ベガちゃん配信中
「アルタイルくん達~!天の川越しに会いに来てくれてありがとー★」
オープニングがフェードアウトし、ベガちゃんのあいさつが鼓膜を震わせる。
アルタイルというのは、彼女のファンネームだ。ベガなのでアルタイル。安直である。
ピンクの髪を高めのツインテールに結び、同じくピンク系統の地雷服に身を包む。
サブカルの化身という見た目通り、かわいらしい声なのだが、トーンが低く、デフォルメのかわいらしさを押し出す気はなさそう。
むしろかなり知的で戦闘民族。
配信中にリスナーにレスバを仕掛けられては、炊き返して返り討ちにしている。
大き目の事務所に所属しており、最近登録者数も70万人に到達した。
それを記念して今度、小さな箱でソロライブがあるくらいには人気である。
ただ――
最近ベガちゃんにはよくない噂が付きまとっている。
「ねぇ!なにしてるの?童貞くん!」
「わわっ!?」
ふわりと甘い臭いと、少しの汗が鼻腔をくすぐる。
重さと柔らかさが質感を持ち、空気と肌の間に滑り込んできた。
「あ、天川さん!?」
「あ!これVtuberってやつ?知ってるー!」
「うぇ?」
覆い被さってきた天川さんは、頭に顎を乗せたまま喋る。かくかくして痛い。
僕の手を覆い被せるようにつかむと、勝手にキーボードの操作を始めた。
彼女を止めようとしたが、おっぱ……声の出し方どころか息の吸い方すら忘却の彼方。
空気の代わりに喉が喉を埋め尽くす。
ぬるい水風船に脳をまさぐられ、全ての世界が焼失したみたい。
「『好き』と『愛してる』の違いは何ですか?と」
僕の人差し指をつまみ、たどたどしくキーボードに上下させている。
恋愛しかコミュニケーション手段のないJKが好きそうな話題を、配信コメント欄に打ち込んでいるみたいだ。
ほんと、恋愛のスキルツリーを伸ばして何が楽しいんだろうか?そんなもの結婚すれば使い道がなくなる。
まぁせいぜい結婚後も浮気をすることにしか使い道は…
って!僕のアカウントで何してるんだよ!
「『好き』と『愛してる』の違い?珍しいことを聞くのね、アルタイルくん」
雑談中のベガちゃんは、天川さんのコメント…というか僕のアカウントのコメントが目についた様子。
少し考えこんでから話し出した。
「『好き』も『愛してる』も、全く同じ入れ物よ、受け取り手がそこに何を込めるかってだけ」
「そうなの?」
天川さんはたぶん首をかしげている。ぷにりとやわらかい頬が、頭頂部で圧し潰された。
無邪気に僕に質問してるっぽいが、ベガちゃんに聞いたことを、僕が答えられるわけがない。
ちなみ言葉と同時にコメントを打っている。
同接数千人なのに、よくもまあポンポン書き込めるもんだ。
「一般的に『好き』よりも『愛してる』の方が重い言葉といわれてるわよね。けど考えてもみて?お調子者の友達に『愛してるよ~』と軽く言われるのと、自分を好きな後輩に校舎裏に呼び出されて『好きです…』って言われるの、どっちの方が重い?」
「確かに!それだと『好き』の方が気持ちがこもってるかも!」
「ぅ…!」
テンションの上がった天川さんに強く抱きしめられる。
ただ……恐らく天川さんは、ベガちゃんの言いたいことを理解はしていない。
だがある種、それこそが正解なんだと思う。
ベガちゃんが言っているのは、つまりはコミュニケーションに意味などないということ。
人が人に贈る言葉は愛しているとラベリングされた空っぽの箱だ。
贈られた人は相手がどれくらいの気持ちを込めたのかを想像しながら箱を開け、さながら量子もつれのように、箱の中には想像と全く同じ量の気持ちが確定するのだ。
結局は幸せな奴はずっと幸せで、ネガティブな奴の世界は歪んでしまうという訳。
それはつまりベガちゃんは自分の言葉が自分の意図通りに伝わるという奇跡を期待してはおらず、天川さんがそう受け取ったならそれが天川さんの中での正解なのだとあきらめ切っているのだ。
ガタン
「あ……お父さんが帰ってきたみたい…ごめんね、配信切る」
ベガちゃんの高性能マイクが物音を拾い、寸刻を待たずして配信が終了してしまった。
残されたコメント欄には困惑ではなく、『またかよ』という空気が流れる。
『どうせ彼氏が帰ってきたんじゃないの?』
『つーか結婚してるんじゃない?子供が泣き出したとか』
実家暮らしだと公言しているベガちゃん。
だから家で物音がしてもおかしくはない。
ただおかしくはないからこそ、家で立った物音に敏感な理由が不明瞭なわけだ。
まぁ僕はマネージャーじゃないから明瞭にしろとも思わないし、彼氏がいようと結婚してようと、ベガちゃんはベガちゃんなんだからどうでもいいんだけど。
「ねぇ!このVtuberの子、彼氏がいるの?」
「いるって…言われてるね」
「それでなんで叩かれるの?」
彼氏がいるなんておめでたい事じゃない?と、天川さんは…うぃい…!?うん…質問してくる。
手癖でさわさわしないで欲しい。
「彼氏はいないって言ってるからじゃないかな?嘘はダメって、みんな子供の時に刷り込まれてるから」
「うそ?」
「例えばインフルエンサーが肉を食べてても、誰も文句を言わないだろ?でもその人がヴィーガンを自称していたら、その嘘は叩かれる対象になる。そういうことさ」
「ふ~ん……」
じゃあ童貞くんは私の彼氏のこととか、クラスの誰とやったとか事細かに聞きたい?
とでも言いたげに。かすかに体温を奪って、天川さんは僕から離れていった。
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