第二章 宗家の宝

容疑者リスト

 父からの電話だ。睾丸がきゅっと小さくなるのを感じた。

「はい、もしもし」震える手で電話に出た。

「私だ。連続殺人事件のようだな。大事件だ。世間に対する影響も大きい。容疑者はいるのか?」

 父らしい。いきなり本題だ。「元気か?」の一言くらいあっても良いのに。

「捜査線上に何人か浮かび上がっていますけど、すいません。詳しいことは言えません」

 僕が言わなくても、知りたければ父ならいくらでも捜査状況を知ることができるはずだ。

「いいか。事件の表面だけを見るな。小さな村が舞台の事件だそうだな。事件関係者が限られていると聞いた。人が犯した犯罪だ。動機を考えろ。そうすれば、自ずと犯人が誰なのか分かるはずだ。いいか。頭で判断するな。足で考えろ――」

 父のアドバイスが続く。まただ。結局、父は僕のことなんか信用していない。一人息子の僕が事件を解決できずに、ミソをつけてしまうことが嫌なのだ。僕が失敗すると、父の経歴に傷がついてしまう。

 余計なことは言わずに、「はい。分かっています」と答えていたら、「お前は何時もそうだ。返事だけは良いが、まるで聞いていない」と小言を言われ、「ふう」と大きなため息をつかれてしまった。

 まただ。父のため息だ。僕の精神が崩壊して行く。

「分からないことがあれば、相談して来い」

 父はそう言い残して電話を切った。

「参った・・・な・・・」

 僕は動けなかった。金縛りにあったように、体が動かなかった。携帯電話を耳に当てたまま、僕は必死に心の闇から湧き上がってくるどす黒い悪魔と戦っていた。

――心配してくれているんだ。

 広大君が慰めてくれた。広大君の言葉で金縛りが解けた。

「心配しているのは、自分の評判さ。出来の悪い息子がヘマをやらかして、自分の経歴に傷がついてしまうのが嫌なのさ」

――相変わらずひねくれているね。

「放っておいてくれ」

――でも、お父さんの言うこと、一理ある。どうだい?容疑者リストをつくってみないか?

「容疑者リスト?」

――現時点で疑わしい人物をリストにまとめてみるのさ。そうすれば、容疑者を絞り込めるかもしれない。

「ああ、そうだね。ちょっと待ってね」

 意外にさらさらと容疑者リストが出来上がった。


 容疑者リスト

● クマゼコ~妖怪?殺害方法がクマゼコの特徴と一致。五本爪。

● 芦刈喜則~七軒屋住人。第一発見者。消去法で最有力容疑者。

● 首藤医師~遺体を自分に偽装して失踪。殺害の動機不明。

● 塩市拓谷~入田、服部、首藤に恨みがある。行方不明。


「どうだい?」と尋ねると、

――良いんじゃない。でも、クマゼコまで入れるんだ。

 と広大君が答えた。

「だって、有力な容疑者だもの。芦刈さんもそう言っているし」

――そうだね。

 言下に否定しないところが広大君だ。広大君は僕の味方だ。そして、

――問題は身元不明の首なし遺体が誰なのかということだね。遺体の身元が分かれば、また新たな容疑者が浮かび上がってくるかもしれない。

 と言った。

「新たな容疑者?」

――遺体が村の住人でなかったのなら、犯人も村の人間ではない可能性だってあるよ。

 広大君の言う通りだ。実際、容疑者として塩市拓谷という人物が浮上して来ていた。村出身ではあるが、村外の人間だ。それに首無し死体は推定、二十代後半から三十代だと見られており、七件屋に該当者はいない。

 検死の結果、入田家の二人は、服部さんが殺害された日の午前中に殺害されていたことが分かっている。入田家の二人の方が先に殺害されていたのだ。

「橋内さんの話は衝撃的だったね」

――殺された三人、いや遺体は首藤医師ではなかったけど、晴美さんを辱めた三人が事件関係者となっているなんて、単なる偶然とは思えなかった。今回の事件の背後に、晴美さんの一件があるような気がした。

