第5話 悲劇的な人生

『悲劇的な人生』。今までに何度口に出した言葉だろう。



自分のことを誰かに話す時には、必ずこのキーワードが必要になる。

僕の人生にとってあまりにもしっくり来る言葉だから、一人でいるときもふと思い浮かんでしまって、独り言として口に出すこともあった。『ひげきてきなじんせい、ひげきてきなじんせい、ひげきてきなじんせい』。




『僕』と『悲劇』は、切っても切り離せない……そう、実体と影みたいな間柄だ。

どこまで行ったって、どこまでもぴったりと付いてくる。


しかも明るい場所に逃げれば逃げるほど……その『影』は真っ黒く、濃くなって存在感を強め、実体に吸い付こうと迫ってくる。




「…………あなたが歩んできた『悲劇的な人生』の、具体的な例を教えて?」

火置さんが僕に尋ねる。


「悲劇的な人生が幕を開けたのは……僕が3歳の時だった。

僕は公園でボール遊びをしていた。ボールが道路に転がっていってしまって、僕は……それを追って道路に飛び出した」


「すごく危ない」


「そう、よくある痛ましい事故に……なればよかったのかもしれない、いっそのこと。でも、僕の場合は違ったんだ」


「……あなたは生きてるね」


「そう。僕は道路に飛び出した。ちょうどその時、四人家族が乗った乗用車が通りかかったんだ。

運転手は飛び出した子供に驚き、慌ててハンドルを切った。そのおかげで……僕はなんとか一命を取り留めた」


「……とても……喜ばしい話に思える」


「でも、それは悲劇の始まりだった。

ハンドルを切った運転手は、電柱にぶつかって即死。運転手は、一家の大黒柱だった。


助手席に座っていた母親は、身体を強く打って半身不随になった。車椅子生活を余儀なくされたんだ。

後部座席にいた二人の子供は、それぞれ怪我だけで済んだ。


でも……その家は大黒柱を失って、母親は仕事に出れる体でもなくなってしまったし、悲惨な生活が待っていた」


「……ただ不幸だとしかいいようのない事故ね……」


「……僕の家から相手の家に払う損害賠償でもあれば、まだよかったのかもしれない。


でも、僕は歩行者で相手は車。しかもその道は信号のない細い道だった。そうなるとね、車側の事故の被害が重かったとしても、悪いのは圧倒的に『車』になるんだよ。


そして警察の実況見分において、車側が若干のスピード違反をしていたことが証明された。

だからなんと、損害賠償は相手の家から僕の家に対して命じられた。


僕はたった数日入院しただけで済んだにもかかわらず、だ」





重苦しい沈黙。彼女は眉根を寄せて視線を落とす。何を思っているんだろう。こんな話、聞きたくないかな。


でも、僕について紹介するなら、このエピソードは避けては通れない。

だって、この時の悲劇は、その後の僕の人生にずっと付きまとっているんだから。


……もう少し我慢して、聞いていてもらおう。彼女の感想を聞くのは、その後にしよう。




「この事故の日から、僕の母は体調を崩しがちになった。それも無理はない。だって相手の家は事故のあと、本当に悲惨だったらしいから。


『彼女の泣き叫んでいる声が耳にこびりついている』って、母はよく言っていた。


相手は極普通の、中流階級のサラリーマン家庭だったから、大黒柱を失った一家の経済状況は最悪だった。

父親の葬儀、母親の治療費、そして子供二人の学費や生活費をやりくりしなくてはいけない……。


向こうの家は、苦しかった。特に子供二人にとっては、その後も苦しい人生が待っていた」


「ヤミのせいでは……ないよ」


「……ありがとう。ただ僕の母は『悪いのは車の方』と割り切れるような性格でもなかったんだ。


相手の家の状態にも心を痛めたし、示談のとき相手から言われたことにも深く傷ついた。噂を聞きつけた周囲からも心無い言葉を受けたりしたみたいだった。

母が僕のことをちゃんと見ていなかったからだって、ひどく責められたそうだ。


僕の母は……神経症的なヒステリーに悩まされることが増えた。当然その矛先は僕に向いた。だって全ての始まりは、僕だったから。


僕は家でもなかなかリラックスできなくなった。3歳より前の母のことを僕はあまり覚えていないけど……でも父は、こんな人じゃなかったのにと、よくぼやいてた。


……そう、あの事件をきっかけにして、母は変わってしまったんだ」


「それは……つらいね。あなただって、ひどい目に遭ったのにね」


たしかに、僕は酷い目にあった。あの事故のせいで、車にぶつかる夢をよく見るようになった。最初は冷や汗と震えが止まらなくなるほど怖かったのに、あまりにも見すぎてその夢に慣れてしまって、やがて夢すらあまり見なくなった。



「そうだね。でも、それだけじゃないんだよ。あれ以降……僕の周りではどんどん悲劇的な出来事が増えていった。


ある日僕は、元気のない母のために花を摘んだんだ。ユリに似た花だったと思う。それを大きめ目のコップに入れて、ローテーブルに置いた。そのコップの水をね、飼い犬が全部飲んじゃったんだよ。


そうしたら、犬は腎不全で寝たきり状態になった。ユリ科の植物って、犬猫にとっては禁忌なんだって。もちろん……子どもの僕はそんなこと知らなかったけどね。


その犬は、母が結婚前から一緒に暮らしていた愛犬だった。僕にとっても、小さい頃からの友達だったんだ。


母はその日から、犬の介護をしなくてはいけなくなった。その犬は、1年も経たずに死んでしまったよ」



彼女の顔を見る。こっちが申し訳なくなるくらい、苦しそうな顔をしている。

僕にとっては……もう『済んだ話』だから、実のところそこまでは気にしていないんだ。

僕の人生のモットーは『過去を悔やんでも仕方がない』。だから、彼女がそんなにつらそうなのが、むしろいたたまれない。



もう少しで僕の話は終わるから、ちょっと我慢してて。




「それ以外にも色々あった。通っていた幼稚園の友達からは、避けられるようになったし。

これも後から聞いたけど、親から関わり合いにならないように言われていたんだそうだ。交通事故のいざこざが、周囲の噂になっていたから。


そういったことと似たような出来事が今までずっと続いてきたんだ。


そんなこんなで僕は大学生になって、殺人事件を犯して、捕まって、投獄されたというわけ。


こんなに自分の話をしたのは初めてかもしれない。楽しかったよ」


「…………いいえ、話すことでストレス発散になったのならよかったわ」


「久しぶりにこんなに喋ったから、喉がカラカラになったな。……次は君が君の話をしてくれないか?魔法使いに会ったことなんてないから、色々と話を聞きたいよ」


「……わかった。それじゃあ次は、私が話す」

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