幼少期に夢を見る次の機会は、母がいなくなって三年後の真夏に訪れた。その頃の私は遊び場を庭から川へと変えていた。同じ年の初夏に、父が川への行き方を一度教えてくれたので、それからは同行する大人が誰もいなくてもひとりで遊びに行っていた。

 そこで久しぶりに私は夢を見つけた。河原で、私の腰あたりの高さで、やはりゆっくりと不規則に飛び続けていた。嬉しくなって私は夢を捕まえようと走った。しかしその夢は少し賢く、追い払われた蝿くらいの絶妙に捕まえられない程度の速さで、葦の林の中へと逃げていってしまった。その時は残念な気持ちよりも、再び夢に巡り合えた嬉しさで胸がいっぱいだった。

 私は毎日のようにその川へと足を運び、やがて蝉の声も薄まった秋口となった頃、一匹の夢を手のひらの中へと捕まえることに成功した。その川に生息する夢としては、少し小さく色彩が単調な夢だった。私は喜ぶ間も惜しんで、すぐに夢の体を引き裂いてみた。夢は、蒸かした芋のかけらを指でほぐす感触をさらに軽くしたくらいの、独特の手応えがしてすぐに砕けた。メリケン粉状になった夢は、空気に溶けるよう消えていく。その粒子を集めるべく触れると、さらに細かく粉々になり、ほんのかすかな風にもさらりと吹かれ、やがて全てなくなってしまった。

 鱗粉のようでもある、肉眼で見えるか見えないかほどの小ささにまで砕けていく夢のひと粒ひと粒に、確かな生物の躍動を私は感じた。それは潰して手のひらに貼りついた蚊の脚が痙攣する気配に似た、触覚として肌では感知できないほどの懦弱さだった。その一瞬の感触に、私はきめ細かな母の声を思い出し、夢の幽幻な色が溶けて失われていく様子には、幼い記憶とか愛情とかいったものよりずっと単純で原始的な、心を捉える美しさ、人ならざる野生の恐ろしい繊細さを受け取り、しばらくそこから自らの意識でもって、声を出すことも、体を動かすこともできなかった。とてつもない存在の一片に触れてしまったような気がしていた。

 そうして私は夢に囚われた。夢について少しでも多くの事柄を知ることが、私の生きる大きな目標となった。あれからずっと、今まで、私の心はひと時も夢から離れていない。瑞々しい少年の時を、私はただひたすらに夢のため、独学での学問に費やしたことは、私の人生において最善の選択であったと思われる。この礎は一生の財産だ。当時から在宅時は二階に閉じ込められていたが、勉学に熱中していた私にとって、その環境はさして大きな障害とはならなかった。

 私より二つ年下で、叔母夫婦のもとに生まれた息子である従兄弟は町の学校に通わされていた。彼は私を避けていた。私はそれをつまらなく思っていた。しかし、いつかに彼から直接聞いたのだが、叔母によって私へとは近づかないよう常々吹き込まれていた為にそうしていたらしい。では彼自身は私をどう思っていたのか。それさえ分からないほど、ひとつ屋根のしたで育てられながら、私たちは接点を持つことができなかった。ただ彼は叔母夫婦によく世話されながら学校に通い、私は放任されながらひとり、夢のための勉強をしていた。それが当然の日々だった。

 しかし夢を知らない人の多いこと、それが私を苦労させた。屋敷の蔵書を読み尽くし、町で本を取り寄せ、あらゆる文献を調べても、夢やそれに近しい生物について記述しているものが見当たらない。なぜなら虫は地域によって生息形態が大きく異なる。そして未だ新種が多く発見されている。夢がこの辺りに僅かしか生息しない生物であるのなら、未だに研究がされていないのも無理はない(唯一、近しい存在として――私はケサランパサランというものが、江戸時代の民間伝承に登場していたのを知った。それは生物なのか何なのかもよく分からない、白く柔らかい毛玉状の物体であるようだ。幸運を呼ぶものとして、当時の人々に桐箱の中で飼われていたらしい。私はこれを、夢が虫として認識されずに伝わった結果だという可能性もあるのではないかと思っている)。私は先人による文献からの研究ができないことをゆるやかに察し、一時は望みを断たれた気分になっていた。が、すぐに違う考えを持つことができた。私が夢の研究をする第一人者になれば良いのだ。人の滅多に行き交わない、山に囲まれた屋敷近くの、この環境下から生息地を広げられない、あるいは他の生息地を追われてここにしか残っていない、そんな知られざる生物がいることは大きな発見となるだろう。私に出世欲などはないし、夢を俗な話に利用するつもりもないけれど、未だ知られざるにある存在を読み解き、人に伝え広めれば、世の役にたつことは充分にできる。私を人間嫌いであると叔母夫婦は思っているらしいが、私が嫌っているのはあくまで叔母のような頭の悪いむかっ腹共であり、社会のために考え、自らの英知を養い分け与えようとする普通の頭を持つ人々に対しては当然の敬意を持っている。豊かで理性的な社会には、私の研究が受け入れられ、より良く利用されていくに違いない。

 少年から青年へと成長する年になったころの私は、夢の研究をする傍ら、親の面影を探したいという気持ちよりも、自分自身の由来を知りたいという一心で、母について具体的なことを調べてみようと幾らかの行動を試みた。けれど、すでに我が家には母に関するものが何も残っていなかった。写真の一枚でも見てみたいと思っていたのだが、それすらどこにも見当たらない。他所の大学へ出された従兄弟に手紙で聞いても、返事は帰ってこなかった。

 母について、父や叔母一家に訊いてはいけないとの雰囲気は、もう小さなころからとっくに把握していた。そんな考えを家族で共有するに至った経緯を知ろうとすることさえ、大げさな禁忌のように扱われている有様だった。私にとっては知らない方が良い話であると家族たちは判断しているのだろう。しかし私自身は、もしも母がとんでもない罪人だとしても、すでに故人だったとしても、大きな衝撃を受けたりはせず、ただそこにある事実として、新聞記事上の出来事のように容易い気持ちで理解するに違いない。あまり本腰を入れて詮索しないのも、母の具体的情報に対する興味がその程度のものであるからなのだろう。叔母夫婦が愚図で的外れな気を回して、私に貸しを作っているつもりになっているのが癪だが、私がそれを黙っていることで家の調和を保っているかもしれないのだから、しばらくは考えずにいてやるべきなのか。こんな小さなことを毎日のように考えなければならない環境は情けなく思う。早く夢の研究を成就させたい。それがどこかの大学か企業に認められたなら、まずは叔母夫婦をどこかへ転居させて、ここは夢を研究する専門施設に改築するべきだろう。

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