「塩市拓谷が犯人だと言うことかい?」

――そうは言ってないよ。首藤医師が二人を殺して逃亡しているのかもしれないしね。でもね、僕は晴美さんの事件が背後にあるような気がする。

 広大君がそう言うのなら、そうなのだろう。それにね、と広大君は意外なことを言った。

――遺体が塩市拓谷の可能性がある。

「殺されたのが塩市拓谷さん?」

――塩市拓谷は三人を殺害するために、七軒屋に行った。入田さんを殺害し、服部さんを殺害したが、首藤医師に反撃され、命を落とした。首藤医師は塩市拓谷の首を切り落とし、白衣を着せて自分に見せかけて姿を消した。

「だけど、そう考えた場合、いくつかおかしな点があるよ。首藤医師は殺されかけた被害者だ。警察に通報すれば、犯人を返り討ちにしたとしても、正当防衛が成り立つ。遺体の首を切り落として自分に見せかけて姿を消す必要はなかったはずだ。

――そうだね。よく気がついた。首藤医師は過去に犯した犯罪が、暴露されるのを恐れて姿を消したのかもしれない。だけど、どうだろう?まあ、まだこの推理には検討の余地がありそうだ。

「殺された順番から考えても、犯人は塩市拓谷さんでないことになる。だって、先に殺されたのは彼だから、服部さんを殺害することができなかったはずだ」

――流石、刑事さん。すごいじゃないか!

 広大君に褒められると、テンションが上がる。

「いずれにしろ、首無し死体の身元を特定する必要があるね」

――そうだね。塩市拓谷さんの指紋とDNAを手に入れないとね。それに、橋内さんの話から、ひとつ分かったことがある。

「分かったこと?何?」

――入田さんの家、滅茶苦茶に荒らされていたよね。

「うん。怨恨の線以外、居直り強盗の線でも捜査が行われている」

 入田家には物色された跡があった。盗みに入った空き巣が家人と鉢合わせし、殺害した可能性が排除できない。

――空き巣が探していたものは、宗家の宝だったのかもしれない。

「ああ、そうか」

 犯人は宗家の宝を探して、屋敷中を、ひっくり返したのかもしれない。こうして広大君と意見を戦わせていると、やるべきことや、事件の概要が見えて来る。


「今日は中津で聞き込みだ」と隈井さんが言った。

 塩市拓谷がこの春まで勤めていた鉄工所があり、そこで話を聞いてみるのだと言う。

 中津に向かう道中、広大君と戦わせた推理を隈井さんに話してみた。容疑者リストの内容を伝え、首藤医師と塩市拓谷の犯人説、また遺体が塩市拓谷であった場合、彼に服部さんの殺害が不可能だったこと、それに入田家が荒らされていた理由は宗家の宝が絡んでいるのではないかということだ。

