第8話 氷の魔界【ディオ・ラ・レヴナ】

「それでゼファー少年。氷の魔界【ディオ・ラ・レヴナ】について、説明は必要か?」


 銀等級冒険者ラークがゼファーに話しかける。


「頼むぜ。俺ァ、なぁんも知らねーからさ」

「なんで何も知らねえくせに、堂々と威張ってんだよ」


 おっさん冒険者四人組パーティーとそのポーターを務めるゼファーの合計五人は、氷の魔界【ディオ・ラ・レヴナ】に繋がる大階段を下りている最中だった。


 直径数百mの大穴に作られた巨大螺旋階段。それに絡み付くように、巨木の木の根が至る所に根を張って、まるで蜘蛛の巣のように陣を形成していた。その補強のおかげか、数万人が同時に階段を下りても大丈夫なくらい、頑丈で堅牢な作りになっていた。


「ふむ、じゃあ……今から行く第一層と第二層についてだけ、話しておこうか」

「おう、助かる」

「氷の魔界って仰々しい名前がついてるが、実際のところ……第一層と第二層は川や湖、森林や樹海が広大に広がる自然豊かな世界なんだ。氷らしい世界が広がるのは第三層以下からなのさ」

「え? 氷の魔界っていかつい名前のくせに、自然豊かなの……?」


 スキンヘッドのベスがラークの説明を補足する。


「大昔は第一層や第二層も、深い雪原と厳しい凍土が支配する氷の世界だったそうです。しかし、人間が魔界を攻略し、魔物を殺し続けた結果、自然豊かな領域が広がってきた……らしいですよ?」

「それって最近?」

「えぇ、だいたい百年ほど前に今みたいになったようです」

「ふぅ~ん、そういやこの魔界って第何層まであるんだ?」


 ラークは顎に手を当てながら、記憶を探る。


「えっと確か……ここディオ・ラ・レヴナの最高到達階層は第十層だったか。どうも、それより下の階層は人間が瞬間冷凍しちまうほど寒いみてえで、どうやっても進めねえらしい」

「じゃあ、もっと深い可能性もあるんだ?」

「あぁ。だが魔界を研究している学者によれば、最大でも十三層程度らしいぞ? 何でも、一階層降りるごとに土地の面積が大体四割くらい減ってるのがその根拠、だそうだ」

「う~ん……難しい話は俺にはわかんねーや」

「おい、ったく……自分から聞いてきたくせに」


 呆れた顔のラークがため息をついていた。気を取り直して、そのまま話を続ける。


「じゃあ、食べるのが好きそうなゼファー少年にちょうどいいことを教えてやる。実は、第一層には魔物や魔獣はいなくてな、農業や畜産ができるくらい安全なエリアなんだぜ、びっくりだろ? この巨大都市が銀砂漠の海に囲まれるような辺鄙な場所にあっても、大勢の人間が温かくて旨い飯が食える理由はこの豊かな自然のおかげが半分。もう半分は、世界の台所である聖王国ソル・ティースからの食料輸入によって賄われている」


 二人の会話に割り込む様に、ビーロンがゼファーに問いかける。


「地上では金さえあれば飢えねえが、金がねえ奴はどうすると思う?」

「え、う~ん……人のもんを奪う?」

「ほう、中々に意地汚ねえ答えだな。正解は魔界第一層で自給自足だ」

「え、マジ?」

「あぁ、マジだ。魔物や魔獣がいねえ安全な場所だからこそ……行き場のねえ奴らにとっちゃ楽園なんだろうな。だからこそ、第一層にスラムなんてもんがあるのさ」

「まじかよ……陽の光が届かねー場所が、そんなに居心地いいとこなんか?」


 長かった巨大螺旋階段の出口が見え始め、そこから明るい光が漏れていた。


「え? 何だあれ? 何か光ってるけど……?」


 先頭を歩くラークが答える。


「ただ話を聞いてても実感がないだろ? 百聞は一見に如かずっていうし、実際の光景は自分の目で見て確かめるんだな。そら……氷の魔界、ディオ・ラ・レヴナ第一層に到着だ!!」


