第2話

 私を覚えていますか。


 そう最後のページに書かれていた。最初で最後の一行となるこの文は、ご丁寧に目立つよう、ページの真ん中にでかでかと書かれている。


 訳が分からない。お遊びにしては簡略すぎる。それに著者やこのメッセージの対象も書かれていないため、混乱は加速していく。

 そして一番の謎は、なぜこの本棚にあったのか。


「覚えている訳ないだろ。そもそも誰に対して───」


 ボトッ───


 また本が落ちた。

 誰の手も借りず、本が一人でに落ちた。


 目の前で起きた超常現象に背筋が凍る。肝が冷える。

 だがやはり本は本棚から落ちていた。


 今度落ちてきたのは青色の分厚い本だった。こちらもまたタイトルや著者の名前はないが、ソフトカバーの背にはシワがあった。


 震える手に抵抗し、恐る恐る本を開く。



「ここから、出してくれ」



 なんだ、なんだ、なんだ。

 なんなんだ、この本たちは。


 最後のページまで文字はおろか、挿絵もない。これは本なのか、本と言っていいのか。なぜたった一行のために、こんなにも分厚い本にする必要があるのか。対象は誰なのか。誰に対して言っているのか。なぜ落ちてくるのか───


 ボトッ。



 ボトッ。ボトッ。ボトッ。



 二度あることは三度ある、とは言ったものだが、六度あるとは聞いてない。




 だが、六冊ともなると流石に慣れたものだ。




「次はいつ落ちてくるんだ?早く落ちてこいよ」




 挑発的な視線で本棚を舐め回すように見つめるが、本棚もこちらに対抗しているのか、本を落とす気配がない。




 時計の針は七時を回った。外はすっかり明るく、太陽がこの部屋で起きている顛末を見ようと外から覗いている。人の動きが活発化する時間帯だが、依然としてこの部屋は静寂に包まれていた。




 そうして五分にも及ぶ本棚との激しい攻防戦が続く。




 最初に折れたのは僕だった。




 床に落ちた本に目線の対象を変える。どうやら全ての本に共通しているのはタイトルと著者を失っていることだが、背にはやはり誰かに読まれた痕跡がくっきりと残っている。本棚にある本はあらかた読み終わった私だが、このような謎めいた本は読んだことがない。





「俺たちはただの道化に過ぎないのか?」




 意味がわからない内容ばっかだな。そもそも誰がこんなことを書いたんだ?。


 パタンッ───





「私たちには自由を得る権利がないのか?」




 同じような形式の本のみが落ちてくる。なんらかの関係性はあるのか?


 パタンッ───





「君は本当に覚えていないのか?」




 あぁそうだよ。てかそもそもお前は誰なんだよ。誰に対して言ってるんだよ。


 パタンッ───





「───」





 パタンッ───






 そんなことは覚えていない。






       ────────────────────────


 





 途端に工事現場から生み出される音がドラムロールを模し、風の悪戯でカーテンが閉じる。主人公は読者観客にお辞儀をするかのように倒れ、そのままピタッと静止する。


 騒々しかった人の足並みも、生命溢れる蝉の叫びも、全て時計の秒針が生み出す音に掻き消される。




 そんな秒針の音も徐々に力を失うように弱くなり、間隔を延ばしていく。





 暗転したこの部屋はもう用済みだ。






 ───針が消える。時計はその役割を終えた。







 音も、光も、時間の概念も、もう何もこの世界には通用しない。








 とっくに意義を失ったからだ

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