 開口一番、「よく考えたな」と隈井さんがほめてくれた。尊敬する先輩に褒められると、嬉しくなってしまう。よかったねと広大君が言ってくれた。

「遺体が塩市拓谷だとすると、彼に犯行が可能だったのは入田孝道の殺害だけということになる訳だな」

 入田さんと首無し遺体のどちらが先に殺害されたのかは分かっていない。

「鉄工所で塩市拓谷の私物を押収できるかもしれないな」

 私物から指紋やDNAを採取できれば遺体と照合することができる。「鉄工所だけに筋金入りの証拠が見つかるかもしれないぞ」隈井さんが笑いながら言った。

 時に隈井さんはクールなキャラに似合わない冗談を言う。そいう一面を知っているのは僕だけだ。

「あの、隈井さん」

「何だ?」

「僕、その、隈井さんのハイセンスなギャグに上手く対応できません。ボケたり、つっこんだり出来ないと思います。すいません!」

「おい、おい。謝るなよ」

「どうしたら良いのでしょうか?」

「どうしたらって・・・お前」

「愛想笑いをしましょうか?」

「はっきり言うね~」

「じゃあ、笑顔で頷くっているのはどうです?」

「もう良いよ」

「じゃあ――」

「無視してくれて良いよ。面白かった時だけ笑ってくれ」

 ああ、隈井さんを怒らせてしまった。

 中津は隈井さんのかつての職場だ。隈井さんの運転で塩市拓谷が働いていた鉄工所を目指した。

 中津市内、中津署から車で二十分ほどの場所に是永鉄工所があった。産業機械向けの部品を加工、製造している町工場だ。県道を挟んで細長い工場と製品を保管するための空き地が並んでいた。駐車場を兼用している空き地に車を停めると、工場を訪ねた。

 隈井さんが警察バッジを見せると、受付の女性が入り口の片隅を衝立で仕切った応接スペースに通してくれた。そして、「社長、警察の方がお見えですよ~!」と大声を上げながら奥へ消えて行った。

 事務所スペースの奥が工場になっている。社長さんは現場で作業を監督していたようだ。

 奥の工場から、腹の突き出た中年の男性がどたどたと足音をさせながらやって来た。赤黒く変色した顔に玉のような汗を浮かべている。顔の中央に居座った鼻が存在感たっぷりだ。

「社長の是永弘明です」と名乗った。そして、「どういうご用件ですか?」と不機嫌そうな顔で言った。

「お宅で働いていた塩市拓谷さんについて、いくつかお伺いしたいことがあります」

 是永社長は、どかりとソファーに腰を降ろすと言った。「ああ、拓谷ですか。あいつ、何かしましたか?」

「いえ、お聞きしたいことがあって捜しているだけです。塩市拓谷さんが今どこに居るのか、ご存知ありませんか?」

「近所のアパートに住んでいますよ。ここから歩いて直ぐの場所です」

「いえ、そのアパートは春先に引き払っているようです。どこに引っ越したのかご存知ありませんか?」

「えっ、引っ越したのですか⁉知りませんでした。すいません、うちを辞めてからのことは、よく分かりません」

 是永社長は塩市拓谷さんがアパートを引き払ったことを知らなかった。

「塩市拓谷さんはどういった理由でお宅を退職されたのですか?」

「一身上の都合だというので、詳しくは聞きませんでした。母親を亡くして、随分、気落ちした様子でしたので、そのことが原因かもしれません。看病から解放された開放感もあったでしょう。まだ若いので、他にやりたいことが見つかったのだろうと、そんな風に考えていました。何かあれば、遠慮なく尋ねて来いと言っておきましたが、うちを辞めてからは、なしのつぶてです」

 強面で終始、不機嫌そうに見えるが、案外、根は良い人物のようだ。

「お宅で塩市拓谷さんと親しくされていた方はいませんか?もし、いらっしゃれば、その方から、直接、お話をお聞きしたいのですが」

「ああ、それなら勇次が、一番、仲が良かったと思います。原尻勇次といって、うちの社員です。年が近かったので、よく二人でよくつるんで遊んでいました。今、呼んで来ましょう」

 是永社長は席を立つと、「おい、勇次!」と叫びながら工場に戻って行った。

 待つ程もなく、是永社長が若く痩せた男性を連れて戻ってきた。被った帽子からはみ出した長い髪の毛が銀色だ。眉毛が線のように細い。細面だが、えらが張っていて、顔が細く見えない。原尻勇次だ。

「ほれ、ここに座れ」

 是永社長は「原尻勇次です」と原尻君を紹介すると、「ほれ、刑事さんたちから聞かれたことに、ちゃんと答えるんだぞ」と言ってソファーに座らせた。

 そして自分は応接スペースを見渡せる場所に受付の椅子を引きずってきて、でんと腰を降ろした。背後から見張るつもりのようだ。

 原尻君はおどおどとした様子で、目の前に座った僕らの顔を見回した。動物園の動物になった気分だ。珍獣のように見えているのだろう。原尻君、見かけと違って、気の小さな若者のようだった。

