第11話 訪問

 今日は、カルステンとポポロムが学会に出かける日だった。

 朝からバタバタと準備していて、リアも玄関前で見送ることにした。

 二人ともスーツでピシッと決めている。普段は見られない姿だ。


「じゃあ、リアさん。行ってきますね」

「いってらっしゃい」


 清々しい空の下、リアは、ポポロムにカバンを手渡した。

 まるで家族になったような気分だった。


「あっ、お父様、ちょっと待ってください」


 リアはカルステンを呼び止め、振り向いたその頬に口付けする。


「うおっ!?」

「ええっ!?」

「行ってきますのキスです」


 リアは笑顔で言った。

 ポポロムの前で少し恥ずかしかったが、リアにとっては当たり前の、日常の行動だった。

 頬とはいえいきなりの口付けに、カルステンは動揺したが、なんとかリアに悟られないように平静を装った。


「お父様も」

「あ、ああ……」


 促され、カルステンはおそるおそる、ほのかに赤く染まったリアの頬に口づけした。


「久しぶりなので、恥ずかしいですね」

「そ、そうだな……」


(ダニエーーーール!!!!

 おまえ、なんてうらやま……けしからんことを!!!!)


 カルステンは、天に向かって叫びそうになった。


「叔父さん、ずるーい」

「ずるーい、じゃない! 心臓持たんわ!!」


(えっ、ポポロム先生も行ってきますのキスをご所望ですか!?

 さすがにそれは恥ずかしくてできません!)


 リアは、頬を押さえながら聞こえないフリをした。


 こんなことをしている場合ではないと、動悸を隠すようにカルステンは助手席のドアを開ける。


「じゃあ、リアさん。絶対に、誰が来ても開けちゃいけませんよ」


 ポポロムが釘を刺した。


「わかりました」

「ないとは思いますが……。テオさんが来てもですよ?」

「え……テオもダメなんですか?」

「ダメです」


 もう一度キッパリと、釘を刺した。

 

「以前も言いましたが、テオさんは警察に追われている身なんです。匿ったりしたら、リアさんも共犯になってしまいますからね。では、いってきます」


「いってらっしゃい……」


 二人は車に乗り込み出発した。

 リアは、寂しそうに手を振ってそれを送り出した。





 二人を見送ってリビングに戻ると、ポポロムに言われたことを、もう一度じっくりと心の中で噛み締めた。


(テオが警察に……。先生から聞いた時は信じられなかったけど、ニュースにまでなっていたから、もう信じざるを得ない……)


 リアは、スマホでそのニュースを連日何度も見た。ポポロムに、何度も見てはいけないと言われていたが、どうしても見てしまっていた。何かの間違いだと、心の中でずっと叫んでいた。

 コメントは、もうどうすることもできないほど大炎上している。


(でも、もしテオが助けを求めていたら……。私は、ちゃんとテオを正しい道に……導く事ができるの……?)


 ピンポーン!

 いきなりインターホンが鳴って、リアはビクッと肩を震わせた。


(……誰だろう?)

 開けなければ大丈夫だろうと、インターホンのマイクに向かって話した。

 インターホンは、カメラの付いていない旧式のものだった。


「……どちら様ですか?」

「ああ、リアちゃん。あたしよあたし。隣のばあばよ」

「えっ、おばあちゃん?」


 スピーカーから聞こえる優しそうな声の主は、数メートル離れた隣の家に住んでいる老婦人のものだった。カルステンの患者の一人である。

 リアは、ポポロムの言葉も忘れて玄関を開けた。

 彼女は、小柄で少々腰の曲がった朗らかで優しい老婦人だった。時々、息子夫婦が遊びに来ているのを見かけたことがあるが、夫に先立たれ普段は一人で暮らしている。


「おばあちゃん、どうしたの? 今日はお父様はいないんだけど……」

「昨日、忘れ物しちゃったのよ。どこかに、ハンカチ落ちてなかったかしら?」

「そういえば──」


 昨日リビングに、綺麗なハンカチが落ちていて、アイロンをかけたのを思い出した。


「はい、おばあちゃん」


 ハンカチを渡すと、老婦人はいつものように、ニコニコと話し始めた。


「ありがとうねぇ。リアちゃん、一人でお留守番なの?」

「ええ。今日は、先生もお父様も学会で──」


(“お父様”ねぇ……。かわいそうに)


 事情をカルステンから聞いていた老婦人は、リアに同情の目を向けた。


「どうしたの、おばあちゃん?」

「いいえ、なんでもないわ。後で、おやつの時間になったらお菓子でも持ってきましょうかね」

「わあ、嬉しい。じゃあ、お茶を用意しておきます」


 老婦人は、いつも診察の時にお菓子の差し入れを持ってきてくれる。手作りらしく、それがまた最高に美味しいのであった。


「……あっ、今日は誰も入れちゃダメなんだった」


 リアは、ポポロムの言葉を思い出した。


「まあまあ。リアちゃんは不用心ね」

「でも、おばあちゃんなら大丈夫です」

「じゃあ、2時ごろにもう一度来るわね」

「はい、お待ちしてます」


 老婦人が出たのを見て、すぐに玄関の鍵をかけた。


(隣のおばあちゃんなら……いいよね?)


 優しい老婦人の存在で、リアはすっかりご機嫌になり油断していた。


 ピンポーン、と、またインターホンが鳴った。


 あまりにもすぐだったので、老婦人が何か言い忘れでもしたのだろうかと、玄関を開けてしまった。

 そこには、数ヶ月ぶりに会う義弟おとうとが立っていた。


「姉さん、久しぶり──」


「テオ!?」


 笑顔いっぱいのテオが、するりと入ってきた。

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