四足歩行
冷たい何かが頭をつたる感覚で目が覚めた。ぼやけた視界に誰かが映る。
「あ!大丈夫?生きてる?」
そこにいたのは高橋蘭だった。
横たわった俺の頭付近に彼女は座っていた。片手には空のペットボトル。
心配そうに覗き込む彼女を前に俺は何も言えなかった。
一刻も早くこの場から立ち去りたいが身体に力が入らない。
「救急車呼ぶからね、もう大丈夫!」
そういって鞄から携帯を取り出そうとする彼女。
「……や……めぉ」
「痛い痛い!服引っ張んないでよ」
彼女は怒ったようにこちらを見たが、縋るような俺の顔から何かを察したのか電話をかけることはなかった。
代わりに俺をベンチまで引きずり何処かへ行ってしまったかと思うと、水を買って戻ってきた。
「はいこれ、飲みな」
渡されたペットボトルの心地よい冷たさを感じながらも俺は飲むのを躊躇った。
身体も脳味噌も溶けた鉄にまだ浸かっている。まだチャンスはある。
しかし、先程彼女が俺の頭にかけた水と、秋夜の冷たさが鉄を個体に戻そうとしている。やはりこれを飲むべきではないと思い、そっと横に置いた。
「え?なんで飲まないの?」
「……ぁ……ぇ」
なにか言い訳をしようとしたが、喉が乾涸びていて上手く言葉にならない。
「何よ?せっかく買ってきたのに」
口を尖らせて不満げに言う。
かと思えば、いたずらを楽しむ子供のような笑みを浮かべた。
「そっか、直接口に欲しいのね」
そう言うと俺が横に置いたペットボトルを手に取り、キャップを開ける。
直接?!それって、えっ、キ、キッ。
この卑猥な思考が良くなかったのだろう。
狼狽えた一瞬の隙を突き、彼女は俺の顎に手を添え、軽く上げると水を流し込んだ。
拒絶しようと試みたが、一度口に入った生命の神秘を瀕死状態の俺は本能に逆らえずに飲み干してしまった。
「プハッ」
身体の熱が徐々に下がってゆくのを感じる。
「どう?気分は」
「……最悪だ」
ベンチに座った二人の髪を秋めいた夜風がそっと撫でる。
────重たい沈黙の空間を先に破ったのは彼女だった。
「私さ、親が転勤族だから友達出来ないんだよね。ワキガでいじめられた時もずっと一人で我慢してた」
彼女の目が遠くを見つめる。
なぜ今そんな話をするのだろうか。
「仲良くなっても連絡してくるのは最初だけ。一年後には新しい友達作りに必死なんだよ」
彼女の声には、諦めにも似た冷めた感じがした。
「……だからなんだよ」
苛立ちを含めた声で返す。
「だからね時々すごく寂しくなるんだ。親が死んだら私はこの世界に一人ぼっちだなって」
顔を向けてくる彼女。
一人ぼっちか。わかったようなこと言いやがって。
「でもね、私はそれでも頑張って生きるよ。だって美味しいご飯とかたくさん食べたいもん!」
彼女は俺から何かを察し、元気付けようとしたのかもしれない。
でも、その瞬間、何かが切れた音がした。
「……ふざけんなよ?何が一人ぼっちだ」
まずい、止まらない、と直感的に思った。
「お前がいなければ俺はこの世界から解放されたのに。全部お前のせいなんだよ。俺の前から消え失せろよ!!」
立ち上がって、声を荒げて罵倒する。
「上辺だけの不幸ちらつかせて同情してくる奴は何もわかっちゃいない」
震える声で鋭く彼女を睨みつけた。
「ごめんね、一旦落ち着いてほしい」
彼女は冷静にそう言った。それが俺の神経を余計に逆撫でした。
千鳥足になりながらもボールが転がったところまで行くと振り返り、ベンチに座る彼女の横めがけて思いっきり蹴った。
威嚇のつもりだった。ところがふらつく足から繰り出されたボールは彼女の綺麗な顔に強い衝撃を与えた。うずくまる彼女を見て、俺はその時やっと冷静になった。
顔を見ると左の頬が赤く腫れている。
「ごめん……そんなつもりじゃなかったんだ」
挙動不審になる俺に、彼女は涙目で笑いかける。
「うん、大丈夫だよ。辛かったんだよね」
それは労わるような優しい笑顔だった。
「……本当にごめんなさい」
色んな感情が頭の中で交差し、俺はその場に泣き崩れた。
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