第5話 過去 sideアルフレッド
午後7時──。
今日も家族三人で過ごしたいというリアの希望を聞くために、仕事を早く切り上げて定時で帰ってきた。しかし、俺が家に辿り着いた時に灯りはついておらず……リアは、帰ってきていなかった。
スマホのメッセージを見逃したかと思い確認したが、連絡の一つもなかった。
こんな事は、今までに一度もなかった。ましてや、リアはゴンドル族。長時間外にいること自体が危険なのだ。
それどころか、テオが約束の時間になっても現れない。
「……まさか」
スマホのGPSアプリを起動した。
GPSは、父が昔からリアに持たせていた。しかし、リアが思春期に入ってしばらくした頃、それを嫌がったことがあった。
父が亡くなって、リアを見守る事が困難になり、再びGPSを持つように言った。だが、その時リアはすでに俺に不信感を抱いていたため拒否された。無理もない。
だから俺は、リアの靴を細工して、GPSを忍ばせた。
外で、いつ何が起きてもいいように──。
スマホ画面に、見慣れない場所が表示される。
この場所は……テオの大学の近くか……?
「リア……なんてことをしてくれたんだ……!」
悲観している暇はない。
俺が今から車を飛ばしても約2時間はかかる距離。
その間に、リアは──。
背筋が凍る思いだった。
*
テオは物心ついた頃から、俺のものをよくほしがった。
「兄さん、僕も兄さんのオモチャほしい」
幼いテオは、無邪気にそう言った。
「え? テオは、違うものを買ってもらったじゃないか」
「やっぱり、兄さんのがいいーー!」
幼いが故のワガママだと思い、仕方なく昔はよくオモチャを交換していた。
「兄さん、やっぱりそっちがいい」
「え? この間、交換したばかりじゃないか」
「そっちがいいの!」
「テオ、私のと交換しましょ!」
困り果てていた俺を見かねたのか、リアが間に入ってくれたこともあった。
「兄さんのがいいの!」
「やれやれ……」
これには、リアも困っていたようだ。
中学に入った時、進学祝いに父から万年筆をもらった。
とても書きやすく、大切にしようと思った。
しかし──
「兄さんの万年筆、素敵だね」
「これはダメだよ。父さんからもらった、大切なものだからね」
「ちぇー」
諦めてくれたかと思った。
しかし、テオは黙って万年筆を持ち出し──
「ごめんなさい、兄さん……」
しょんぼりと謝ってきたので、反省しているのかと思ったが、
「壊れちゃった……」
と、その瞬間には笑顔になっていた。
「はぁ〜……」
あまりにもひどいので、両親に相談して、同じものを買ってもらうようにした。
「兄さんのカバンがいい」
「テオ、いい加減にしてよ。同じものを買ってもらっただろう?」
「兄さんのがいいーー!」
「テオドール! なんであんたはそう、アルフレッドのものばかり欲しがるの!!」
さすがに、母が間に入ってくれた。
「だってぇ……。兄さんが好きなもの、僕も好きになっちゃうんだもの……」
父も母も呆れ返っていた。
俺はその頃から、好きなものを好きと──言えなくなっていた。
母は、その頃からテオへの態度が少しよそよそしくなった。
会話をするのは、俺やリアとばかり──
その光景が、テオにどう映ったかはわからない。
だが、テオが12になった頃、事件は起きた。
母が、階段から落ちて亡くなったのだ。
テオと、出かけている時の出来事だった。
うちは小高い丘の上の住宅街に家があり、駅への近道に長い階段がある。
母とテオは、そこを通ってどこかへ出かける途中だったらしい。
俺は、その時大学から帰る途中で、偶然にも見てしまった。
テオが、母の背中を押したことを──
そして、俺の方を見て言った。
「ごめんね、兄さん……」天使のような笑顔で──
「壊れちゃった」
そう、言ったのだ。
俺は、恐ろしくなり父に言及した。
しかし事件は証拠不十分で事故として処理され……
テオがお咎めを喰らうことはなかった。
ただ、父は父でテオを気にかけてくれていたようであり──
ある日、父は俺だけに言った。
「アルフレッド……。おまえに言われてから、私もテオドールを気にかけていたが、おまえが言っていたような素振りはない。ただ、もしおまえの言っていたことが本当なら……」
父は、俺のこともテオのことも信じて尊重してくれていた。
どんな可能性も切り捨てずにいてくれた。
そんな父が、真剣な顔で真っ直ぐに言った。
「リアだけは、母さんの二の舞にするな」
「!」
「物は壊されてもなんとかなる。しかし、人の命だけはどうにもならん」
今思えば、父は俺の気持ちに気づいていたのかもしれない。
「リアは……あの子はきっと、ゴンドル族の希望になる。今はまだゴンドル族との差別はあるが……。私は近い将来、その差別もなくなると思っている」
父は、よくゴンドル族への差別緩和を訴えていた。
俺は、そんな父を尊敬していた。
リアを、テオの毒牙にかからせはしない──
それから数年が過ぎ、俺たち家族は平穏な日々を過ごしていた。
ある日、テオが大学進学のために家を出たいと言ってきた。
父は、テオの前向きな進学には大賛成だった。
内心、ホッとした。
リアとテオが離れてくれれば、俺も無理に気を張らずに済む。
その気の緩みが不幸を招いたのか……。
テオが家を出た数ヶ月後、父がゴンドル族を庇っていると疑われ、逮捕された。
リアの存在はうまく隠せたが、疑いがすぐに晴れるわけではなく……。
父は獄中で
感染力の強い病だったらしく、身内ですら葬儀に立ち会えたのは埋葬が済んでからだった。
父さんが、死んだ──
リアを庇ったせいで……逮捕され……!
ドンッ!
俺は、やり場のない怒りを抑えられずに壁を叩いた。
「……っ!!」
呼吸が乱れ、胸を締め付けられる感覚だった。
なんなんだ……この湧き出る黒い感情は……!
リアがいなければ……
リアがいなければ……!!
「お兄様……? 大丈夫ですか……?」
リアは、いつも通り心配してくれただけだった。
それなのに──
リアの健気な瞳。
俺は、その瞳に惑わされるように──
今まで抑えて来た感情を、一気に爆発させた。
「お兄さ……! ん、んん!」
リアの唇を塞ぎ、そのまま欲望に身を任せ体を重ねた。
俺は、いつの間にか──
憎しみの心を持たないと、人を愛せないようになっていた──。
それが……最初の発作だった。
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