「原尻さんが、一番、塩市拓谷さんと親しかったそうですね」

「ああ、そうかもね。タクは友達があまりいなくて、何時も一人ぼっちで可愛そうだったから、一緒に遊んでやっていたよ」

 ぶっきら棒に答えてから、背後の是永社長を振り返った。是永社長は腕組みをしたまま押し黙って座っていた。怒りを押し殺しているように見えた。原尻君は慌てて目を逸らすと、膝元に視線を落とした。

 是永社長の目が「しゃんとしろ!」と怒っていた。

「塩市拓谷さんを探しています。今、彼がどこにいるのかご存知ありませんか?」

「さあ? タクが辞めてから、ずっと会っていないからね。そう言えば、会社を辞める前、どこかに行くみたいなことを言ってたっけな」

「どこに行くと言っていたのですか?」

「さあ、具体的にどことは言っていなかった。どっか、その辺じゃない」

 要領を得ない。

「会社を辞める前、塩市拓谷さんに変わったところはありませんでしたか?」

「変わったところ? ああ、あったよ。ここを辞める前、タクのやつ、急に付き合いが悪くなって、会社に居残って、何かこそこそ作っていたみたいだった。あいつ、会社の機械を勝手に使って、隠れて何か作っていた」

 原尻君がまた是永社長の様子を伺った。社長には黙っていたようだ。

「何を作っていたのでしょうか?」

「さあ、俺には何も教えてくれなかった。見せてもくれなかった。分からないな。それに、会社を辞める前は、誰ともほとんど口を利かなくなっていた」

「誰とも口を利かなくなっていたのですか?」

「なんかね、他にダチが出来たみたいだった」

「ダチ? 他に知り合いが出来たと言うことですね?それは、どんな人だったのですか?」

「悪いね。俺、よく知らない。何となく、そう思っただけだから。ただ、休み時間とかに、携帯で誰かと連絡を取り合っていた。俺はてっきり女でも出来たのだと思って、冷やかしたことがあるんだけど、そんなんじゃない! って、あいつ、マジ切れしてさ」

「その塩市さんの知り合いに関して、何でも結構です。分かりませんか?電話の会話を、小耳に挟んだりしていませんか?」

「そうだねえ・・・そういやぁ・・・」

「何でしょう?」

「電話の相手、変わった名前だったよ。さんのさんって呼んでいた。さんのって、どういう字を書くんだろうって思った」

「さんのさん?」

――ああ、それは。

 と広大君が言う。参の屋さんと言っていたのではないかな?と囁いた。

「隈井さん、ひょっとして参の屋じゃあ・・・」と小声で囁くと、「参の屋!」と隈井さんが眦を吊り上げた。

 隈井さんの声に、原尻君が「ひっ!」と小さく悲鳴を上げた。

 参の屋は七軒屋のひとつ、田口家だ。

 黒枝裕紀さんをイノシシと見間違えて射殺してしまった田口公正さんは妻子に逃げられ、村から姿を消している。住民票は七軒屋のままだ。その田口さんが中津で塩市拓谷さんと知り合ったのかもしれない。

