母がどこへ行ったのか、私はしばらく誰かに尋ねたりはしなかった。庭園で遊んでいれば、またいずれ縁側で座っている姿を見ることができると思っていた。ある時ふと、現在はもう故人である祖母に、母とはいつ会えるのか訊いてみたことがあった。祖母はそんなことは忘れなさい、とだけしか答えてくれなかった。

 色々考えてみると、私は母に捨てられたのかもしれない、と思えてくる。が、だからどうということもない。生活に不自由はなかったし、そもそも母という概念を具体的に理解する前に母の像を失ったので、そのために辛い思いをした覚えも特にない。世の中の、母を失った他の人達よりも、こうした点については幸運だったと言えそうではある。

 母が姿を消してからも、幼い私は庭でよく虫を探していた。母に名前を教えてもらった種類のものを見つけては、その脚や触覚をもぎ、首を千切り、腹を裂いた。深い理由のない遊びだった。部分ごとの細切れになった虫は、それでも脚だけ、頭だけなどで動くことがあった。だんだんと動かなくなっていく様子も、特に意味はないけれど好んで見続けていた。蛍も再び捕まえる機会があり、中身を見てみたが、他の虫と大きく違うところはなく、がっかりした覚えがある。本当に殺してみたかったのは夢だが、その夏はもう庭で見かけることができなかった。

 翌年の夏も、私は毎日庭でひとり遊んだ。相変わらず夢は一匹も見つからなかった。さらに翌年も見つからなかった。

 そのころになると私は美しい甲虫の翅なんかを、失くさないよう空き瓶の中に集めて保存することを覚えていた。また、特に剥ぎ取りたい翅もない虫は、もう無駄に殺したりしなくなっていた。意味なく同じことを繰り返して遊ぶのに飽きる頭を持ち始めたからだろう。代わりに、瓶の中に鮮やかな翅が増えていくのを、達成感という新しい感情とともに、大いに楽しむようになっていた。以降、この遊びはわりと長い年数続けていた。今でも玉虫を見かけると、もう翅が欲しいとは思わないが、どことなく嬉しいような得をしたような気持ちになる。

 当時収集した瓶は大小十数本にもなった。それらはまだ私の部屋の天袋へ保管してある。昆虫標本に適した処置などもちろん行っていなかったのに、最も古い二〇年前の瓶の翅でさえ、全く色あせたり干からびたりせず、生きて虫の身に纏われていたころと変わらない鮮やかさのままで残っている。処分する気はない。生物学的、保存学的、その他資料的に役立つものかもしれないし、何といっても美しい。それに幼い自分がそれなりに苦労をして集めた、幼気な心がこもった品でもある。

 数年前、叔母にそれらを捨てられそうになったときは声を荒げてやめさせた。今でも忘れられない。根に持つつもりではないが、叔母が素直に非を認め、私に謝ったなら、お互いこんな嫌な思いをすることはなかったのだ。この家にはいらない家具やがらくたが他にいくらでもあるというのに、掃除という不自然な名目を貫き通し、白々しく理由をつけて捨てようとするあたりに、隙あらば私を見下そうとしている叔母の、腐った性格が垣間見られる。

 叔母は虫の死骸など不衛生だ、悪趣味だ、と浅ましい感情にまかせて私にわめきちらした。もうずっと昔に採った、腐りもしない乾燥しきった翅が不衛生だとは正気で言っているのだろうか。それに本で知っていたのだが、甲虫の彩り豊かな翅は、古代の女性にとって装飾品や化粧品の高級な素材であったそうだ。叔母はクレオパトラにも面と向かって悪趣味だと言うつもりなのだろうか。こんなに物事を考える力のない叔母を持って、つくづく恥ずかしい。

 だから私は冷静に、捨てたくない理由や、叔母の捨てたい理由に対する反論を、馬鹿でも分かる易しい言葉で伝えてやったつもりだった。しかしどれだけ噛み砕いて伝えても、叔母は感情的に、気持ち悪い、捨てると言ったら捨てる、などともはや何の意味もない言葉でまくしたてるので呆れた。まあ仕方ない。幼児に対して大人が、普段使う台詞で物事を説明しても伝わらないように、頭の悪い人間には、頭の悪いその目線にまで程度を合わせてやらないといけないのだ。私はなるべく大声で、捨ててはいけないとの旨をまじえた言葉を、気乗りしないが感情を込めてかけてやった。そうすると叔母はただ声量や声色に込められた迫真で負けたに過ぎないのに、まるで順序だった理論で説き伏せられたかのごとく、あっさりと諦め、大人しくなり、襖をわざとらしく急いで閉め、私の部屋から立ち去った。その見かけは犬猫のしつけとまるで変わりなく、人として不快な気持ちにさせられる。だが仕方ないのだ。しかも私の言っていることを叔母は理解できないのだから、多分、頭ごなしに行動を否定されただけだと誤解しているに違いない。思い出しただけで腹が立つ。叔母は多分根に持っている。しかも彼女のは本当にただの逆恨みに過ぎない。こんな哀れな家族がいるおかげで、夢の研究が妨げられることもある。彼女の存在は取るに足らないくせに邪魔な問題だ。私と顔がとても似ているというところも、余計に腹立たしく感じる一因を買っているのかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る