ヤミの神様

彼女との会話が終了して手持ち無沙汰になった僕は、なんとなくぼーっとしたり、軽くストレッチをしたり、独房の窓の向こうを流れる白い雲を見たり、今までに読んだ本の内容を思い出したりして時間を過ごしていた。


火置ひおきさんの方を見る。彼女は腰につけている、くたびれたウエストバックの中身を漁っている。



ウエストバックの中からは、実に色々な物が出てきた。

小型のナイフが数本、見たことのないおふだ?のような紙切れ、丈夫そうなワイヤー、マッチ箱のような形の……でも大きさは4倍ほどある紙製のケース、カラフルな針がたくさん入った透明な筒………。


そのどれもが僕にとっては見慣れないものばかりで、何に使われるのかさっぱり検討もつかなかった。



ない、ない、と僕に聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声でバックの底を探っていた火置さんは、おもむろに手帳よりふたまわりくらい大きいサイズの書物を取り出した。


彼女は一瞬ほっとしたような表情をした後、中程のページを開いて何やら書き込み始めた。



火置さんはまるでなにかに取り憑かれたように、一心不乱にペンを動かしている。いったい何を書いているんだろう。


今僕が声をかけても気づかないんじゃないかと思うくらいの真剣さで、彼女は書き込む作業に没頭している。時々、ビデオの一時停止みたいにじっと動かなくなり、5秒後くらいにまた動き出す。そんな動作を何度か続けたあと、彼女は『ふぅ』と大きなため息をついた。



「……火置さん」


「なに?」


「何書いてたの?」


「魔法書よ。自分の魔法書を執筆してるの」


「へぇ、君は文筆家でもあったんだ。完成したら読ませてくれよ」


「もちろん!あなたの人生に役立つ内容かはわからないけどね。……って、あと1ヶ月以内に完成させろってこと?……それは厳しいかもなあ」


努めて明るい雰囲気で、冗談っぽく彼女は言う。そう、1ヶ月後に僕は死刑になる。もしかしたら、暗くならないようにと気を遣わせてしまったのかもしれない。


「そうか、残念だな」


「書き終えたとこまででいいなら、後で見せてあげる。『初心者でも直感的にわかるように』をテーマに書いてるから、もしかしたら楽しんで読めるかもしれないよ。ヤミも魔法が使えるようになるかも!」


「それは楽しみだ」


魔法……僕が魔法を使えるようになったら、何をしたいかな。僕は、光り輝く魔法を使いたい。周囲を明るく照らす魔法。



……早く、火置さんの魔法が見てみたいな。たった一度でもいいから、死ぬまでには見てみたい。




魔法を使う火置さんを想像する。


きっと魔法を使う直前の火置さんの瞳は、キラキラと煌めくんだろう。さっき魔法書を書いていた時みたいに何やらブツブツと唱えたと思ったら、体中に風を纏い、髪がふわりと揺らめいて、頭上に上げた手の指先から光が溢れる。この刑務所全体を、目をくらませるような鮮烈な光で覆い尽くす。


……もしもそんな光景が見られたら、僕は一片の悔いなくすぐに死んでもいいと思うかも知れない。なんなら、その光に包まれたまま死刑に処されたい。




「…………ヤミ?どうしたの?ちょっと笑ってるよ?不気味だよ」


火置さんが僕の顔を怪訝そうに覗き込む。


「え、本当?気持ち悪い所見られたな」


「本当だよ。……ま、いいけどさ……あなたが相当おかしな人だってことは、薄々気づいてきてるから」


そんなおかしな僕と会話してくれる君なら、この話にも付いてこれるかな。……昨日から聞きたいなと思っていたんだ。火置さんはどんな反応をするだろうか。



「……話は変わるんだけど……君は、神様って信じてる?」


「突然どうしたの?……うーん、八百万やおよろずの神はいてもいいかなって思うけど……唯一神、絶対神みたいなものは信じてないかな」


「………そうか。……でも『神様』っていう言葉にするから胡散臭くなるけど……『揺るがない善の概念』みたいなものならある気がしない?」


「揺るがない善なんかあるかなあ。そういうのって、その場の状況や時代とかによっても変わらない?何が良くて何が悪いのかって」


「でも、例えば……。道端に困っているお年寄りがいて、助けを求めてる。その人を助けるのは善?悪?」


「…………そう言われると、助けるのは『善』だけど……」


「だろ?それは、古今東西変わらない真理じゃないか?遥か昔から、人類はそういう行為を『善』だとみなしていたと思うよ」


彼女は顎に手を当てて考え込み、少しの空白の後、口を開く。


「……でもさ、1秒でも早く会わないと死ぬかもしれない家族が待ってるとする。その場合は、どっちが善?家族の元へ急ぐのと、困っている人を助けるのは」


頭を回転させて、僕の話に真剣に答えてくれる火置さん。適当な返事を返さずに、こんな話題にも引かずに会話してくれることに、僕は純粋な喜びを覚える。


「そういった究極の選択系の場合は、自分の信念に従って行動するのが善だと思う」


「………どういうこと?」


「たとえば、普段から何よりも家族を優先すると決めている……とか。そういう、その人の確固たる主義思想に、自らの意思で従うかどうかで判断する」


「……その場の流れで……みたいな選び方は善とみなさないってこと?」


「そう。君の言う通り、善い行いは時として判断が難しい。トロッコ問題然り。他人に判断を委ねず答えのない問題に立ち向かうのもまた、善なる人だと思う。そして、『神様』に近しい存在だと思う」


「その言い方だと……あなたは神様を信じてるんだ」


「うん。僕は僕の考える神様を信じてるんだ。10歳の頃からずっと」


「…………ヤミ教を開祖したってこと?」


「信者は一人だけどね」


「…………やっぱり、なかなかレベルの高いおかしな人だった」


彼女はこちらに向かってニヤリと笑う。その表情を見る限りでは、僕に対して嫌悪感は抱いていないように見える。……と、思う。


「そうだ、今日は僕の考える神様の話をしていい?今日も時間を潰さなくちゃいけないし、どうかな?」


「いいよ。好きなだけ話して」


火置ひおきさんはいつもと変わらない表情で頷いた。

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