二階の窓から見える田園では、苗代から移植されたばかりの稲が、若葉の彩を息吹かせていた。今日は我が家へ庭師が手入れを施しに来る。彼らは雑草を刈ったり、樹木を剪定したりするほかに、庭に掘られた小さな池の水を抜き、薬を撒いて、ぼうふらや糸蚯蚓を駆除する作業もしている。

 その馴染みの庭師は、いつも叔母夫婦から呼ばれて来ていた。夫婦はふたりとも私と同じく、今はこの家に住んでいる。他人を家に招くとき、応対をするのは彼女らだ。私は誰にも会わずに二階にいるよう命じられている。それは昔からの決まりなので、この言いつけ自体には特に何も思わない。けれどもそうしていては遂行できない目的を私は持っている。庭師へと、叔母たちには秘密で頼まなければいけないことがあるのだ。それは夢を知るための実験への協力である。

 我が家の門をくぐり、石畳を歩く庭師の姿を私は窓から眺めていた。いくつかの木箱と道具を積んだ車が門の前に停まっている。毎度庭師は弟子をつれて二人で作業をしに来ているのだが、その若い見習いが三輪トラックの番をしているのも、ここから見ることができる。

 庭師の姿が軒下へ消えると、すぐに玄関の引き戸が開けられる音がして、「○さん!」と私たちの苗字を呼ぶ声が聞こえた。たぶん叔母が出迎えに行っただろう。

 庭を景観よく整えることは夢の生育にとって良くないと、観察を続けた私によってすでに判明している。剪定を終えた庭で観測される夢の数は、すぐに回復するとは言え毎回明らかに減少しているのだ。もし夢の食物が松の新芽や野草の蜜だとすれば、庭師の仕事は夢の暮らせる環境を破壊するものだということになる。

 しかし、それは彼らのおかげで夢に対する調査が進んでいる面もあるということだ。今は、夢が生きるためには何が必要なのか、それを少しずつ割り出すことに快く協力してもらっている。庭師は私が幼かったころからの知り合いだ。調査の協力を求め始めるまで、直接話す機会は十年以上なかったが、成長した私を見てもひと目で思い出してくれた。私の頼みについての意図を彼に理解させるのは難しかったが、どうやら分かってくれたようで、今は引き受けてもらえている。

 今回は池の水の入れ替えをやめさせるつもりだ。前回は琵琶の剪定を中止してもらった。その前は松だった。

 この調査方法を思いつき、一番初めに庭師へ指示したのは、片喰を刈らないようにとの内容だった。片喰は目立たない黄色い花だ。庭掃除を私に押し付けている叔母夫婦なら、整頓したはずの庭に雑草がいくらか残っているくらいのことには多分気づかないだろうと思ったのだ。それについては案の定で、その後はこべや蓬を残させた時も上手くいった。叔母なんかには不自然で意図的な、環境における粗が全く見えていないようだった。私の実験を進めるにあたってはありがたい鈍感さなのだが、灯篭や庭石の周りに明らかな緑のまばらがある庭を眺めて、「すっきりしたわね」だのと間抜けなことを言っていたのには呆れた。こんな観察眼のない人間だから、後世にとって何が大切なのか理解する気持ちを持たず、あげく私と私の研究を煙たがったりするのだと思う。

 私は階段を下りて仏間を通り、裏口から外へ出た。今頃叔母は土間で何かしているか、そうでなければ買い物にでも出かけている時間だ。叔父は銀行へと勤めに行っている。庭師達は三輪トラックに積んであった脚立やポンプを運び出しているころだろう。

 考えてもみると庭師から協力を得るこの実験方法に気づいた際、真っ先に知りたいと思ったものは、やはり池の水抜きを止めさせた場合に得られる結果についてだった。それをすぐに行わなかったのは、叔母に対する遠慮が私にはあったからだ。叔母はこういった山あいの田舎に住む者のわりに、血を吸い飛ぶ蚊を嫌っていた。もちろん好かれる虫ではないだろうが、叔母は一度、蚊を感染源とした病に倒れたことがあり、そのため他人よりも余計に蚊を恐れているのだそうだ。

 定期的に庭池を入れ替え、消毒しなければ、真夏にどんなことになるかは目に見えている。しかし、今回はとうとうそれを止めることにした。このままではいつまで経っても成果があげられないと一念発起したからだ。腹をくくってしまってからは、くだらない仏心のせいで研究を妨げられていたことが、度々悔しく思えてしまう。

 夢が生育する環境下において、水の状態はとても大切だ。これは山の清流、川、自宅の夢を比べると誰だって気づく。薬品臭い消毒済みの水を流し込まれた庭池が、野生の夢にとって良いものであるはずがない。我々の目に映るとき、夢はいつだって宙を飛んでいるが、だからといって水中を全く住処にしていないという理由にはならないのだ。蜻蛉や蛍は良い例である。また、消毒され水中で死滅する微生物が夢の食物であるという説も挙げられる。いずれにせよ、夢に必要な生息環境を調査するにあたって、水場の重要性がどれほどのものであるのか、今回によって分かることになる。

 しかし今、私は少し困っていた。はこべを刈り取らなかった程度のできあがりなら問題ないのだが、庭木の剪定の中止など、馬鹿でも目に見えて分かる箇所を残させる場合には、この調査が滞りなく行えるよう、庭師の口から「木が弱ってきているので~」などと叔母達へ適当な説明をいつもつけさせている。もちろん出鱈目だが素人を誤魔化すには十分だった。だが池の水を抜いてはならない理由とは何だ? と考えると思いつかないのだ。嘘を吐かずに黙っていても、庭池は水を入れ替える前後では明らかに様子が違う。手入れが終わった後の真水は澄みきっているが、今は細かい藻が漂い、緑に濁って底が見えない。どうしたものかと私は思った。が、よく考えれば調査の目的は叔母を騙すことではない。水の入れ替えと夢の関係について分かれば良い。言い訳などせずとも目的は達成される。ならば叔母が庭池に気づくより早く、庭師たちを上がらせるのだ。そうすれば後日、行われなかった作業が叔母の催促のもと遂行されるだろう。そのころには大まかな調査は終わっている。これなら大丈夫だ。私は植木の角を曲がり、中庭に出て庭師の弟子に声をかけた。

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