第13話 囮捜査

「姉さん、どうしたの?」

「テオ……」


 出入口もスマホも、テオのそばにあり、リアは逃げられそうになかった。

 リアから見ても、テオは普通で、いつも通りのかわいい義弟おとうとだった。

 しかしなぜか、リアの中の何かが、テオを危険だと判断したのだった。

 

(だめだ。私には、どうすることもできない)


 そう思ったリアは、テオを見逃すことにした。


「ごめんなさい、テオ。今日はこのまま帰って」


 とても心が疲弊していた。

 テオを見ると、胸がザワザワして頭の中にモヤがかかったようになる。


「姉さん、どうして? 俺が、警察に追われてるから──?」


 テオの問いに対して、リアは何も言えなかった。


(ああ……もう、面倒だな……。このまま強引に──)


 テオは、焦りを感じていた。

 先ほどの兄からの電話で、確実に警察に連絡は行っているだろう。

 ならば、兄より先に警察が来ることは明白だった。

 そうなる前に、義姉リアと共にここを離れたかった。


 リアに手を伸ばそうとした瞬間──


 バタン! と勢いよくリビングの扉が開き、男が入ってきた。


「えっ!?」


 二人は、いきなり入ってきた男の姿を見て驚いた。

 出入口側にいたテオは、あっという間に取り押さえられた。


「警察です! 動かないでください!」


「くっ……!」


 テオは私服姿の警察官に、後ろ手に掴まれた。


「被疑者、確保しました!」

「え? ……えっ?」

 

 何故警察が? とリアは困惑するばかりだった。


「なんで……こんな早く……っ!」

(罠──!? そんな、だって姉さんは何も……)


 手錠をかけられながら、テオは不思議に思っていた。

 義姉リアは、器用に嘘をついたり、演技ができる性格ではないからだ。

 

(まさか──姉さんには、何も知らされていなかった!?)