 巨大螺旋階段の出口から外に出ると、そこは小高い丘の上だった。

 頭上に見える岩肌まではおおよそ10mと低めの天井、背後には反り立つ岩壁。また階段のある小高い丘を起点に地形は扇状に広がっているので、左右に広く視界が開けていた。

 その上、段々畑のように降っているため、高低差も凄まじい。


 つまり、魔界第一層は奥に行けば行くほど上下左右に広くなる地形であった。


 だからこそゼファーの目の前には、広大な世界を上から見下ろす構図で絶景が広がっていた。


「うッわぁ~~~ッ!? なんつー広さッ! それに高低差もすげーッ! ん? そういや……何で地下なのに明るいんだ?」

「クククッ……今からそんな大げさに驚いてたら、この後……体力が持たないぜ、ゼファー少年?」

「はあ? いったい、どういうことなんだよ」


 そう聞き返すゼファーに、ラークが前方正面、第一層の中央部分を指さす。

 そこには巨大な穴が開いて、大量の水が下の階層に流れ落ちていた。


「俺たちが今から向かうのは、この第一層の中央にある――大瀑布ハイ・シオンだ」


 大瀑布という名の通り、遠く離れたこの場所までゴゴゴーッという大量の水が流れる轟音が響き渡る。


 ただただ目の前の光景に圧倒されるゼファーは自然ってすげえな、という表情で遠くの光景を熱心に眺めていた。

 そんな彼に、ラークがこれから具体的にどうするのかを告げる。


「今発見済みの五つの黄金の扉は、どれも正規ルートである階段の近くに点在している」


 ラークが言う正規ルートの階段とは、魔界第二層に降りるための正式な移動経路である。大多数の冒険者はこれをたどって魔界第二層へと降りることになる。


 ラークの話はまだ続く。


「しかし、この人の多さだ。馬鹿正直に正規ルートを辿れば……恐らく順番待ちで日が暮れちまうのは避けられない。だから、俺らは階段には向かわない」

「はあ? 階段に向かわない? じゃあ、どうやって第二層に降りんの?」

「ショートカットする」

「んん? ショートカット?」

「まぁ、行ってみりゃわかる」




   §    §    §




 歩き続けること三時間弱、氷の魔界【ディオ・ラ・レヴナ】の第一層中央にたどり着いたゼファーたち一行。


「うぉおおお! すっげぇ!」


 ゼファーの目の前には円形状に巨大な穴が開いていた。そこに大量の水が流入し、いくつもの滝が第二層へと落下。水は途中で霧状になり、白いカーテンとなって第二層上空を漂っていた。


 第二層の中央にも同じく巨大な穴が開いているが、その先は暗闇に支配されて底は伺い知れない。自然が作り出したあまりに雄大な光景に圧倒され、じわじわとゼファーの全身に歓喜が駆け巡る。

 それはきっと、彼が世界を祝福し、世界に祝福されたことの証。


 今この瞬間――ゼファーは生を実感していた。


「世界ってこんなに綺麗なんだなあ……」


 ゼファーが圧倒された巨大穴、大瀑布ハイ・シオン。

 奈落のような深さは見たもの全員に畏怖を抱かせ、その轟音はお腹に響いて足をすくませる。人という存在があまりにも矮小に感じてしまうほど、圧倒的な存在感を誇っていた。


「まさかとは思うんだけどさ……ここに飛び込むんじゃねーよな?」


 ゼファーが何気なく放った言葉に、ラークが答える。


「あぁ? 何だって!?」

「ここに飛び込むんじゃねーよな!??」

「聞こえねぇーよッ!??」


 大瀑布の轟音のせいで会話すらままならない有り様であった。


 そんな中でも、真ん丸と太った肥満体型のおっさん――ゲロッグが粛々と準備を始めていた。

 彼はゼファーが背負ったバックパックから更に巨大な樽を取り出すと、ゼファーにこっちにこいとジェスチャーする。


「……? ……?」


 自分を指さし「俺?」という顔をするゼファー。

 それに対し、うんうんと頷いてジェスチャーで返すゲロッグ。


 ゼファーが疑問を抱きながら近づくと、樽側面に付いた固定具をゼファーの体につけだした。その対面ではラークが、瘦せ型高身長のおっさん――ビーロンに同じ固定具を装着していた。


