第3話 芸術家の女
━━━ パシャパシャ
『東雲さん、この度は受賞おめでとうございます』
「ありがとうございます。熊本にいる父と母も喜んでいると思います」
『今回、日本人では初めての受賞となりましたが、ご両親からはなにかお言葉はありましたか?』
「返信が見れてないのですが、先ほどメールを送りました」
『きっと喜んでおられると思います!それでは最後に、これからの抱負をお聞かせいただけますでしょうか』
「ここからがスタートだと思います。いただいた賞に恥じぬよう、日々精進し、新しい作品を作り続けていきたいです」
『我々も今後の東雲さんのご活躍を期待しております。この度は本当におめでとうございます』
4月12日
『なぁ、この子同じ大学の子ちゃうの?すごいなぁ。中国の芸術祭で日本人初の入賞やって。それに比べてあんたは、いつまで売れん絵描いとるつもりなんだか。お母さんパート行ってくるよ』
「行ってらっしゃい」
母の小言はもう聞きなれて、針を突き刺されても何も感じなくなってしまった。
テレビのチャンネルを変える。少しすると先ほどと同じ声が聞こえて、キャンバスを滑っていた筆がピタッと止まる。
東雲春(しののめ はる)、彼女は大学時代の同級生だ。彼女は彫刻学科で、私は油絵専攻だったので接点自体少なかったが、大学生の時は特段目立った印象はなかった。ただ美人だったので、隠れファン的な男子が多く存在していたことは知っている。そういえば昔、学食で彼女が声をかけてきたことがあった。
4年前
『となり、いいかしら?』
見上げると、黒い髪をひとつに束ねた女子生徒が、ハンバーグ定食を持って立っていた。
「あ、どうぞ」
私がそう答えると『ありがとう』とその子は隣に座り、『いただきます』と小声で唱えると、ハンバーグを丁寧に6等分して小さな口に運んだ。
私はこの時課題に追われていたのと、人見知りな性格が重なり、特に話しかけず携帯を見ていた。
『あの‥‥』
「は、はい」
『もしかして、斎藤百合子さん?』
「はぁ、そうですけど」
『やっぱり!』
私が斎藤百合子だと知ると、彼女は持ち上げていたお箸を置いて、私の手を握ってきた。
『私、あなたを探してたの』
「は?」
話によると、廊下に飾られていた私の油絵を見てひどく感銘を受けたという。
「あ、そうなんだ。ありがとう。別にフツーの絵だよ?」
『私、斎藤さんの絵を見ていると、どんどんインスピレーションが湧いてくるの。こんな感覚は初めてよ。まるであなたの絵を見るために生まれてきたんじゃないかって思うの』
「そんな大袈裟だよ」
『あなたは‥‥あなたは、自分が特別な存在であることを理解するべきよ』
彼女は手にぐっと力を込め、私の手の甲に爪が食い込んだ。彼女は一点を見つめ笑っていたが、私には狂気の顔に見えた。
「痛い痛い!」
『ごめんなさい』
「あ、課題やらなくちゃ、じゃっ」
私は急いでその場を立ち去り、お盆を返し、学食を出た。振り返ると、彼女が手を振りながらこちらを見つめていた。
それ以降彼女とはひとことも話していない。大学は広かったので、すれ違うことすらなかった。そして卒業し4年が経ち、現在に至るというわけである。
現在
大学卒業後、私は依頼された絵本の挿絵を描いたり、書いた作品をSNSにあげたりしながら創作を続けている。最近は小説の装丁の絵を描いた。そして週に3回コンビニでアルバイトをしながら、母親とふたり、実家で暮らしている。父親は私が幼い頃、借金を残しどこかへ消えてしまった。油絵なんて早くやめてどこでもいいから就職しろと母親は言うが、それができたらそうしているだろう。
私は昔から、何をしても続かない性格だった。物事に対する執着心も、成し遂げたいという意欲も特にない。目立ちたくもないし、売れて儲けたいとかもない。それでもなぜか、子供の頃から絵を描くことだけはやめなかった。通知表は3が並ぶ中、美術だけ5だった。誰かに認められるなんて、そんなことどうでもよかった。ただ、無心で描き続けてきた。
━━━ ペタペタ
意味なんて考えてしまったらおしまいだ。納得のいく作品が描けたら、忘れて、もっといい作品を描く。
━━━ ペタペタ
何者かになんか、なれなくてもいい。無我夢中でできることがあるって幸せなことでしょ。
━━━ ペタペタ
余計なことは考えるな。描くんだ。
ペタペタ ペタペタ ペタペタ ペタペタ
━━━ ブーブー
携帯のバイブ音にハッとした。履歴を見ると知らない番号から着信が残っていた。
「誰だろ‥‥」
この手の着信は無視することが多いのだが、この時は考える前にかけ直していた。
━━━ プルルルル プルルル ブッ
『もしもし』
「あ、もしもし。すみません、着信いただいていたみたいで、あの、どなたでしょうか?」
『斎藤さん?私のこと覚えてない?』
聞き覚えのある声に記憶をたどり、私はテレビの方を向いた。目に涙を溜めながら取材を受ける彼女が映っていた。
「‥‥え?東雲さん??」
『そう!やっぱり覚えててくれたの!嬉しいわ』
「あ、まぁ。‥‥あの、どうして私の番号知ってるの?」
『優子ちゃんに聞いたの。受賞おめでとうって連絡くれて、斎藤さんの番号知ってる?って聞いたら教えてくれたの』
