しおりんの暗号解読タイム

 秋の午後、栞は部屋でゲームをしながらのんびり過ごしていた。そこへ扇華から LINE メッセージが届いた。


「しおりん、いま時間ある? ちょっと面白いものを見つけたの」


 栞は返信した。


「うん、暇だよ。何?」


 しばらくして、扇華が訪ねてきた。

 手には古びた手帳を持っている。


「ねえ、これ見て。おばあちゃんの家で見つけたの」


 扇華は手帳を開き、そこに書かれた奇妙な文字列を指さした。


「なんだか暗号みたいで。解読できないかなって」


 栞は興味深そうに手帳を覗き込んだ。


「へぇ……面白そう」


 栞はしばらく黙って文字列を眺めていた。突然、彼女の目が輝いた。


「あ、これって……」


 栞は急いで紙とペンを取り出し、何かを書き始めた。扇華は不思議そうに見守っている。


「ねえ、しおりん。何かわかったの?」


 栞は少し照れくさそうに笑った。


「うん、多分ね。これ、単純な換字式暗号みたいだよ。でも、ちょっとひねりが効いてる」


 栞は紙に書いたメモを指しながら説明を始めた。


「ほら、ここの出現頻度が高い文字は、おそらく『あ』とか『い』とか。それに、この3文字の繰り返しは日付を表してるんじゃないかな」


 扇華は目を丸くした。


「えっ、そんなのどうしてわかるの?」


 栞は少し考え込んでから答えた。


「うーん、なんとなく……パターンが見えるっていうか」


 扇華は感心したように栞を見つめた。


「すごいね、しおりん。私には全然わからなかったよ」


 栞の目が輝き始め、声が弾んだ。


「暗号って本当に面白いんだよ! 人類の歴史と共に発展してきた知恵の結晶なんだ。例えばシーザー暗号。これは文字をある数だけずらすという単純なものだけど、古代ローマで実際に使われていたんだよ」


 栞は紙に何かを書き始めた。


「それから、第二次世界大戦中に使われたエニグマ暗号。これは本当にすごくて、ローターを使って文字を複雑に置換するんだ。でも、アラン・チューリングたちの努力で解読されて、戦争の流れを変えたんだよ」


 扇華は栞の熱心な様子に引き込まれていった。


「現代では、コンピュータを使った暗号が主流になってるんだ。RSA暗号とか楕円曲線暗号とか……これらは数学的に解くのが難しい問題を利用していて、理論的な美しさがあるんだよ」


栞は少し照れくさそうに続けた。


「実は……私の『推し』の暗号もあるんだ。見てみる?」

「『推し』の暗号?」


 栞はノートを取り出し、複雑な記号の列を書き始めた。


「これはね、私が考案した暗号なんだ。フィボナッチ数列と素数を組み合わせて……」


 栞は熱心に自作の暗号システムを説明し始めた。

 その目は輝き、言葉は止まらない。


「暗号って、秘密を守るだけじゃなくて、人間の知恵と創造性の結晶なんだ。数学や言語学、コンピュータ科学が交差する美しい分野で……」


 扇華は栞の話の細部は理解できなかったが、彼女の情熱に心を打たれた。


「しおりん、本当に暗号が好きなんだね。その熱意、すごく素敵だよ」


 栞は少し赤面しながら微笑んだ。


「ありがとう、扇華。こんな話、普段はできないから……聞いてくれて嬉しい♪」

(しおりん、可愛い♪)


 二人は暗号の話題で盛り上がりながら、午後のひとときを過ごした。

 栞の目は輝き続け、扇華はその姿を優しく見守っていた。


 栞は少し赤面しながら、解読作業を続けた。

 30分ほどすると、ほとんどの文章が解読できた。


「ねえ、読めたよ。これ、おばあちゃんの若い頃の日記みたい」


 二人で解読された文章を読み始めると、そこには若かりし日の扇華の祖母の恋の物語が綴られていた。


 栞が解読した文章を、二人で読み始めた。


「昭和30年7月15日。今日、隣町から引っ越してきた青年と出会った。彼の名は佐藤健二。背が高くて、優しい目をしている……」


 扇華は目を輝かせながら聞いていた。栞は続けて読んだ。


「7月20日。健二さんは町の書店で働いているらしい。今日、偶然店の前を通りかかったら、彼が笑顔で挨拶してくれた。胸がドキドキして、顔が熱くなった……」


「8月3日。健二さんが好きな本の話を聞いた。夏目漱石の『こころ』だそうだ。私も読んでみようと思う。彼の好きなものを知りたい……」


 栞は時折扇華の反応を確認しながら、ゆっくりと読み進めた。


「8月15日。夏祭りで健二さんと一緒に花火を見た。綺麗な花火の下で、彼が私の手を握ってくれた。この夜のことを、きっと一生忘れない……」


 扇華はため息をついた。「なんて素敵……」


「9月1日。健二さんと図書館デートをした。彼は詩を書くのが趣味だと教えてくれた。そっと見せてもらった詩に、私の名前があった。嬉しくて、涙が出そうだった……」


「9月10日。健二さんのお父さんが病気だと聞いた。彼は心配そうな顔をしていた。力になれることがあればいいのに……」


 栞は読み進めるうちに、声が少し震えてきた。扇華も真剣な表情で聞いている。


「10月5日。健二さんが東京に行くことになった。お父さんの治療のため、家族で引っ越すそうだ。別れを告げられて、何も言えなかった……」


「10月10日。健二さんが去る前日、私に会いに来てくれた。『必ず戻ってくる』と約束してくれた。私も待つと誓った。手紙を書き続けよう……」


 栞は最後のページを読み終えた。


「そして、最後の日記。昭和32年4月3日。健二さんが戻ってきた。彼の腕の中で泣いてしまった。これからは一緒に……」


 読み終えた栞と扇華は、しばらく沈黙していた。


 扇華が小さな声で言った。


「健二さんって、これ……おじいちゃんの名前だ。おばあちゃんとおじいちゃんの出会いと別れ、そして再会の物語だったんだね」


 栞も感動した様子で頷いた。


「うん、本当に素敵な恋物語だね。二年も待ち続けて……」


 扇華は目に涙を浮かべながら微笑んだ。


「ありがとう、しおりん。おばあちゃんの若い頃の思いを知ることができて、本当に嬉しいよ」


「いいよ、あたしも楽しかったし。それに……」


 栞は少し考え込んでから続けた。


「暗号って、人の心を守るためのものでもあるんだね。おばあちゃんの大切な思い出を、こうして守ってきたんだ」


 扇華は優しく微笑んだ。


「そうだね。しおりんらしい言葉だよ」


 二人は、解読された若き日の恋物語に思いを馳せながら、穏やかな午後のひとときを過ごした。モウモウも二人の傍らで丸くなり、静かに眠っていた。

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