第二章 神様
2日目の朝 灰谷ヤミの目覚め
刑務所の朝は早い。
6時には点呼が始まって、7時30分には朝食が運ばれてくる。消灯時間も21時と早いから、朝は何の苦も無く目覚めることができる。こんな規則正しい生活を続けていたら、多分長生きができるだろう。死刑囚にこんな健康生活を強いるなんて、皮肉な話だと思う。
……といっても、看守によって点呼が行われていたのは、この『特別棟』に移されるまでの話だ。
ここに来て5日経つが、独房の扉はまだ一度も開けられていない。僕は未だに看守と顔を合わせていないのだ。
そういえば……この棟に移される直前、別の囚人からこんなことを言われたのを思い出す。
「お前が明日行く棟って……あれだろ。『カミサマ』が自ら管理してるっていう特別棟。
あそこに行ったやつは絶対にこっちに戻ってこられない。面会だってできなくなるし、部屋の外に一歩も出してもらえないって噂だ。……あそこに行ったら最後、頭が狂って死ぬまで部屋に閉じ込められるらしいぜ……。
……あ、お前はどっちにしろ死刑になったから帰る予定はないんだったか!それじゃあ、あんまり関係のない話だったな!悪い悪い!」
あのときは『ただの噂』だと思って話半分に聞いていたけれど、もしかしたら本当だったのかもしれない。
死刑執行までこの部屋から出られないのかな?それはちょっと厳しいかも。……とりあえず、そろそろシャワーを浴びたい。
「おはよう。……よく眠れた?」
朝から考え事の海の中を漂っていた僕の耳に入ってくる、クリアなアルトの声。
そうだ。僕は今、一人じゃないんだった。えっと……そうだ、
火置ユウ。21歳。黒髪の魔法使い。この広い宇宙でたった一人の、時空の魔女。
「……おはよう、火置さん起きてたんだね。一人じゃないってことを、すっかり忘れてた」
「…………なかなか衝撃的な出会いだと思ってたのに、忘れちゃってたの?あなたって結構マイペースなのね……」
彼女は肩を竦めながら話す。昨日もそうだったけど、彼女はちょっとシニカルな物言いをする。……そういう雰囲気は、嫌いじゃない。
「あ、そういえば……さっき扉がノックされてたよ?一瞬ドキッとしたけど、誰も入ってこなかった」ふと思い出したように彼女が言う。
そうか、今の時間は……7時40分。おそらく朝食のトレーが運ばれてきたんだろう。
僕は布団を畳んで脇に置き、扉の下部に設置された小窓を開けて朝食を部屋の中に引き入れた。
チラチラとこっちを見る彼女に朝食の半分を勧め、最初は遠慮していた彼女だったが結局全てのメニュー――白米と焼き鮭とほうれん草のお浸しとわかめの味噌汁――を二人で分け合った。
満腹には程遠いけれど、誰かとの朝食が久しぶりで僕は存外に満足できた。……彼女の腹からは絶えずクルクルと音が聞こえていたから、満足できたのは僕だけだったみたいだけど。
「にしても……さ」少ししてから、彼女が控え目に僕に声をかけてきた。
「看守の点呼がないって……ここは本当に刑務所なの?実は精神病棟でした、とかじゃないよね?ちょっと異様な感じがしない?」上目遣いで遠慮がちに、火置さんは問いかける。
「……言いたいことはわかる。僕ってちょっと、精神的にイッちゃってる感じがするんでしょ?」
「…………そう、ね。落ち着きすぎてて狂気を感じる部分はある」腕を組んで大きく頷きながら、彼女は言う。「ひと月後に死刑になるくせに」
「ここが異様なのはきっと『特別棟』だからだよ。噂によると、特別棟では囚人を放置するらしいんだ」
確かにびっくりするくらい誰の気配もない、と火置さん。
「特別棟に移る前までは点呼もあったし、刑務作業もあったし、巡回もあった。いわゆる『刑務所生活』だったよ」
彼女は顎に手を当てて何かを思案したあと、僕にこう言った。
「私の予想ではね……この世界には既に、大きな時空の
「…………そうなの?」
「ここの様子がおかしいのも、もしかしたらそれが関係あるかもしれない。そもそも私は、
「そろそろ夏休みだし、旅行か帰省のどっちかだと思ってたよ」
「そんなマイペースな時空の魔女は聞いたことないよ!」
驚く顔でのけぞる彼女。その大きな反応についつい笑いそうになってしまう。
……ああ、楽しい。火置さんの反応って、おもしろい。久しぶりに心の底から楽しいって思った気がする。
「…………ちょっと、どうしたのよ」
俯いて笑いをこらえていた僕に気付いた彼女は、少しムッとして言う。彼女の機嫌を直すためにも、今はとりあえず話題を変えてしまおうかな。僕は『時空の
「あ、そうそう、火置さん。話が変わってしまって申し訳ないけど、昨日言っていた『魔法』……見せて欲しいんだけど」そう、僕にとっては世界の危機よりもこっちが圧倒的に気になっているんだ。
僕の期待に満ちた様子を見て……彼女は困惑した表情で眉を下げた。……あれ?どうしたんだろう?
「えっと……それなんだけど…………」
さっきまでの強さはどこへ行ってしまったのか、彼女はしょんぼりと肩を落とす。まさか、実は魔法なんて使えないとか言い出すんじゃないだろうな?
「まだ魔法が使えないみたいなの。……私はこの世界出身だし、この世界の理ことわりとはもう馴染んでいるはずだから、今日から使えると思ったんだけど…………」
「使えないものは仕方ないか。使えるようになったら見せて」
ちょっとがっかりしたけれど、それより何より火置さんがこの世界出身だということにちょっとした衝撃を受ける。……それじゃあ、あながち『帰省』というのは間違ってはいなかったんだな。
「うん、ごめんね。……でも、この世界で私の魔法が使えないっていうのも不自然なんだよね。何だか……嫌な感じがする」
僕には魔法使いが普段何を考えて生きているのかなんてわからない。けれど今までの会話の流れを総合すると、どうやらこの世界には何らかの危機が迫っていて、時空の魔女である彼女自身にも異変が生じている……ということらしい。
ここから出られない、魔法が使えない……。彼女にとっては不自由なのかもしれないけれど、おかげさまで僕は昨日から退屈せずにここの生活を満喫できている。
少なくとも僕の個人的な意見としては、この世界に不可解なことが起こりつつあることを喜ばしく思っていた。
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