 七軒屋に対して複雑な感情を持つ二人だ。二人の出会いが、良からぬケミストリーを生んだ可能性があった。

「参の屋・・・ううむ・・・ところで、塩市拓谷さんが七軒屋という耶馬溪の山奥の村の出身だということはご存知でしたか?」

「七軒屋?」原尻は視線を斜め上に向けて考えてから、「タクは子供の頃から中津に住んでいたって聞いたような気がする」と答えた。

「そうですか、七軒屋では宗家と呼ばれた家柄の出身だったようなのですが、何か聞いていませんか?」

 隈井さんが食い下がったが、原尻君は「さあ、分からない」と素っ気無かった。

「では、塩市さんは車か何か、交通手段を持っていましたか?」

 中津から七軒屋まで公共交通機関はない。七軒屋に行くには自前の交通手段が必要となる。

「車?免許は俺と一緒にとったけど、車は持っていなかったよ。おふくろさんが入院して治療に金がかかっていたから、車を買う余裕なんてなかったはずだ」

「なるほど・・・」

「でも、オフロードのバイクを持っていたかもしれない」

「バイクですか?」

「ああ。会社辞めてから一度、タクがバイクに乗っているのを見た。お袋さんが亡くなって、入院費がかからなくなったので、タク、バイクを買ったんだと思った。まあ、タクによく似たやつだったのかもしれないけどね。悪いね、自信ないや」

「塩市拓谷さんはどういう人でしたか?明るいとか、暗いとか――」

「タクかい? 普通だね。どちらかと言えば、大人しい方かな。そうそう、あいつ血を見るのがダメだったね。ホラー映画とか女の子みたいに怖がるんだ」

 原尻君は楽しそうに笑った。

「最後に、塩市拓谷さんの写真をお持ちではありませんか?」

 隈井さんが尋ねると、「携帯にあいつと撮った写真が残っていたかもしれない」と原尻君はポケットから携帯電話を取り出した。

 やがて、「あった、あった」と二人で撮った写真を見せてくれた。

 塩市拓谷さんは髪の毛を茶色に染めたごく普通の若者だった。背格好は目の前の原尻君とほぼ同じで細い。最近の若者らしく、細く揃えた眉毛に四角い顔、顎の細い青年だ。

「この写真、頂けますか?」

 隈井さんが尋ねると、「メール・アドレスを教えてよ。転送するから」と原尻君が答えた。原尻君に写真を転送してもらうと、隈井さんは「是永さん。塩市さんの私物で、何か残っているものはありませんか?服や帽子、何でも結構です。塩市さんが使っていたものであれば、何でも」と是永社長に声をかけた。

 塩市拓谷さんの指紋、DNAが欲しいのだ。

「拓谷の私物ですか?う~ん。探してみましょう。あいつが会社を辞める時、一切合財、みんな持たせてやりましたから、何も残っていないと思います。あいつは嫌がったんですがね。いずれ必要になる時があるかもしれないから持って行けと言って、押し付けました」

 是永は申し訳なさそうに言う。やはり良い人だ。

「おい!」と受付の女性を呼んで、探してもらった。すると、塩市拓谷さんが使っていたタイムカードが出て来た。指紋が取れるかもしれない。

「助かります」隈井が大切そうに受け取って、ハンカチで包んだ。

 原尻君は居心地悪そうに座っていたが、是永社長に「勇次、もう行っていいぞ」と言われると、安堵の表情を浮かべて、飛ぶように工場に戻って行った。


 是永鉄工所の訪問を終え、七軒屋に向かうことになった。

 服部由紀さんが失踪したと連絡を受けたからだ。家に閉じこもったままの由紀さんを心配した芦刈さんが様子を見に行ったところ、いなくなっていることに気がついた。そして、慌てて通報してきた。

「どうしたのでしょう?」

「分からない。最悪の事態でなければ良いけど・・・」

 隈井さんが渋い顔をした。車内に静寂が訪れた。

――ひとつ分かったことがある。

 広大君が言う。

「何だい?」

――どうやら、塩市拓谷は鉄工所で五本爪の凶器を製作していたらしいね。

「えっ⁉」と、思わず声が漏れてしまった。

 隈井さんが「何だ?」と怪訝そうな顔を向ける。

「いえ、塩市拓谷さん、鉄工所で五本爪の凶器を製作していたんじゃないかなって思いついたものですから」

 咄嗟に胡麻化した。広大君が怨嗟の声が聞こえてきそうだ。

「なるほどな。塩市拓谷は一人、鉄工所で作業をしていた。確かに、五本爪の凶器を製作していた可能性があるな。今回の事件がクマゼコの仕業でない限り、今まで誰も見たことがない凶器が犯行に使用されたのは間違いないと思う。クマゼコの爪に似せて凶器を作ったと考えるのが妥当かもしれない。塩市拓谷はその為の技術と機会の両方を併せ持っていた。そういうことか」

