狐女房~埼玉県の民話~

小日向葵

狐女房~埼玉県の民話~

 むかしむかし、武蔵国むさしのくに(今の埼玉県東部)に貧しい若者がおったそうな。

 ある日、若者は魚を捕りに入った山奥の泉で、一匹の白い狐に出会うた。

 狐は魚を取ろうとして何度も失敗をしておった。十度目で狐がしょんぼり帰ろうとしたので若者が狐を呼び止め、魚を捕ってやると狐は踊って喜び、森の奥へ帰って行ったそうな。

 それからしばらくした夜のこと。戸を叩く音に目を覚ました若者が表に出ると、そこには白無垢の花嫁衣裳に身を包んだ娘が立っておった。

 「私は先日、貴方様に魚を頂いた狐です。病気の母に食べさせたくて魚を捕ろうとしておりました。貴方様のお陰で母も元気になりましたので、せめてものお礼にと、お嫁に参りました」

 若者は驚いたが、とにかく娘が美しく、また村には思いを寄せる娘もいなかったので、その娘を嫁にすることにした。

 狐の嫁はたいそうな働き者で、若者もそんな嫁と仕事に精を出すうち、家も立派になり田畑も大きく広がり、子供も沢山できて村で一番の長者になった。

 全てが女房のおかげであると若者は感謝して、近くの山にお稲荷様のおやしろを建てて祀った。いつの頃からか、お参りすると良縁に恵まれるという噂が近くの村々に広まり、男女問わず訪れるものが絶えなかったそうな。




 絵本の発行日には初版昭和四十三年、とあった。晴太も知らない話だ、異類婚姻譚いるいこんいんたんは雪女や鶴の恩返しみたいな、いわば事後正体バレパターンを除いてハッピーエンドが多いけれど、稲荷神社の建立こんりゅうまでに言及しているのは珍しい。たいてい、終わりはぼかして地域を特定させてくれないのが昔話や民話のたぐいだからだ。


 「読んだぞ」


 幼馴染みの健太郎が住むアパートに呼ばれた晴太は、まず読めと差し出された絵本を完読したので閉じて返す。よくある昔話の一種だけれど、マイナーなので重版も少ないようだ。昭和四十七年に三刷とある。


 「で、この本と今日の呼び出しに、何か関係があるのか?」


 健太郎と晴太は、幼稚園から高校に至るまでを共に過ごした大親友である。まさに竹馬の友である。大学こそ別になったが……それでも交流が途絶えたわけではない。


 しかし、晴太は久しぶりに来た健太郎のアパート室内に、何か違和感を覚えていた。こんなフリルのドアノブカバーなんてする男だったか?そもそもこんなに身綺麗な男だったか?


 「壁に大アリ障子に羽アリ、ってな。おい、来いよ」


 奥の部屋の襖がすっと開いて、中から色白細面の美少女がもじもじしながら姿を現した。何故かその手にはフライパンが握られている。


 「ちょ、おい、彼女!?彼女できたのかよ!?」

 「妻の紫乃しのと申します」

 「妻!?」

 「まあ落ち着いて話を聞け」


 健太郎は紫乃さんに座るよう促し、紫乃さんは健太郎の左隣にちょこんと正座をする。まさかまさか。女っ気ひとつなかった健太郎に先を越された?しかも妻って。


 「大学のサークル活動でその絵本を見つけ、調べ始めたのが春。色々あって、お稲荷さんの地点を特定してな。こないだ行ったら嫁が出来た」

 「出来たってお前、そんなお菓子のオマケみたいな」

 「信仰の対象から外れてもう百年以上、いよいよ店じまいってところに俺が行ったんだそうだ。本当なら幸運程度の加護が、閉店セールで直接嫁さんくれた」

 「その通りでございます」


 俄かには信じがたい。けれど、健太郎はここまで大掛かりなウソをつく男でもない。ネタに協力する女の子もいるとは思えない。


 「えっ、ていうことは紫乃さんって狐なの?」

 「はい。いわゆる三狐神さぐじです」

 「えー、それって戸籍とかどうなってるの?」

 「こいつの話じゃ、役所にも妖怪とか神様が紛れ込んでるから大丈夫なんだと。住民票も取れたぜ」


 晴太は絶句した。日本どうなってるの!?


 「だけどな、さすがに知り合い全員に俺の嫁が狐だなんて言うわけにもいかないだろう?」

 「そ、それはそう、なのか、な?」

 「両親と妹には打ち明けた。残りは、昔っからの親友のお前だけだったってことさ」

 「いや、僕はお前がそれでいいならいいんだけど」

 「ちょうど彼女もいなかったし、美人だし、料理もうまいし。袖振り合うも他生の縁って言うだろ?来てくれるってもんを無下に断る理由もないし」


 褒められて紫乃さんの頬が薄紅に染まる。確かに清楚な美人だ、さぞや和服が似合うだろう。


 「それはそれとして、そのフライパンは何?」

 「あっ、これはその、何かおつまみを作ろうと思ったところに、晴太さんがいらしたので」


 つまり僕のタイミングが悪かったというわけか。ちょっと鬼嫁的なものを想像してしまって悪いことをしたなと晴太は思う。まあ頑丈な健太郎だから、フライパンで叩くくらいは苦にもしないだろうけど。


 「そういうわけで、俺の大事な人とは顔合わせしときたかったんだ。こいつはもう親族も絶えて、結婚式とかできそうにないんでな」


 そっと紫乃さんの肩を抱く健太郎に、目を伏せて身を任せる彼女。二人は寄り添い密着し、二人だけの世界に入って行く。おいおい白昼に客の前でいきなりそれか、これって完全に僕がお邪魔なパターンじゃないか、と悟った晴太は慌てて立ち上がる。


 「そうか、ありがとな。紫乃さん、健太郎のことをよろしく頼む。僕ちょっと用事思い出したから、これで失礼するよ」

 「あっ、お夕飯作りますのに」

 「いいよいいよ、その分健太郎に食わせてやって。その袋の中身はお菓子だから、二人で食べて」


 いそいそと荷物を手に靴を履く晴太に、健太郎は一本の透明ビニール傘を差し出した。


 「持ってけ、たぶん必要だ」

 「えっ、?表晴れてるけど?」

 「だからだよ」





 半信半疑でビニ傘を受け取った晴太がアパートの階段を降り、路地をひとつ曲がった辺りで……ぽつりぽつりと雨粒が頬に当たった。空を見上げても、晴天で雲ひとつない。


 「……狐の嫁入り、か」


 軽く土埃の匂いが漂い始めた路地で、晴太はビニール傘を開いて頭上に掲げる。ぱらぱらと音がして、ビニール越しの風景が滲んでいく。


 半透明になりつつあるビニールを叩く雨粒の向こうに、羽織袴の健太郎が白無垢の紫乃さんを出迎える、そんな光景が見えた気がして……晴太は目を何回か瞬いた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

狐女房~埼玉県の民話~ 小日向葵 @tsubasa-485

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