第3話 気分転換

「されば君もし、一の小径こみちを往き、たちまち三条に分かるる処に出たなら困るに及ばない、君の杖を立ててその倒れたほうに往きたまえ。」

          国木田独歩「武蔵野」より

 百年ほど前の生では自然を愛し、特に武蔵野に惹かれ、著書では読者に向け武蔵野の歩き方を記した。これらの行動を引き起こした性格は今世になっても変わらなかったようだ。自然や、なんでもない日常が好きで、ついつい人を手助けしたくなってしまう。

───────────

 とある日の夕方、治希は店の外に出て戸締まりをしていた。その顔はどことなく暗い。

(今日もいい小説がかけなかったな……)

治希は店の手伝いをしている時、よく小説を書いている。だがここ数日、調子が悪くネタが思いつかなかったのだ。店の鍵が閉まっていることを確認し、2階の自宅へ行くため外階段の方へ行こうとする。その時、不意に声がかかった。

「治希くん」

「あっ、あゆむさん。こんにちは。」

声の主は野田歩のだあゆむさん。近所に住む高校2年生。書店の常連さんで家が近いこともありよく出会う。だけど店の外で歩さんから声をかけてくれるのは珍しい。

「散歩の途中で君を見かけたらあまりにも暗い顔をしてたから、つい声をかけちゃった。どうかしたの?」

「いえっ、だ、大丈夫です……」

そんなに顔に出てたんだ。驚いてしどろもどろになってしまった。そんな僕をみて歩さんは少し考えたあと、口を開いた。

「これから時間ある?よかったら一緒にいかない?」


歩さんの後をついていき、近くの山を登ること数分、足が少し疲れてきたところで歩さんが立ち止まった。

「このあたりでいいかな。」

そう言い、ヒノキの下へ腰を下ろした。僕も促され同じように座る。

「あっちを見てみて。」

指をさされた方を見ると僕達が暮らす町を見渡すことができた。いつのまにか、こんなところにまで登っていたのだ。

「自分はよくここに来るんだ。この静けさが心地よくてね」

近くに民家もないせいかここは鳥の鳴き声と木の葉がかすれるカサカサという音しかしない。そしてなにより、気まぐれに頬を撫でていく風が心地よかった。ヒノキの香りも相まってなんだか落ち着く場所だ。

「ところで、治希くん。なんだか暗い顔してたけど何かあったの?言いづらかったら無理にとは言わないけど。」

「そんなに大したことじゃないんです。実は……」

僕は最近小説で行き詰まっていること、そのせいで、小説家を目指しているけど僕には無理なんじゃないかと不安になっていることを明かした。

「別に学生だからこれが生活に直結するものじゃないって分かってはいるんですけどね。」

「生活に直結するものじゃないって……そんなことないでしょ。現に、君は心配になるほどげんなりしているように見えた。」

「えぇ……」

やっぱりそうだったのか。自分にとって小説がどれほど大切なものだったのかを実感する。

「そして小説で行き詰まっているってことだけど……」

歩さんは一度そこで言葉を止め、町の方を見た。つられて僕も視線を移す。

「一度視点を変えてみるっていうのはどう?町だって書店から見るのと、ここから見るのでは違うでしょ?」

そう言われて初めて気づいた。確かにそうだ。夕日によって橙色に染まる町は書店から見たときより随分印象が違って見える。ここから見る町は喧騒から離れている分、寂しさもあるがそれ以上に美しかった。これを文章にできたら……

(そうだ!随筆はどうだろう)

自分が書いてきた小説は面白さを重視して非日常をほとんど想像で書いてきた。だけど一度、思ったことを自由に書く随筆の要素を取り入れてみても良いのではないだろうか。暗かった視界が一気に明るくなったような気がした。

「おっ!なんか顔が明るくなったね」

「何となく小説が書けそうな気がしてきました!」

「それは良かった。ここにつれてきた甲斐があったよ」


「歩さん、今日はありがとうございました。」

あのあと僕達は少し会話を楽しんだあと、暗くなる前に山を下り、書店へ戻ってきた。

「いえいえ、助けになれて何より。また小説が書けたら読ませてね。」

また書店にお邪魔するね、といって歩さんは家へ帰った。それにしても今回はいい体験になった。いまならいくらでも文章が出てくるような気さえしてくる。治希はいつになく軽い足取りで外階段を駆け上がった。

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