第11話 金仮面-デウラトゥス-

 俺は全速力で洞窟内を駆け抜けていた。


 きっとこれまでの短い人生における最速記録を更新しているに違いない。それくらいの必死さで、極悪非道な大人たちから逃げていた。


(やべぇ! やべぇ! やべぇ! 金玉狙われて次は目ん玉かよ! 流石に生きたままくり抜かれんのマジやべぇって!)


 金玉の件については完全に自業自得ではあるが、目ん玉の件は不可抗力すぎる。


 いや、よく考えもせずにあの怪しいおじさんについていけば、そりゃこうなるか。でも、あの時はすげー腹減ってたし、食わねーと動けなくなるしで、結局あれ以外の選択肢はなかったよな?

 といった具合に脳内で様々な思考が巡る中、光が差す洞窟の出口が見えてくる。


「出口だ! ハッ……ハッ……ハァッ!」


 暗い洞窟から明るい第二層に出たことで目がくらむが、速力を落とさずにそのまま突っ走る。

 とにかく、少しでも遠くに逃げて、他の冒険者に助けを求めるしかない。追っ手を振り切るためにごつごつとした道なき道を進み、樹々の間をすり抜けるように走る。


 しかし、現実は非情だった。


「ぐぁッ! ぐふッ!?」


 背中に衝撃を感じたのと同時に、俺はうつ伏せで地面に押し倒された。


「やっと捕まえました。しかし、今回の仕事はイレギュラーばっかりでうんざりしますねぇ……」


 俺の背中に乗っているのは恐らくスキンヘッドのベス。抜け目なく俺の両腕を拘束していた。


「離せッ! 離しやがれぇ~ッ!!」

「暴れても無駄です! 大人しくしなさい!」

「誰かぁッ! 誰か助けてくれぇェエエエーーー!!」

「えぇい、往生際が悪いで――」


 次の瞬間、カランカランカランという骨の音が聞こえたと思ったら、ふっと背中に乗っていた重みが消え去る。同時に腕の拘束も解けたので、仰向けに寝返りを打つように起き上がると、そこには――誰の姿もなかった。


「は? え? はあ?」


 「一体、何が起きたんだ?」という困惑で俺の脳みそが埋め尽くされていた。


 一応、俺は頭を振ってもう一回周囲を見渡す。

 けど、どこにもスキンヘッドのおじさんはいない。たった一瞬で、跡形もなくどこかへと消失してしまったのは確実だった。


「よくわかんねーけど……助かったみてーだな」


 そう呟きながら立ち上がる。


 それからベスに押し倒されて、体のどこかを痛めてないかを確認し、再び逃げようと振り返った時だった。


「いいや、お前はここで死ぬんだ」


 ラークが通せんぼをするように立っていた。


 俺が逃げようと背後を振り返ると、そこには息が荒いゲロッグの姿。背中には俺が脱ぎ捨てたバックパックを背負っていた。

 のっぽのおじさん――ビーロンはいないが、俺の退路は完全に断たれてしまった。


「くそッ……囲まれちまった」


 ラークは周囲を確認しながら、俺に聞く。


「おい、ベスはどうした? 俺より先にお前を追いかけていたはずだが……」

「し、知らねー! よくわかんねー内に、急にいなくなったぜ」

「いなくなった?」

「ど、どっか小便でも行ってんじゃねーの? 知らねーけど……」


 そう言ってすっとぼける俺だったが、当然ラークは疑いの眼差しで俺を見ていた。


「どうやら、本当に何も知らないらしいな。くそッ……ベスのヤツ、しくじりやがったか? まあいい。ベスの事は一旦忘れるとして、さっさと仕事を済ませるとするか」


 その直後、ラークの体がふっとぼやけるかのようにぶれた。


「がッ!??」


 気が付けば、俺は仰向けの状態でラークに馬乗りされていた。


(速すぎて何も見えなかったッ……)


