第19話

布留川先生。化学教師。理不尽な指導はないが、熱血な指導もない。生徒からの印象は「誰そいつ?」といったところだろう。何故そんな人が教師になったのか、いやそれ以上に化学教師であるのに文芸部の顧問である理由は?

疑いの二文字が脳内を占める。

これ以上の収穫はないだろうと、化学室を後にしてから私はずっと上の空だった。


「雲瀬っ!!」


そう言われた時にはもう遅かった。私は階段で足を踏み外し、落ちていった。

スローモーションに見える景色、しかし何もできない。

そういえば、あの時も…




「自分の名前、言える?」


目の前には、綺麗な若い女性がいた。


「いと、雲瀬糸です」


その女性は微笑んだ。ああそうだ思い出した。この人は保健室の先生だ。周囲を見回すと私は保健室にいるらしいが、何故ここにいるのかが思い出せない。


「あなた階段から落ちたのよ。それで頭を打ったの。お友だちがここまで運んできてくれたから、後でお礼をちゃんと言いなさいね」


そう言われて自分の頭に保冷剤が当てられていることに気がつく、そしてつい先ほどまでは全く痛くなかった頭が、急に痛くなり始めた。

その痛みとともに化学室に行き、残りの骨を見つけ、階段から落ちたことを思い出した。しかしその先の、保健室に来るまでの道はどうしても思い出すことができない。


「目を開いているのに、呼びかけても反応がないってすっごい心配してたわ。脳が激しく揺れたんでしょう、親御さんに電話するわね」

「いえ、大丈夫です。全部思い出しましたから」

「大丈夫じゃないよ」


私はその言葉の力強さに気圧されて、思わず黙ってしまった。


「ごめんなさい。怖がらせるつもりはなかったの」

「いえ、どうぞ電話をお願いします」


先生は親に電話をかけた。どうやら車で迎えに来てくれるらしい。二十分ほど保健室で私は待つことになった。


「そういえばこの前、日下部さんが過呼吸になった時、連れて来てくれたのはあなただったわね」

「はい」

「あの時ね、この子は私と近いなと思ったのよ」

「近い…」

「人はすぐ死ぬって考えてるなって…私何話してるんだろ。ごめんね、安静にしてて」


隣に腰掛ける先生は、白いシーツの上に白い白衣、白すぎる肌で、なんだか消えてしまいそうだった。


「いや!!…。

あの…もしよかったら、続き聞かせてください」

「…そう。私ね、高校時代、大好きだった先輩が死んじゃったんだ」

「…」

「どう反応していいか分かんないよね。私もずっと言えなかった。それを生徒にぶつけてるなんて最低だな私」

「…私もついこの前、友だちに同じようなことをしました」

「そっか」


それからは沈黙が続いた。私の脳は確かに何かを発見していたが、それは分厚い雲によって遮られていた。その雲を払いのけようとするたび、頭に激痛が走る。

電話がもう一度かかり、母が運転する車が校門の前に止まっていた。


「大丈夫なの?」「何しててこけたのよ?」「あんたはいっつもボーっとして。それで大怪我したこと忘れたの?」「プリン買ってあげるわ」


母の口からとめどなく流れる言葉をBGM代わりにしていると、脳内の雲も流れを取り戻してきた。

念のためリュックサックに入れておいた自己紹介シートを見る。科目がある人だけが、先生ではない。


『養護教諭。細井心ほそいこころ

光台高等学校出身です!!趣味は読書、新人ほやほやだから優しくしてください笑』





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