 アルフレッドが、自分を捕えるためにそんな危険な賭けに出るなど、まったくの予想外だった。

 自分を捕らえた警察官は私服だった。ならば、一般人に紛れてあらかじめ周辺を警戒していたということになる。計画されていた罠だったと知ると、テオは観念した。


『よし、そのまま連行しろ。被害者へのケアも忘れるな』


 警察官のイヤホン型の無線から、別の警察官の指示がかすかに聞こえた。


「ご協力、感謝いたします!」

「えっ? 協力……? えっ?」


 私服警察官に言われたが、リアは混乱していた。

 わけがわからないままテオが捕えられてしまい、どうすればいいのかまったくわからなかった。


「詳しい話は、先生方に聞いてください。では……」

「ま、待ってください! テオは、どうなるんですか!?」


 罪を犯したのかもしれない。けれども、自分の目の前で義弟が捕えられて、さすがにリアも黙っていはいられなかった。


「とりあえずは留置所へ行きます。その後は、事件を詳しく調べてからとなります。まあ、彼の場合はおそらくすぐに拘置所になると思いますが……」


 事情を知る私服警察官は、リアを憐みの目で見て言葉を詰まらせ「では、我々はこれで」と、テオを連れて行こうとする。


「テオ……!」


「姉さん……ばいばい」


 テオは笑顔を返した。

 遅かれ早かれ、こうなるだろうと。

 自分は捕まるべき存在なのだと──心のどこかで思っていた。


 リアの想いも虚しく、リビングの扉は無情にも静かな音を立てて閉じられた。




「リアさん、大丈夫ですか? 何もされていませんか!?」


 リアが茫然としていると、入れ替わるように女性警察官が入ってきた。


「は、はい……。特に、何も……」

「お家の人が帰って来られるまで、待機していてくださいね。我々は、現場検証させていただきます」


 そう言われるや否や、数人の警察官が入ってきた。

 主に盗聴器や盗撮用カメラがないかどうかをチェックしているようだった。

 何もできないリアは、邪魔にならないように廊下へ出て待機していた。


「リ、リアちゃん……」

「おばあちゃん!」


 先ほどハンカチを取りに来た老婦人が、リアを心配してこっそりと玄関から顔を覗かせた。


「ああ、良かった! 急に警察の車がたくさん来たものだから! リアちゃんが無事で良かった……! どうしたの? 泥棒でも入ったの?」


 リアは言葉を詰まらせた。

 まさか警察に追われている義弟が家に来て連れて行かれたなど、リアの口からは絶対に言えなかった。


「ええ、そんなところ」


 かろうじて出た言葉で、どうにかごまかせた。


「お茶どころではなくなってしまったわね。でも、お菓子は置いていくわ。落ち着いたら、食べてね」


 老婦人は、約束していたお菓子を皿に入れて持ってきてくれていた。

 かけ布を取ると、クッキーだった。


「ありがとう、おばあちゃん……」

「リアちゃん……どうしたの? 怖かったのね……。よしよし」


 老婦人の優しさに、リアは涙を堪えることができなかった。

 大好きな義弟が連れて行かれたこと、何もできない自分の不甲斐なさ、悔しさでいっぱいだった。

 

 

「リア! 無事か!?」

「お兄様!」


 アルフレッドが、息を切らせてやってきた。

 義兄は仕事へ行っているはずなのに、警察から連絡が行ったのだろうかと、リアは思う。


「まあ、お兄さん? リアちゃん、お兄さんが来てくれて良かったわね。じゃあ、私は帰りますね」

「すみません、ありがとうございました」


 アルフレッドは、礼を言って老婦人を見送るとリアに向き直った。


「リア……。何もされてないか?」


 電話越しに聞こえたテオの言葉が蘇り、アルフレッドは一瞬身震いした。

 そして、こんな時にもリアに触れて安心させてやれない自分を、歯痒く感じていた。


「お兄様……。テオが、連れて行かれて……」


 リアは目にいっぱい涙を溜めて、今にもアルフレッドに泣きつきそうだった。

 

「……っ! こんな時にまで、テオの心配をするな!」


 リアの口からテオの名前が出て、アルフレッドはそこで初めてリアの肩を掴んだ。

 思わず、力が入ってしまう。

 

「だって……急にですよ? サイレンも何もなく、急に警察の方が入ってきて……」

「テオは、逮捕されて当然の事をしてしまったんだ。警察も手を焼いていたから、秘密裏に動いていた」


 アルフレッドは我に返り、リアをぐっと押し離して目を逸らした。

 気を抜くと、また手が震えそうだった。


「おまえが無事で、本当に良かった……」


 義兄の、言葉とは裏腹な行動に、リアは寂しく思った。


 

 リビングへ入ると、ちょうど現場検証が終わろうとしているところだった。


「お兄さんですね。ご連絡、ありがとうございました!」


 先ほどリアに声をかけた女性警察官が、アルフレッドに向かって敬礼した。


「連絡……? お兄様が警察を呼んだの……?」

「リア、実は……」


 アルフレッドが一連の説明をしようとした時、リビングの扉が力強く開けられた。

 ポポロムとカルステンが、学会を終えて帰ってきたのだ。


「リアさん、無事ですか!?」

「先生、お父様!?」

「ああ、良かった無事で……!」


 リアは、ポポロムに抱きしめられて動揺した。


「あ、あの、先生……?」

「ん、んー! ポポロム、ポポロム。アルフ君の前だぞ」


 見かねて、カルステンが咳払いをする。

 カルステンもまた、現在アルフレッドがリアに普通に触れられないことは知っていた。

 だからこそ、フェアではないという意味を込めてポポロムに忠告した。


「ああっ、す、すみません! 心配のあまり……!」

「いえ……。カルステンさん、ありがとうございました」

「いやいや。こうもうまくいくとは思ってなかった」


 三人だけが事情を知っていると感じたリアは、「どういうこと?」と首を傾げた。

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