 同時に、俺の両腕はラークの脚でガッチリと拘束されていた。

 そのあまりの早業に、俺はただ驚くことしか出来なかった。


 これが銀等級冒険者の実力なのか。


「ッ……ッ――」


 俺は地面に押し倒された衝撃で肺の空気が抜けて、呼吸困難で無様にもがくしか出来ずにいた。


「さて、万が一にも目撃されるわけにはいかないからな、ゲロッグ! 周囲を見張ってろ」


 そう指示するラークの手には、解体用の小型ナイフが握られていた。


 ラークは俺に視線を戻して、怪訝そうに言う。


「ん? 何でこんなことするんだって顔してるな。いいだろう、どうせ最後だ。冥途の土産に教えてやる。俺らのスポンサーを務める貴族様は、小人族ピースリングスの特殊な瞳に大層ご執心でな? お抱えのノブレスファミリーに……小人族の瞳を狩らせてるのさ」

「そッ……そん、な……のッ――」

「――あぁ許されない。もしバレたら、貴族様も俺たち冒険者も終わりさ。だが、バレるなんてあり得ない……だって、この世界を支配している権力者だぜ? お得意の金と権力でもって揉み消すに決まってるだろ?」


 その言葉を聞いて、俺は強い怒りを覚えた。


 沸々と沸きあがる憤怒が貴族なんてクソくらえ、権力者なんて死んでしまえと頭の中で叫んでいた。一方で、そう話したクソ野郎の顔に感情は感じられない。全くの無。無表情だった。


 すると突然、クソ野郎の表情が歪んで口が弧の字を描き、醜悪な笑みを浮かべ始める。


「あぁ、お前の瞳は今まで一番美しいぞ……ッ!? なんてったって、竜人族ドラゴンメイドの始祖クレハお墨付きなんだもんなぁ!? クックック、これならきっと、あのクソジジイも満足するはずだッ! そうすりゃ、きっと自由が手に入るッ……ハハハ、やったぞ、お父さんはやったぞ! カーラぁあああーーーッ!! ハァアアアーーーハッハッハァアアア!!!」


 この様子だと、もはや正気は完全に失っているみたいだ。きっと命乞いをしたとしても、時間稼ぎにすらならないだろう。もちろん、力で足掻いても無意味だ。


 つまり、俺が置かれたこの状況は――完全な詰み。


 とうとうラークが俺の右目を閉じないように強引に開くと、ゆっくりとナイフを眼前に近づけてくる。


「やめッ……ッ!?」


 俺は生きたまま目をえぐられる痛みを想像して涙を流す。

 俺の心を燃え盛る憤怒とほの暗い恐怖が支配していた。


 カランカランカラン。またあの音が周囲に響く。それを聞いて、ピクリとラークの手が止まる。


「ん?」


 周囲を見渡したラークだったが、特段変わった様子はなし。ただ不穏な気配は感じ取っているのか、側に居るはずのゲロッグに声をかける。


「ゲロッグ! おい、ゲロッグ!!」


 返事はない。


「返事をしろ! 返事をしないか、ゲロッグ!!」


 ベスと同じくまた突然、姿がかき消えていた。


 銀等級冒険者とはいえ、この状況は怖いらしい。さっきの無表情とはうってかわって、ゾッと恐怖におののいた顔をしていた。


「くそがッ! はッ早く目玉を回収しねえと!」


 再びナイフが眼前に近づく。しかし、眼前に向かって近づいていたはずのナイフが何故か――遠ざかっていた。

 というか、ラークの体自体が不自然に空中へと浮き上がっていた。


 でも、ラークを持ち上げる敵の姿はどこにも見当たらない。背筋を伸ばした直立不動の態勢で、動かせるのは辛うじて首と手足の先だけのようだった。


「うッ動けねえッ!? なッ何が……一体、何が起きてやがるんだぁあああッ!??」


 ラークがそう叫んだのと同時に、正体不明の化け物が姿を現す――本来、何もなかったはずの場所から。


(あぁ……綺麗だ)


 俺は目の前の化け物を見上げながら、こう思った――美しいと。

 何なら、まるで一目惚れかのように見惚れてしまっていた。そこに恐怖心や忌避感は一切なかった。


 そいつは黄金の仮面を被った四足歩行の怪物だった。

 ちょうどラークの頭上にある黄金の仮面。それに象られているのは慈悲深い女神の笑み。また仮面同様に黄金の鱗に覆われた巨体は、ゆうに20mはあるかもしれない。


 その美しい黄金の鱗に木漏れ陽が反射して、キラキラと神秘的な輝きを放つ。


(もしかして、ドラゴン? しかし、こんな目立つやつが一体どこから現れた? まさか透明化してた?)


