第16話 カルステンの夜
「あれ……? ポポロムはどこへ行った……?」
夕食後にアルフレッドを送り出した後、カルステンは用を足していた。
リビングに戻るとポポロムとリアの姿がない。
「あ、あいつ、まさか……!?」
ポポロムがリアに好意を持っていることは、カルステンにもわかっていた。
二人とももう大人であるし、成り行きに任せようと見守っていたが、まさか酒の勢いでそのような事になるのは旧友であるダニエルに対して申し訳が立たない。
慌ててポポロムの部屋の前に行った時、物音がしたのはリアの部屋の方だった。
今、ここでノックをするのは容易いが、もう後戻りできない状態になっていたら──。
無粋になるのではと、カルステンは悩んだ挙句、外の空気を吸いに再び外に出た。
「あー、寒っ……」
この時期の夜は、もう息が白くなるほどだ。
慌てて来たため上着を羽織ってくるのを忘れたが、取りに戻るのも躊躇われる。
「なんで、俺が気を遣わなきゃいけないんだ……?」
そもそも、ここは自分の家なのだから遠慮することはない。外に出てくる必要もなかったのではないかと思ったが、やはり気分的に同じ屋根の下にいたくなかった。
「あら、先生、こんばんは」
「こ、こんばんは……」
声をかけて来たのは、カルステンの患者の一人の婦人だった。
彼女はこの地域では有名な富豪に嫁いだ人物だ。しかし数年前、主人は病気で亡くなり彼女は数人の使用人と共に、大きな屋敷で暮らしている。
こんな時間に、きっちりとした格好で、どこかへ出掛けていたのだろうかと勘繰ってしまう。
「こんな寒い日に、どうされたんですか?」
婦人は、とても艶やかな声で、そして上品な佇まいでカルステンに話しかける。
「あー、いや、先程までちょっと飲んでて……。少し涼もうかと」
嘘ではなかった。
事実、カルステンの頬は赤みを帯びて熱を持っていた。
しかし、婦人はそんなカルステンの胸の内を覗くように、事実を言い当てる。
「……もしかして、家に入れない事情でもおありですか?」
(鋭いな……!)
「いや、お恥ずかしい話……。ポポロムとケンカしてしまいまして」
「まあ、そうでしたの」
深く事情は聞くまいと、婦人は朗らかに笑う。
そして婦人もまた、深く詮索されたくはないと心の内で壁を作っていた。
「……もしよろしければ、少しの間、うちへ来ませんか?」
「えっ!?」
突然の誘いに、カルステンは動揺した。
今までに患者の婦人方に、食事に誘われたことは何度もある。
しかし夜この時間、酒も入っている男を誘う理由は、飲み直すか或いは──。
「……もしかして、誘ってます?」
「あら、いやだわ先生。そこは察してくださいな」
やんわりと確認をすると、婦人は微笑みながらも目を逸らす。
やはり“そういう事”らしかった。
「すみません。しかし……期待させてはいけないと思いまして」
「……と、申しますと?」
「実は、俺は……女性を抱けない身体でして」
カルステンは、過去のとある出来事で
足の不自由さは関係なく、精神的なものだ。
事前に言っておいた方がいいだろうとの判断だったが、どうやら婦人には間違って伝わったらしく……。
「まあ……それは……」
(ん? あれ……? もしかして、なんか誤解させた……!?)
婦人は少し頬を赤らめて考えた後、真剣な表情になった。
「先生」
「は、はい」
「ぜひ、うちにいらして、その辺りのお話を詳しく」
「え、ええぇぇっ!?」
「先生のロマンスを、ぜひ聞かせていただきたいわ!」
(絶対なんか勘違いされてるーー!?)
正すためにはっきりと言うのも恥ずかしく、結局カルステンは婦人宅でありもしない話をする羽目になってしまったのだった。
カルステンが婦人から解放されたのは、午前二時ごろだった。
婦人との過ちがなかったのは良かったが、別の意味で過ちを犯してしまったような気分である。
誰もいないリビングは、電気がつけっぱなしだった。
物音ひとつしない。二人はどうなったのかと気になるところだったが、余計な詮索はやめようと頭を振る。
そのままソファに横になったが、どうにも電気を消すのをためらわれた。
暗いリビングに一人でいると、どうしてもあの時のことを思い出してしまう。
忘れるためにもう一度酒を一杯だけ飲み、浅い眠りについた。
六時ごろになってポポロムが起きてきた。
そういえば、昨夜の事があったと、カルステンは起き上がる。
「ポポロム、おまえなぁ……」
「叔父さん、おはようございます。……バレちゃいました?」
そうじゃないことを願いつつカマをかけたつもりだったが、ポポロムの方からバラしてきた。
完全に確信犯であることに、カルステンは頭を悩ませる。
「あーもう、旧友の大事な娘さんに手を出しやがって……」
「大事な……?」
言われてポポロムは、急にスッと冷めた表情になった。
ポポロムは、今までのリアの不遇な環境に、恨みとも言える感情を持っていた。
「僕には、そんなに大事にされているようには見えませんでしたけどね」
「そりゃ、ダニエルがいなくなって何かが狂ってしまったからだろ。それまでは大切にされて……」
「仕方がありません。ゴンドル族同士は、どうあがいても惹かれあってしまうんです。それに、叔父さんもダニエルさんも、元々はそのつもりだったんでしょう?」
ポポロムは、朗らかな表情に戻っていた。
戦争が終わった時、ゴンドル族の生き残りは数百人だった。
そのほとんどが現在でも政府の管轄下での生活を強いられている。
だからポポロムとリアが、自由の身でゴンドル族同士で生きていきたいと願えば、そうするつもりだった。
しかし、カルステンが見てもリアの気持ちがアルフレッドにあることは一目瞭然であった。
「そりゃまあ、そうだが……。でも、リアちゃんの気持ちを尊重してだな」
「僕の気持ちは尊重してくれないんですか?」
「おまえ、ちゃんとリアちゃんを好きなのか?」
「……好きですよ?」
「今! ちょっと間があったぞ!」
カルステンの懸念していたことが、はっきりしてしまった。
ポポロムは昔からゴンドル族であることを誇りに思っていた。人間から迫害されるかもしれないとわかっていても、決してその名を捨てなかった。一族の存続を願い続け、目の前に現れたリアを大切にしたい気持ちはカルステンにもわからなくはない。しかし、これではおそらく独りよがりである。
「大丈夫ですよ。僕もちゃんと考えてます。それに、リアさんほど素敵な女性は他にいません。僕がきっと、幸せにしてみせます」
ポポロムはにこやかに言うが、カルステンの心配は募るばかりだった。
***
テオが逮捕されて数日後、留置所に面会に来た者がいた。
テオは、
「……あんただったか」
「よう、久しぶりだな──テオドール」
透明のパーティションの向こう側に現れたのは、カルステンだった。
カルステンは、特にテオを咎めるわけでもなく、飄々とした態度で椅子に座る。
テオもまた、気だるそうに椅子に座った。
「あの罠は、あんたの仕業だよね? 兄さんや姉さんに、あんな器用な事ができるはずがない」
「よくわかったなぁ! さすが兄弟!」
カルステンは、膝を叩いて皮肉にも取れるような言葉を吐く。
それがテオを苛立たせたが、お互い感情的になることはなかった。
「……何しにきたの?」
「俺は俺の、ケジメをつけに来ただけさ──」
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