「あ、そうなんだ‥‥」
『受賞が決まった時から、斎藤さんのことずっと考えてた』
「え?」
『ねぇ、私たち、昔みたいに仲良くなれないかしら。一度会ってくれない?』
私は、彼女と仲が良かったとは認識していなかった。長かった髪をバッサリ切り落とし、ずいぶんと大人っぽく変化した彼女だったが、私に対して抱いていた、信仰心のようなものは変わっていないようだった。
「ああ。まぁ、私はいつでもいいけど」
『ほんと!?ありがとう!私、斎藤さんと見たい景色があるの』
私たちは、今週の土曜日に会う約束をした。
土曜日 AM 16:00
待ち合わせ場所は、アポロという昔ながらの喫茶店だった。彼女はよくここへ足を運び、ナポリタンを食べながら創作のイメージをするのだという。
━━━ カランカラン
『あ!斎藤さん!こっち』
奥から手をヒラヒラと振る彼女が見えた。席に着くとマスターがおしぼりと水を出してくれた。
「久しぶり、元気?」
『うん!斎藤さん4年前と変わってないね』
「あー。東雲さんはすごく雰囲気変わったね。髪長いイメージだった」
『あぁ、これね。色々あって』
そう言うと、顎にかかるくらいの毛先を指でとかした。
「あ、言うの遅くなったけど、受賞おめでとう!今、忙しいんじゃないの?」
『一旦、インタビューとかは終わったから、来週からは取材が立て続けに入ってるかな。その前に、斎藤さんに会いたかったの』
「あ、ありがとう」
しかし、彼女は私と話していて楽しそうには見えなかった。あの時と同じである。笑っていても、目の奥は笑っていない。会いたかったと言うばかりで、特に私のことについて聞いてくる様子もない。興味があるようには思えない。なぜ、わざわざ番号まで聞き出してここに呼び出したのだろう。
「あの、しのの『あ!そうだ!この後ね、夕焼けを見に行こうと思ってるの!』
「‥‥夕焼け?」
『そう!すごく綺麗な夕焼けが見えるスポットがあるの。それをぜひ、斎藤さんに描いて欲しいな、なんて思って』
「あぁ、いいけど」
『本当!?やったー!』
PM 17:30
私は彼女の斜め後ろを歩いた。『あれよ』と彼女が指さした先にあったのは、灰色の、幽霊でも出るんじゃないかと思うほど古びたビルだった。
『ここ、廃墟ビルでもうすぐ壊されちゃうの』
「入れるの?」
『うん!路地裏の入り口から』
路地裏に入ると、彼女の言った通り扉があった。扉はさびれた音を立てて開いた。エレベーターは停止しており、私たちは階段で8階まで上がることにした。
「はぁはぁはぁはぁ。やばい、運動不足だ。はぁはぁ」
『後少しだよ!』
━━━ ガチャ
「うわぁ」
8階に到着し扉を開くと、今にも空に溶け出しそうな夕日がモワンと浮かんでいた。
『ね、きれいでしょ』
「うん。写真に残しておこ」
『良かった。喜んでくれて』
私は屋上に入り、柵に手をかけ夕日を眺めた。
「すごいね」
そう言って振り返ると、後ろにいた彼女が私に黄色の封筒を差し出してきた。
「これ、なに?」
『なんだと思う?』
「手紙?」
開くと、まるで脅迫するような言葉がカタカナで書かれ、最後には誰かを殺せと書いてあった。
「なにこれ‥‥」
『‥‥とぼけないでよ。これ、送ってきたのアンタでしょ?』
「‥‥え?まって!なんのこと?」
『ここに書いてある秘密って、今回の作品のことだよね??』
「知らない!私じゃないよ!」
『嘘つかないでよ!あの作品があんたの昔の絵を真似して作ったものだって知ってるんでしょ!それをばらす気なんでしょ!』
「本当に何も知らないの!!」
『‥‥いいわよねアンタは、大学の時から注目されて。彼氏だって、ずっとアンタのことが好きだったのよ‥‥。今回受賞した作品も、アンタが学生の時に描いてゴミ箱に捨てた絵を参考にした‥‥結局私は、何者にもなれないの‥‥』
彼女は、拳を震わせ今にも突進してきそうだった。
「ちょっと待って、やめて!」
私の両足は動かなくなり、彼女はじりじりと近づいてきた。
PM 18:00 交番
「あそこのビルから飛び降りかぁ。最近この街、変な事件多いですね〜」
『まぁた、あのメッセージあったらしいぞ』
「shoot by 3 ですか。なんなんですかね。この前は hit by 3でしたよね」
『まぁ、本当に不可解だよなぁ。しかも飛び降りしたのが先月国際的な芸術祭で日本人初の入賞を成し遂げた美人芸術家ってんだから』
半年後
━━━ パシャパシャ
『斎藤さん、この度は受賞おめでとうございます』
「ありがとうございます」
『ご両親から、なにかお言葉はありましたか?』
「はい。受賞の知らせをしたらすぐに電話がかかってきて、泣いてました。女でひとつで私をここまで育ててくれたので、感謝しかありません」
『それでは最後に、これからの抱負をお聞かせいただけますでしょうか』
「これからがスタートだと思います。いただいた賞に恥じぬよう、日々精進し、新しい作品を産み続けていきたいです」
『我々も今後の斎藤のご活躍を期待しております。この度は本当におめでとうございます』
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