出会いの日の夜
いつもは自分が立てる音しか聞こえていなかった独房の夜に、新しい音が増えた。
でも、悪くはない。人生最後のひとときくらい、誰かと過ごしたっていいだろう。
しかも彼女は……世界を救う魔法使い。
もしかしたら火置さんは、僕の『教典』で定義した『救世主』かもしれない。
彼女がいなくなってしまうまであと何日あるかはわからないけど、それまでに確かめたい。彼女が、本物の救世主かどうかってことを。
独房のベッドは、扉から一番遠い壁に接して置かれている。彼女に自分のベッドを貸した僕は、代わりに掛け布団を一枚使わせてもらうことにした。扉の前の床に布団を敷いて、僕はその上に横たわる。
それにしても……今日も、看守は独房を見回りに来なかった。
この刑務所(『刑務所』と言われたけれど、僕は死刑囚だから『拘置所』なのだろうか?)は、何かがおかしい。死刑が確定してこの部屋に移されてからというもの僕は、徹底的に放置されている。食事だけはきっかり3回与えられるけど、それ以外は全く音沙汰がない。
……どういうつもりなんだろうか。でもまぁ、いいか。僕には関係のない話だ。
もともと僕は他の囚人達とは交流がなかったし、これからも交流するつもりはない。一人で部屋に缶詰だって、そこまで苦ではないし。たまには体を動かしたいなと、なんとなく思うくらいだ。
「……ヤミ?」
考え事をしていた僕の背中に、突然彼女からの声が降ってくる。寝そうになっていたのだろうか、少し声がかすれている。
僕は呼びかけに答えるために、彼女の方に身体を向けた。
ベッドの方を向くと、この部屋唯一の窓が自然に目に入る。刑務所の小さな窓からは、ちょうど真円を描く月の姿が見えていた。窓から伸びた満月の光は、ベッドに横たわる彼女の脛から下だけを照らしている。
「……どうかした?刑務所ではうまく眠れない?」
「いや、私は岩の上だって眠れる。そういう経験は何度もあるから、気にしなくていいよ」
「……どんな生活をしてきたの」
岩の上?どういうことだろう。……でも彼女の言うことって妙に真実味がある。嘘を言っていないという気がする。
「それじゃあ、明日はその話をしてあげる。……そうじゃなくて、一つ聞きたいことがあるの」
「なに?」
「あなたは、いつまでここにいるの?」
「……あと1ヶ月だね。本が読めなくて苦痛だってことも、あと1ヶ月経てば考えなくてよくなるんだ」
「1ヶ月?よかったね。案外あと少しじゃない。外に出たら、したいこととかある?」
「外には出られないよ」
「……え?」
「僕は死刑になるんだよ。あとひと月で、僕は死ぬんだ。だから、残りひと月だけ暇に耐えきれば、ありとあらゆる悩みからも解放されるんだよ」
彼女の顔を見る。暗くて表情まではよく見えないけれど、瞳だけは暗闇に浮かぶ万華鏡みたいに不思議とキラキラして見える。
その万華鏡が、一瞬悲しい色に傾いた気がしたのは気のせいだろうか。
「………………。……なるほどね。好きな子が振り向いてくれなくてつらいとか、欲しいゲームソフトを買ってもらえなくてムカツクとか、そういった苦痛からも解放されるわけだ」
…………いや、気のせいだったかな。彼女は変わらない口調で会話を続ける。
「そう。あらゆる悩みから解放される。だから僕の課題は『いかにこのひと月を早く過ぎさせるか』という点のみだったんだけど……君が来てくれて助かった。話し相手がいれば、時間が経つのが早くなる」
「…………それにしてもあなた、そんなに長い間ここにいるの?有罪になっても、死刑執行までは何年もかかるのが普通よね?」
「……いや、僕が殺人を犯したのは1年前のことだ。その後すぐに逮捕されて裁判にかけられ、あっという間に有罪が言い渡されて、刑務所行きさ。ちなみに先月までは、別の棟にいたんだけどね」
「……展開が急すぎない?そういうもの?」
「最初は終身刑とかいう話だったのに、『やっぱり死刑』と言われてここに連れてこられて……それから5日が経過してこの部屋の生活にも慣れてきたかなってところで君が現れて、今に至る」
「………………この国、大丈夫なの?どう考えてもおかしくない?」
「どうかな……もうずっと前から、この世界はおかしかった気がする。でも、おかしくてもおかしくなくても、僕にはあんまり関係ないよ。僕は遅かれ早かれ、こうなっていた気がする。いつかは何かをして、捕まって、有罪になっていたと思う」
彼女は口を開かない。
彼女にとっては、迷惑な話なのかもしれない。初対面の相手が殺人犯だと聞かされて、しかも知り合いになったと思ったらもうすぐ死刑になるだなんて。
……普通に考えたらちょっと衝撃的だよな。まぁ、『世界を救う魔法使い』とどっちが衝撃的かはわからないけど。
「…………死ぬのは嫌じゃない?」
「え?」
少しの沈黙を破って、彼女が僕に尋ねた。
『死ぬのが嫌』?考えたこともなかった。僕には『死にたくても死ねない理由』があったから……死刑になったのはまたとない機会だと思っていたんだ。
「さっき話したとおり、僕は自分の悲劇的な人生に疲れているんだ。そのことによって僕には、物心ついたときから慢性的な自殺願望があったんだよ。だからむしろ、やっと願いが叶うって感じだよ」
「……せっかく自殺をせずにここまで来たのに?」
「自殺をしなかったのには理由があるんだ。……話すと長くなるから、それはまた今度にするよ」
「なんか、あなたって色々なことを難しく考える人なのね」
「……そうなのかな。あまり人と喋らないから、人と比べてどういった思考回路をしているかとか、考えたことがなかったかもしれない。僕よりも人付き合いの多そうな君がそう思うなら、そうなのかもね」
「……ま、何も考えない人よりは好感が持てるよ」
「ははは、君はよく僕のことを褒めてくれるな。嬉しいよ」
「……どういたしまして。…………そろそろ眠くなってきたから、寝るね。おやすみ」
「うん、おやすみ」
控え目な寝返りと衣擦れの音が続いていたのは多分5分ほど。その後程なくして、彼女の寝息が聞こえてきた。
その穏やかな寝息を聞きながら目を閉じると、なぜだか僕は無性に懐かしさを感じた。
『懐かしい』とはいっても、具体的な記憶の内容は思い出せない。でも、温かい安心できる何かに守られているような感覚がある。
これはなんだったっけ……幼い頃の記憶を辿ってみる。
これじゃない、あれじゃないと記憶を呼び起こしているうちに、僕は深い眠りについていた。
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