 ゼファーに固定具を装着し終わったゲロッグはたどたどしい言葉と、ハンドジェスチャーで説明する。


「俺たち。滝壺、飛び込む。パラシュート、ボン。第二層、着地。以上」


 ボンというセリフと共に手のひらを開くジェスチャー。どこか可愛らしさを感じるその表現が、ぶっ飛んだ現実感を緩和していた。


「やっぱ飛び込むんじゃねーかよ!?? 嘘だろ……お前ら全員、正気かよお~ッ!?」


 ゼファーの叫びは誰にも届かない。

 なぜなら、このパラシュートショートカットはラークたちのような銀等級冒険者の間では、割と常識レベルで流行しているからだ。

 これは主に二階層より下の三階層以下へと短時間で直行するために生み出された技術である。本来だったら二階層程度には使わない技術ではあるが、とある思惑のために急遽ラークが用意させたようだ。


 全員が固定具を装着し終わると、男たち五人は巨大な樽をそれぞれの体で挟む形で向かい合う。


 ラークがちょうど横にいるゼファーに息を吸い込めとジェスチャー。その通りにゼファーが息を吸い込んだ瞬間、ゲロッグが杖を片手に魔法を発動する。


「ウォーターボール!」


 起動キーワードである魔法名を唱えた後、五人を丸ごと覆うほどの水の大玉が頭上に出現。あっという間にザバンッと包み込まれた。


「がぼごぼげぼっ」


 ゼファーただ一人が慌てふためく中、なんとその状態のまま、ぴょんと巨大な滝へとダイブ。体がフワフワと浮くような浮力を感じながら急降下。


「がぼがぼごぼぼぉおおおおーーーッ!!!」


 ざぶんと滝に飲み込まれ、上下左右がわからなくなるほど攪拌かくはんされる一行。


「ごぼごぼごぼッ!!」


 そのまま十数秒間落下しつづけ、突然ギュンっと横方向に急激な重力が発生。水の大玉がパァンと弾けて気が付いたら、自分の頭上に森が広がっていた。


「うッ……うわぁぁあああああーーーッ!??」


 天地がひっくり返り、地面へと真っ逆さま。ぐんぐんと地上が迫ってきていた。


 現在、ゼファーたちはというと、人が豆のように見える天高き空中にいた。


「今だッ!?」


 ラークの合図と共に、バンッと樽の蓋が開いて巨大な落下傘が飛び出してきた。


 パラシュートのおかげで、ゼファーたちは急激に失速し、ふわふわと空中を漂う。


「うぉぉおおオオオーーーッ!! 俺、空飛んでるぅゥウウウーーーッ!!!」

「はっはっは! どうだ、ゼファー少年!? 楽しんでるかぁーーッ!?」

「最高だぜえーーッ!!」


 こんなスリル満点な状態だ。年若く好奇心旺盛なゼファーが落ち着けるはずがない。

 彼は忙しなく上下左右に頭を振って、周囲に広がる絶景を目に焼き付けていた。


 まず上を見上げるゼファー。そこには大穴の周りを起点につららのように密集した薄水色の結晶が、淡い白光を放っていた。それが天井岩肌の広範囲に広がることで、本来暗闇で支配されるはずの地下が光溢れる空間に。

