第四章

第22話 壁越しの面会 sideリア


 夢を見た。

 とても懐かしい、昔の夢だった。


「お父様、お母様ー!」

「ははは、あんまりはしゃぐと転ぶぞー!」

「気をつけてねー」

「はーい!」


 養母が生きていた頃、家族でピクニックに出かけたことがあった。

 綺麗な湖のほとりで、自然を感じながら走り回っていた。

 お兄様が、そこに咲いていた花を摘んで、私にくれた。


「リアにあげるよ」

「お兄様、ありがとう」


 お兄様がくれたということが嬉しかった。

 私はまだ本当の恋というものを知らない年齢だったけれど、それでもお兄様のことが大好きだった。


 そして、テオのことも。

 自分がゴンドル族であることを理解し始めた頃、私は少し引け目を感じるようになってしまっていた。そんな私を曇りのない笑顔で懐いてくれる、私の大切な義弟おとうと


 テオは、お兄様を真似て花を摘んでいた。

 まだ小さかったためか、うまく摘めずに花びらがバラバラになってしまった。

 それを見てテオは泣き出した。


「うわあああん。ぼくもねえさんに、ねえさんに……」

「テオ、力を入れすぎちゃったのね。ほら、そっとよ、そっと」

「そーっと、そーっと……」


 うまく花を摘めて、テオは笑顔でその花を渡してくれた。


 今思えば、テオは昔から力加減のできない子だった。

 よくお兄様のものを壊してしまっていたことを、思い出す。


 私はきっと、

 あの時の花だったのだ。




 ──目を覚ました時、乾いた涙の跡があった。


 テオと向き合わなければならない。

 楽しかった夢は、もう……終わったのだ。



 *



「おはようございます……」

「おはようございます、リアさん」


 着替えてリビングに行くと、先生と叔父様はすでに朝食を終えてコーヒーを飲んでいた。

 いつもは私が朝食を作っているのに、おそらく気を遣ってくれたのだろう。


 お世話になっているのに申し訳ないと思いつつも、その気持ちを有難く思う事にした。

 しかし私自身はというと、あまり食欲がなかったのでキッチンでミルクだけ、覚悟と共に胃の中へ流し込んだ。


「先生、叔父様」

「どうしました、リアさん?」

「……テオに、会わせてください」

「えっ?」

「リアさん、正気ですか!?」


 ポポロム先生と叔父様は、顔を見合わせて驚いた。

 あの事件の事を思えば、当然の反応だろう。


 目を覚ました時、私は今、テオに対してどんな感情を持っているのかわからなかった。

 まるで、心の中にモヤがかかったように。

 テオに会えば、それがハッキリとするんじゃないかと思ったのだ。


「リアちゃん。それは、心の傷をさらにえぐるようなものだ。それでも、君はテオ君に会いたいと……?」

「覚悟の上です」

「……わかりました。ただし、マジックミラー越しで見るだけです」


 

 ポポロム先生と叔父様に連れられて病院に来ると、薄暗い一室に案内された。

 壁が一部ガラス張りになっており、これがマジックミラーになっているそうだ。

 テオがこちらに気づくことはない。

 安心して見られるけれど、心のどこかで直接会いたいという気持ちがあった。

 でも今は、お互いのために、それは絶対にやってはいけない事なのだ。


「テオさんの声を、オンにできますが……。聞きますか?」

「お願いします」


 先生がスイッチを入れると、テオの声がスピーカーから聞こえた。

 

「暇だなー」


 数週間ぶりのテオの声。

 あの逮捕の時の事は確かに覚えているけれど。

 でも今の私には、に感じられた。


「差し入れの本も、もう全部読んじゃったんだよね」


 病室の床の隅に、本が積み上げられていた。

 そういえば、テオは家族の中でも一番の読書家だった。

 おそらく、私なんかよりもずっと知識量があるし、頭の回転も早かった。

 こんな事にならなければ、テオはきっと立派な人間になっていただろう。

 今更悔やんでも仕方がないけれど、残念でならなかった。


「テレビはないし……」


 テオは退屈そうに、積み上げられていた本を一冊手に取り、


「この本、読んじゃったから、もういらないよね」


 ビリリ

 1ページ、また1ページと笑顔で本を破っていく。

 その光景が、とても異様に見えた。

 