 隈井さんの解説を聞いて、広大君の言ったことが腑に落ちた。なるほど、そういうことだったのか。

「塩市晴美、拓谷親子について、もう少し調べる必要がある。橋内さん以外に、彼等と親しかった人物を探し出さなければならない。五本爪だけに、詰めはしっかりとな」

 駄洒落だろうか?真面目な顔をして、しれっと冗談を言う人だ。

「参の屋さんが気になります」

 これは僕の考えだ。

「塩市拓谷が連絡を取り合っていたらしい田口公正か。良い着眼点だ」

 隈井さんに褒められた。どうだい?広大君。

 僕の挑発を無視して広大君が言う。

――そう言えば、言い忘れていたけど、橋内さんの話を聞いた時、変だなと思ったことがあるんだ。

「何だい?」

 教えてほしいかい?なんて意地悪なことを広大君は言わない。彼は常に僕の味方だ。

――塩市家のお宝、明末の崇禎年間に景徳鎮民窯で焼かれた陶器だと橋内さんは言っていた。

「確かにそんなことを言っていたような気がする」

 はっきりと覚えてない。

「明の崇禎帝という皇帝は明王朝最後の皇帝だ。ラスト・エンペラーとして有名なのだよ。明王朝の末期には北に興った金という満州族の建てた国の外圧に苦しんでいた。そんな中、李自成という人物が農民の反乱軍を組織する。反乱軍に首都、北京を攻められ、内応者が相次ぎ、北京はあっさりと陥落、明王朝は滅亡した。李自成に攻められた崇禎帝は、故宮の北にある景山公園の槐の木で首を括って自殺したという。

「はあ・・・?」

 何を言いたいのだろう?

――崇禎帝は猜疑心の強かった皇帝で、山海関で満州族の侵攻を一手に防いでいた袁崇煥という名将を讒言により誅殺している。そのことが明王朝の滅亡を早めてしまった。まあ、袁崇煥の力をもってしても、明王朝は内憂外患だったから、長くは持たなかっただろうけどね。

 少々、得意になり過ぎだ。

 で、その崇禎帝がどうかしたの?

――崇禎帝はさっきも言った通り明王朝の最後の皇帝だ。皇帝としての在位期間は千六百年以降、明の滅亡は一六四四年、一方、大友宗麟の二階崩れの変は、一五五○年の出来事だ。

「だから何なの?」

――分からないの? 二階崩れの変の方が、崇禎帝の治世より百年も前の出来事になる。二階崩れの変で塩市丸が百年後の明末のお宝を大友家から持ち出すことなど不可能だ。七軒屋の起源は、戦国時代ではなくて、江戸時代に入ってからと考えるのが妥当なような気がする。年貢の重税に喘いだ農民が、人も通わない山奥に逃げ込み、開いたのが七軒屋なのだろうね。

「分かったけど、隈井さんに話しても、仕方のない話だね」

――好きにしなよ。

 広大君に見放されてしまった。

 暇になった僕は手帳を取り出すと、容疑者リストを更新した。


 容疑者リスト

● クマゼコ~妖怪?殺害方法がクマゼコの特徴と一致。五本爪。

● 芦刈喜則~七軒屋住人。第一発見者。消去法で最有力容疑者。

● 首藤医師~遺体を自分に偽装して失踪。殺害の動機不明。

● 塩市拓谷~入田、服部、首藤に恨みがある。行方不明。

● 田口公正~元七軒屋住人、行方不明。塩市拓谷と接触?


 塩市拓谷と連絡を取り合っていたという田口公正を追加してみた。

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