 つまり、陽の光が届かないはずの地下に光が溢れていた訳は、あれが太陽の代わりを務めているからこそであった。


 次は左右。遠くにぼんやりと外壁が反りたち、ゴツゴツした岩肌がぐるりと一周していた。

 ゼファーの周りには薄く雲が広がり、第二層も相当広いことがわかる。


 最後は下だ。魔界第一層と同様に、階段付近から奥に広がる地形となっていた。階段がある小高い丘からは魔界第一層から降りてくる大勢の冒険者の姿が見える。

 またラークから聞いた話の通り川や湖、森林や樹海が鬱蒼と広がっていた。


 大体を鑑賞し終わった後は、もうこのまま着地するだけ。

 しかし、足元は緑が生い茂る樹海なせいで地面が見えない。


「うわぁあぁあああッ!?」


 ゼファーたちは木々の枝をバキバキと折りながら、地上へと激しく強硬着陸。不幸中の幸いにも、ある地点で落下傘が木に引っかかって、ブラブラと宙づり状態に。無様極まる有り様ながらも、何とか無事に第二層へと到着した。


 一つ補足をしておくと、パラシュートが破損してしまったのはラークにとって完全に誤算であった。本来使われる第三層であれば、広範囲にクッションとなる雪が積もる雪原が多いのでこうして壊れることはなかった。


 痛い出費ではあるものの、このざまでも銀等級冒険者らしく、落ち着いた様子でテキパキと手際よく固定具を外していた。

 一方で、何もかも素人なゼファーは外し方が分からず、一人もたもたと固定具と格闘。

 それを見かねたビーロンが固定具の紐部分を戦斧で切断すると、


「ぐえぶッ!??」


 という汚い声を上げながら、ゼファーは不格好な態勢で地面とキスをしていた。


「ついたぜ、ゼファー。ここが第二層だ。ここは第一層と違って、魔物や魔獣が出るから十分気を付けるんだぞ」

「おッ……おう」


 ラークに返事を返しながら、ゼファーは服に付いた土ぼこりを払う。

 それから気休め程度ではあるが、なけなしの全財産をはたいて買った粗末なナイフを取り出していた。


 ここは樹海のど真ん中。歪に隆起した地面に太くうねった木の根が走る。また木の上ではネズミの様な小動物がゼファーたちを見下ろし、森への侵入者に対して小鳥たちがさえずりで歓迎していた。

 辺りは薄暗く、葉っぱの隙間から降り注ぐ木漏れ日だけが頼り。背の低い草や岩などの障害物も多いため、死角も少なくない。魔物や魔獣といつ不意の遭遇をしてもおかしくはなかった。


 ゼファーから遅れること少し、ラークたち銀等級冒険者も武器を手にする。

 ラークは長剣を、ビーロンは戦斧を、ゲロッグは杖を、ベスは弓を。


 実は冒険者には職業型ジョブタイプというものが存在する。

 ただこれは個人が持つ能力をわかりやすく表し、分類するためのものにすぎず、ステータスやスキルという恩恵は存在しない。

 一応、他にも自己紹介時の分かりやすさのために設定されたプロフィールという一面もあるにはあるが、所詮ただの称号である。それ以上でもそれ以下でもない。


 それぞれに設定された職業型ジョブタイプはラークが剣士ソードマン、ビーロンが戦士ウォリアー、ゲロッグが魔術師メイジ、ベスが弓使いアーチャー

 そして、ゼファーは荷物持ちポーターである。厳密には闇ポーターではあるが。


 周囲を軽く確認していたラークがゼファーたちの下へと戻り、これからの予定を告げようとした時だった。


「ん? これは……魔法による爆発音か?」


 遠くで他の冒険者が戦っているのか、ボボン、ボボンと連続した爆発音が遠くからしていた。

 それに続いて、複数人の断末魔のような悲鳴が轟く。


「どうする、ラーク? 声の感じからして、だいぶ切羽詰まってそうだが……」


 ビーロンがラークにそう尋ねた。


「今更……聞かなかったことにするわけにもいかないだろう。それに同業者に恩を売っておけば、いつか役に立つかもしれんしな。皆、いくぞ」


 こうして、ラークたち一行は薄暗い樹海の中、戦闘音の下へと向かうことになった。

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