第23話 ほんとうの気持ち sideリア


「ポポロム先生……」

「なんでしょう?」


 その日の夜、私は先生の前に立ち、深く頭を下げた。


「申し訳ありません……。私たちの関係を、終わりにしていただけませんか?」


 本当に、身勝手な事だと思う。先生の優しさは計り知れない。

 私はそれに何度救われたことか。裏切るようで心苦しかった。

 返事があるまで、少し時間があった。

 おそらく数秒の事だっただろう。けれども先生が声を発するまで、ずっと頭を下げていた。


「なぜ……ですか?」


 先生の声を聞いて、私はゆっくりと顔を上げる。


「先日、テオを見て思いました。やっぱり私は、あの家に戻りたいと」


 記憶が戻ったからだけではない。

 私は、今のお兄様と、テオと、きちんと向き合いたいと思ったからだ。


「あなたが、家に戻る事に反対はしません。ですが、僕との関係を切る必要はないでしょう?」


 先生は怒る事もなく、穏やかな表情だった。

 しかし、だんだんと不安そうな表情になっていった。


「僕との時間は、幸せではなかったですか?」


「……っ、幸せでした」


 お父様が亡くなってからの生活。

 それを思えば、今は──。


「幸せすぎて、怖いくらいでした。でも、私は気づいてしまったんです」

「アルフさん……ですか?」


 

 言い当てられて、どきりとした。

 でも、それだけではなかった。

 私は記憶のすべてを思い出した。

 その中に、先生、あなたの記憶はないんです……。

 私が思い出せないだけという可能性も考えた。

 けれども、どうやっても思い出せない。


 先生。

 私とあなたは、いつ出会ったんですか……!?

 訊くのが怖かった。

 しばらく沈黙した後、先生が感情を押し殺したような声で言った。


「……なぜ? なぜ、僕を選ばない!?」

「申し訳……ありません……」


 謝るしかできなかった。

 何故私は、私を大切にしてくれる人を選べないのだろう……?

 ──『私』を?

 違う。だって、先生は──。


「人間と結ばれたって、幸せになれない! 僕は! 僕なら、リアさんを幸せにできる!」


 ──ああ、やはり先生は……。

 『私』を見てくれてはいない──。


 肩を掴まれた。一瞬怯んだけど、ここで負けてはダメだと睨み返した。

 

「何が幸せかは、自分で決めます……!」

「僕たちは、一緒にいなきゃダメなんだ……!!」

「きゃあっ!」


 強い力で押し倒された。

 お兄様も、テオも、先生も、結局は力ずくなのかと落胆した。


「僕が……だって……昔から……!」


 先生は泣そうな顔で懇願しながら、強く抱き締めて来る。

 上からのし掛かってきて、息が苦しい。

 ──昔から。

 私が知らないところで、先生が見ていた可能性を考えると、ゾッとする。


「あんなに惹かれあったのに……あんなに……」


 ──惹かれあった。

 それは……先生が説明してくれた“アトラクター現象”ではないかとさえ思ってしまう。

 記憶を失ったままの方が良かった?

 先生はそう思っているかもしれない。


「何が、足りない……? 何が不満なんだ……!?」


 ──足りないとか、不満とか。

 そういう問題ではなかった。

 自分自身に嘘がつけなくなっただけなのだ。


「先生、離してください!」


 その時、リビングの扉が開いた。

 騒ぎを聞きつけたのか叔父様がやってきたのだ。


「何やってんだ、ポポロム!」


 叔父様は足を引き摺りながらも早足でこちらへ来て、ポポロム先生を引き離してくれた。


「何、暴走してるんだ、バカヤロウ!!」


 ものすごい音が部屋中に響いた。

 殴られた先生からは先ほどの狂気が消え、その場にくずおれた。


「うぅっ……叔父さん……」


 赤くなった頬を押さえながら、先生は掠れた声を出した。

 もしかしたら口の中を切っているかもしれない。


「ポポロム……。おまえは、自分で気づいていないのか? リアちゃんが、同族であるが故に惹かれている事を」

「それは……」

「リアちゃんはな、薄々感じていたんだよ。おまえ、もしリアちゃんが人間だったら、リアちゃんを愛せたのか?」


 叔父様が核心を突いた。

 

 先生は青ざめて「……すみません」とだけ言ってリビングから出て行ってしまった。

 先生が愛していたのは、の私。

 そんな種族の問題を超えて、私を見てほしかった。

 だけど、私も先生も自分に嘘はつけなかった。

 これで良かった、良かったんだ……。


「叔父様、ありがとう……」

「いや……。俺は、リアちゃんを守ってやる責任があるからね」


 叔父様が手を貸してくれて、ゆっくりと立ち上がった。

 お父様の代わりにずっと見守ってくれている叔父様には、本当に感謝しかない。


「しかし、許してやってくれとは言わないが、ポポロムの気持ちもわかってやってほしい。俺があいつを引き取ったのは、あいつが8歳の時だ……」


 叔父様は、二十年前の戦争時の事を話してくれた。

 ポポロム先生は戦中に人間の兵士に追われていて、必死に逃げ隠れた場所が軍医である叔父様が待機していたテントの中だった。

 まだ子供であったから親の元へ返そうとしたら、両親は人間の兵士に殺されて帰る場所を失ってしまっていた。

 本来なら、政府に引き渡さなければならなかったのだが、叔父様はなんとなく情が湧いて先生を匿う事にしたらしい。それでも先生は人間を憎んでいて、手懐けるのに時間がかかったそうだ。


 今の穏やかな先生を見ると、まったく想像がつかない。

 けれども、先ほどの先生の態度を考えるとやはり心のどこかでは……。


「リアちゃんを初めて見た時は、本当に嬉しそうだったよ。だけど、こればっかりは……」


 初めて見た時。

 そうだ、私と先生はいつ出会ったのだろう?

 疑問に思っていた事を、叔父様に訊ねてみた。


「ああ……。たしか、リアちゃんが1歳くらいの時だったかな。家族でここへ遊びに来て──」


 1歳!?

 そんな昔から私を同族の女性として見ていたのかと思うと、落胆するしかなかった。

 でも、生き残りが私たちだけだったと思っていたのなら、仕方のない事なのだろうか。


「リアちゃん。君は、君の帰るべき場所へ帰りなさい。君はもう自由だ」

「はい。私……家に戻ります」


 もう一度、叔父様に向かって深々とお辞儀をした。

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