 多分だけど、体を透明化して周囲の景色に溶け込む能力なんだろう。

 ただ、消すことができるのは自分の姿だけだと思う。そう思った理由はさっきから鳴っていたカランカランカランという音。あれはこいつが出していた音だったんだ。


 つまり、自分が出した音は消せないらしい。


 次の瞬間、バキバキバキッとラークの全身の骨が折れる音が周囲に響く。


「あッ……あがッ、あがァアアアーーーッ!??」


 ラークの体を締め上げていたのは、黄金の鱗が輝く立派な竜尾。細長いそれはまるで蛇のように体をグルグル巻きにしていた。


 ここで、俺はようやく怪物の全身像を捉える。


(なんて……おぞましい姿なんだ)


 気づけば、ぞわっと全身に鳥肌が立っていた。


 大蛇の様な太く長い胴体に比べて、不釣り合いなほど細く短い四本脚。仮面の下部には大人を丸呑みできそうな大口。それが口角を上げて歪んだ笑みを浮かべているのが、無性に気味が悪かった。

 また後頭部から背中、尻尾までを老婆の様な長く白い髪が覆う。そこには、背骨が丸々付属した人間の頭骨がいくつも結び付けられていた。これがぶつかりあうことでカランカランカランという音を出していたんだ。

 そして、その中には――ベスとゲロッグの頭部もあった。


「あぁ、あぁあぁあああ、あッ、あり得ねえッ……本来、黄金の、扉の奥に……いるはずの守護者が、金仮面デウラトゥスがッ……なッ、なんで外に出てやがるんだッ! それに、とッ、透明化だとッ……そんなの聞いた事――ぐぁァアアアアーーーがふッ!!!」


 ラークの口から大量の血が噴き出していた。

 恐らく、助からないであろう量の血が。


 黄金の怪物、金仮面デウラトゥスが大口をパカッと開く。

 現れたのは整然と並ぶ真っ白な歯。どこか不気味さを感じる白い歯でがぶりとラークの首を挟む。


「やめッ……やめてッ! かッ、家族が待っているんだ! おねがッあッ、あがッ……カーラァアアア!!!」


 グググッとラークの首は上に伸びていき、あまりにもあっけなく――背骨ごと引っこ抜かれてしまった。

 その惨劇は逆光になって見えなかったが、わずかに残った俺の精神をすり潰すのに十分な凄惨さだった。


 金仮面デウラトゥスは大口を三日月に歪ませながら、不気味に笑う。


「ゲッゲッゲッゲッゲッゲッ――」


 突然、金仮面デウラトゥスの顔がグググッと俺の顔に肉薄する。

 その黄金の仮面は鏡のように俺を反射していて、恐怖に慄いた俺の顔が映っていた。


(これが……俺の死に顔か)


 その時、鏡面と化した黄金の仮面の中に、何かが反射して映り込む。

 かろうじて人影であることはわかるものの、姿形や性別、人相などはわからなかった。だが、確実に俺の背後に誰かがいる。


 そいつは圧倒的な存在感とプレッシャーを放っていて、俺の背中がピリピリと焼けるように熱かった。


「ゲギャッギャギャギャッ! ギャッギャッギャッ!」


 金仮面デウラトゥスの興味が俺の背後の人影に向く。

 それからそいつを追うようにして、遠ざかっていく。カランカランカランという骨の音と共に。


 やがてその音が消え去ったことで、もうここに黄金の怪物はいないんだとわかり、俺の口からポツリと言葉がこぼれる。


「たッ……助かったのか?」


 気づけば、全身は汗と返り血でぐっしょりと濡れていた。

 いつの間にか体力を消耗していたのか、全身を酷い倦怠感が包み、腰が抜けて脚に力も入らない。


「にッ、逃げなきゃいけねーのにッ……」


 目ん玉を生きたままくり抜かれるという危機が去ったこと。おぞましい黄金の怪物が引き起こした惨劇。それに加えて命が助かったという安堵が、俺に休息を要求する。


 そして、そこで俺の精神は限界を迎え――俺は意識を手放した。

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