第31話 母親*

 十月十日が過ぎて、男の子が産まれた。

 レナーテはダニエルと話し合い、テオドールと名付けた。


(……かわいい)


 経緯はどうあれ、自分から産まれたこの子をかわいいと思わない日はなかった。

 しかし、テオドールが大きくなるにつれて、だんだん違和感が膨れ上がってくる。

 レナーテは、ついにテオドールを叱った。


「テオドール! なんであんたはそう、アルフレッドのものばかり欲しがるの!!」

「だってぇ……。兄さんが好きなもの、僕も好きになっちゃうんだもの……」


 自分の息子にそう言われて、レナーテはカルステンとの夜のことを思い出す。


『俺はな……。おまえが、ダニエルのものになるのを待っていたんだよ────』


──う、そ……。

 う そ で し ょ ?


 



「テオドールのDNA鑑定をお願い」


 レナーテは、ダニエルに内緒でテオドールを連れてカルステン宅を訪れた。

 話を聞かれないように廊下で待たせて、まずカルステンに説明した。


「それはいいが……知ってどうする? 俺は、認知なんぞできんぞ」

「安心して。そんな事、死んでも頼まないわ」

「じゃあ、どうして……」

「あなたと同じなのよ、あの子……。アルフレッドのものばかり欲しがるの、あの子!!」


 テオドールはどちらかというと自分に似ていたため、見た目だけではどちらの子がわからない。

 自分とダニエルの子だと信じたかった。

 しかし、どちらかわからずに心にモヤモヤを抱えるのも辛かった。


「はっきりさせたいの。私が、はっきりさせたいだけなの……」


 レナーテはこぼれそうになった涙を堪え、テオドールを部屋に呼ぶ。

 テオドールの口腔内の組織を綿棒で採取し、その日はすぐに家に帰った。



 数週間後、レナーテは一人でカルステンを訪ねた。

 結果を誰にも知られるわけにはいかなかったからだ。


「DNA鑑定の結果が出た。テオドールは……俺の子だ」


(ああ……やっぱり……)


 なんとなく予想はしていた。

 あの夜のことを後悔したが、今更あのことを蒸し返す気はない。

 それにレナーテは今の家庭を壊す気はなかった。


「この事、ダニエルには……」


「言えるわけないでしょ!! 言ったら、あなただって何をされるか……! 誰にも話さない……。あなたも、私も、墓場まで持って行くのよ……」


 レナーテとカルステンは、お互い黙っていると約束した。

 しかし、年月が経つにつれレナーテの心は疲弊していく。


 

 つらい


 つらい


 つらい


 つらい…


 ダニエルに黙っている事が辛くなり、誰と何をしても心から喜べなくなっていた。


 そしてついに、レナーテは行動に移してしまう。

 最初はヘイロ岬まで行こうと思っていた。

 ダニエルと二人で出かけた、あの朝日の美しかった場所。

 そこは戦争で苦しんだ人々が多く飛び降りてしまったという謂れがあり、自殺の名所と呼ばれていた。

 あの岬なら綺麗な景色を見ながら二人一緒に死ねる。そう思ってテオドールを連れ出した。


 しかし駅までの近道である長階段で、レナーテの心は限界を迎えてしまう。


「お願い、テオ……。私と一緒に死んで……」


 涙を流しながら、テオドールの首を絞めた。


「か……あ……さ……」

「このままじゃ、あの子達が不幸になる……。私も後を追うから……一緒に……」

「ぐ……」


 青くなっていくテオドールの顔を見て、レナーテの心が揺らいだ。


(ああ……やっぱりダメ……! 私には、テオドールを手にかける事なんてできない……!)


 フッと、レナーテの手が一瞬だけ緩んだ。

 その隙に、無我夢中で抵抗したテオドールの手が、レナーテの胸の辺りを押した。


「やめて、母さん……!」


「あっ……」


 テオに押され、レナーテは体勢を崩して宙に浮いた。

 バチが当たった、と思った。

 ゆっくりとテオドールの姿が遠ざかっていく。


 数秒の後、痛みと共に鈍い音がした。


 レナーテが最期に見たのは、冴渡る青空だった。


 

***


 

 レナーテの葬儀が終わった後、カルステンの勤務する病院にダニエルとテオドールがやってきた。

 一体、何の用だと気が気でならなかった。

 もしかしたら、自分とレナーテの関係がバレたのではないか。

 いや、そうとは限らない。

 カルステンは、複雑な気持ちでまずダニエルだけを診察室へ入れた。


「ダニエル……。レナーテの事は、本当に残念だった……」

「それなんだがな、カール。アルフレッドがテオドールを疑っている」

「え……?」


 ダニエルは、息子アルフレッドから聞いた話をカルステンに伝える。


「しかし、俺が見た限りテオドールの態度は変わらないし……。おまえの診察で何かわからないかと思ってな」

「わかった。まずはテオ君と二人で話をさせてくれ」


 関係がバレた事ではないと、ひとまず安堵する。

 しかし、理由はどうあれ母親が亡くなった直後である。

 警察の尋問のようになってはいけない、とカルステンは短く息を吐いて気合を入れた。


「こんにちは」

「こんにちは」


 テオドールだけを診察室に入れて、挨拶してみる。

 実際に会うのは二回目だが、前回DNA鑑定の時のような緊張は感じられない。

 変わらず、レナーテに似てにこやかで素直そうな少年だ。


「自分の名前、言ってみてくれる?」

「テオドールだよ」

「最近、自分で不思議だなーと思う事はない?」

「……うーん、特にないけど」


 少し他愛のない話をしてみても、特におかしな所はなさそうだった。


(うん……二重人格、というわけでもなさそうだな)


 言動に矛盾も感じられない。

 もう少し詳しく診るには特殊なテストが必要だが、父親であるダニエルに許可を取ろうか……と思った時、テオドールが信じられない言葉を吐いた。


「ねえ、こんな診察、意味ないんじゃない?」

「え……?」

「あの時の事をほじくり返して、僕の心の傷を抉るつもり?」


(なん、だ……? この子……。本当に12歳の少年か……!?)


 テオドールの心の底が見えなかった。

 そもそも、母親が亡くなった直後だというのに悲しむ様子も恐れている様子もない。

 笑顔の裏に、ドス黒い何かを感じる。

 このまま接し続けていると、まるでブラックホールに飲まれるかのような感覚に襲われた。


「こんなのつまんないから、適当に診断名つけて父さんに言っておいてよ」

「……は? そうはいかない。俺は医者として────」


 言い終わる前に、テオドールが椅子から立ち上がり、カルステンの耳元で囁く。


「だって、バラされたくないでしょ────お父さん?」


 悪魔の囁きに、カルステンはそれ以上言葉を発せなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る