家を訪れていた。二人は栞の部屋でのんびりとお茶を飲みながら、いつものようにアニメや漫画の話で盛り上がっていた。
扇華は何気なく尋ねた。
「ねえ、しおりん。最近ハマってるキャラクターとかいる?」
栞は少し考え込んでから答えた。
「うーん、いろいろかな」
扇華は栞の曖昧な返事に、何か隠しているのではないかと感じた。
「そっか。でも、特別好きなキャラクターはいるでしょ?」
栞は少し顔を赤らめながら、視線を逸らした。
「べ、別に……」
扇華はますます興味を持った。
「あれ?しおりん、顔赤いよ? もしかして、秘密の推しがいるの?」
栞は慌てて否定した。
「ち、違うよ! そんなの……」
扇華は楽しそうに笑った。
「ふふ、バレバレだよ。教えてよ、しおりん」
栞は困ったように部屋を見回した。
「う~ん、それは……」
扇華は優しく微笑んだ。
「大丈夫だよ。私、絶対に他の人には言わないから」
栞は深呼吸をして、小さな声で言った。
「……約束する?」
扇華は頷いた。
「もちろん。親友の誓いだよ」
栞は少し迷った後、ベッドの下から小さな箱を取り出した。
そっと開けると、中には一枚の古い写真が入っていた。
「これ……」
栞は少し躊躇しながらも、写真を扇華に見せた。
そこには、優しそうな目をした中年の男性が写っていた。
「えっ? アニメとか漫画のキャラクターじゃないの?」
栞は照れくさそうに説明を始めた。
「この人、20世紀の理論物理学者なんだ……」
扇華は驚きの表情を浮かべた。
「まさか、しおりんの推しって……物理学者?」
「これは……エットーレ・マヨラーナっていう物理学者なんだ」
栞は少し興奮した様子で説明を始めた。
扇華は首を傾げた。
「エットーレ・マヨ……ネーズ? 聞いたことないかも」
栞の目が輝き始めた。
「そうなんだ。彼はあまり有名じゃないんだけど、すごい人なんだよ!」
栞は熱心に語り始めた。
「マヨラーナは1906年にイタリアで生まれたの。彼は若くして天才的な才能を発揮して、量子力学の分野で重要な貢献をしたんだ」
「例えば、『マヨラーナ粒子』っていう、自分自身が反粒子になるような粒子の理論を提唱したんだよ。これ、現代の物理学でもすごく重要なんだ!」
扇華は理解できない部分もあったが、栞の熱意に引き込まれていった。
「それだけじゃないんだ」
栞は続けた。
「彼は原子核の構造について、当時としては革新的なアイデアを出したり、ニュートリノの質量についても先駆的な研究をしたんだよ」
「でも、彼の魅力は科学的な業績だけじゃないんだ」
栞の声はさらに熱を帯びた。
「彼には神秘的な一面があるの。1938年、まだ31歳の時に突然姿を消してしまったんだ」
扇華は驚いた表情を浮かべた。
「え? 消えた?」
栞は頷いた。
「うん。行方不明になって、そのまま二度と現れなかったの。彼の失踪については様々な説があって……自殺説や、隠遁説、はたまた南米に逃亡したという説まであるんだ」
「彼の天才的な頭脳と、その謎めいた人生……それに、若くして大きな業績を残しながら、突然姿を消すという運命……」
栞の目は遠くを見ているようだった。
「私には、彼の生き方がとても魅力的に感じるんだ」
扇華は優しく微笑んだ。
「へぇ、すごい人なんだね。しおりんらしい『推し』だと思うよ」
栞は少し照れくさそうに笑った。
「ありがとう、扇華。変な『推し』だと思われないかと心配だったんだ」
「ううん、全然」
扇華は栞の肩を軽く叩いた。
「むしろ、そんなしおりんの興味の広さと深さに感動したよ」
二人は微笑み合った。モウモウは二人の会話を不思議そうに見つめながら、栞の膝の上で丸くなっていた。
「しおりん、ありがとう。私に教えてくれて嬉しいよ」
栞は照れくさそうに笑った。
「う、うん。扇華にだけは、知ってほしかったんだ」
その後も二人は、栞の「推し」について語り合った。モウモウも二人の傍らで丸くなり、物理学者の写真を不思議そうに見つめていた。
部屋の中は、親友同士の信頼と、ちょっと変わった「推し」への愛で満たされていった。
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