 ──胸が締め付けられる。

 あの時の事件と、どうしても重なってしまうのだ。


『テオドールさん、本は破らずに、大切に扱ってください』


 天井にあるスピーカーから、職員らしき人の声が聞こえた。


「あはは、バレた」


 テオは素直に手を止めた。

 そしてすぐに、つまらなそうな顔になった。



「とまあ、毎日こんな感じです……」


 ポポロム先生が、落ち着いた声で言った。

 医者として、至って冷静だった。


「まずは物を壊さないようにと、人や、人の物を勝手に触らないことからですね……。それ以外は、おとなしいです」


 その言葉を聞いて、私はマジックミラーに手をついて項垂れた。

 なぜこんな事になってしまったのかと、過ぎたことを考えても仕方がないのかもしれないけれど。

 何を思っても、何を考えても涙が溢れてくる。


 テオがした事は、決して許されることではない。

 でも私は、テオを憎む事ができない……!


 こんな事、お兄様に言ったら、また叱られそうだけど……。

 テオは、私の大切な義弟おとうと……。

 私はまた、兄弟3人で仲良く笑い合いたい……。


 それが、私の今の正直な気持ち。


 

「リアさん、大丈夫ですか? 辛いなら、ここを出ましょう」


 ずっと黙って泣いていたからか、先生が心配してくれた。


「……大丈夫です」


 涙を流せば流すほど、気持ちの整理がついてきたような気がする。

 ハンカチを出すのもためらわれ、手の甲で半ば乱暴に涙を拭った。


「……次は、お兄様と一緒に来たいです」

「そうですか」


 先生は、ハンカチを取り出して私の涙を優しく拭いてくれた。

 その時、スピーカーから再びテオの声が聞こえてきた。


「ねえ、ポポロム先生呼んでよ〜。退屈で仕方がないよ」

『ポポロム先生は診察中です。他の先生を呼びましょうか?』

「え〜。ポポロム先生がいいな。あの人、おもしろいし」


 どうやらテオは、ポポロム先生を慕っているようだ。

 そこからは、ご機嫌に鼻歌を歌いながら踊っていた。

 そして踊りながら、


「兄さんと姉さん、どうしてるかな」


 そう聞こえた途端、先生は慌てるようにスピーカーのスイッチを切った。


「先生……」

「……面会は終了です」

「先生、やっぱりテオには会えないんですか?」

「それはダメです。もう少し時間を置いてください」

「でも私……っ!」


 訴えようとしたところを、強引にキスで唇を塞がれた。

 これはあの現象じゃない──先生の意思だ。


 

「リアさん、お願いです。あなたの心はまだ完全に癒えてないはずです」

「そんなことは──」

「じゃあ、なぜまた泣いているんですか?」


 拭ったはずの涙が、また頬を伝っていた。

 この涙はきっと。

 私が本当の気持ちに気づいてしまったからだ。

 

「行きましょう、廊下で叔父さんが待ってます」





 私と先生は、それからも何度か逢瀬を重ねた。

 季節はすっかり冬になり、街はイルミネーションで彩られている。

 とても綺麗な景色のはずなのに。


「あっ、リアさん。クリスマスツリーが飾ってありますよ!」


 ポポロム先生は相変わらず優しい。

 あの時──すべてを思い出した時から、先生は私に必要以上に触れようとしない。

 事情を知っているから……。とても、大切にされている事が痛いくらいわかる。

 仕事も大変なはずなのに時間を作ってくれて、私の前ではできるだけ笑顔でいてくれようとする。

 なのに私は上の空で、作り笑いを返すのが精一杯だった。


 先生とこうしてデートを重ねても……心が躍らない……。

 先生の事が嫌いなわけじゃない……でも……。

 記憶が戻ってから、私はずっと違和感を抱いている。

 それに、私の気持ちは……。

 もう、ここにはない──

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