悲哀の旅行(後編)
前回の悲劇(※ 前編参照)があった修学旅行一日目。その夜。宿泊施設の客室。
俺は睡眠不足にも関わらず、すぐに眠ってしまうなんてことはなかった。
いつも早く寝るうえに、八時間は寝ている俺なのにどうした。昨晩の睡眠時間も短いというのに。
おかげさまで、気心の知れた連中と客室のメンバー編成(四人)ができていたこととあわせて、楽しい時間を過ごすことができた。
消灯時間で部屋が暗くなった後、各々布団に入りながらもこそこそと会話するアレだ。好きな子が誰かなんてお決まりの話もあったかもしれない。
二日目にも悲劇が起ころうとしていたなどとは知る由もなく、存分に楽しさに浸りながらその内に眠っていた。
修学旅行 二日目。
お昼くらいであっただろうか。
バスの中で、俺はある異変に気が付いた。
持ってきたトランプが1枚足りない。
ジョーカーを2枚入れて54枚のカードが53枚しかなかった。
バスの中を何人かに確認してもらったけれど、見つからない。
遊んでいる区切りの時点など、頻繁に枚数確認はしていた。
昨日まであったのは間違いない。
でも、宿泊施設の出発前はして、いない。
まさか。
バスの中でないとしたら、もう見つけての回収は難しい。
このことに俺は青ざめる。
というのも、このトランプは兄に無理を言って借りてきたものだった。
紙の100円程度のものではなく、千円ほどはするプラスチックのいいやつ。
時代と家庭、そして一つ二つではない年齢差。兄弟間の上下関係は物凄かった。
絶対服従、は言い過ぎとしてもそれに近かったと言っていい。
『(1枚たりとも)なくすなよ』
マッサージをするなどして、ようやく貸してもらったトランプ。しかし、なくしてもいい保険まではかけてもらえていない。
兄の所有物というだけではなくて、家族でもよく遊んでいた思い入れのあるトランプ。
1枚なくしたやらかしと兄に怒られる恐れで、俺は半泣き状態だった。
先生にも相談してみた。
宿泊施設に電話してくれたようだったけれど、宿泊施設からの回答は『ない』ということだったらしい。
一縷の望みも絶たれてしまった。
そもそも、大人からしたらたかがトランプのカード1枚だ。
先生は本当に電話をしてくれたのか。
してくれたとして、宿泊施設は探してくれたのか。電話を受ける前に捨ててはいなかったのか。
真相は不明である。
何にしても、楽しいはずの修学旅行が泣くのを必死に耐える旅行になってしまった。完全には耐えきれず、所々では泣いてもいた。
そんなことは知らない友達が話しかけてくる。俺はごまかせていただろうか。
いや、ごまかせずに心配されて、泣いている理由を打ち明けた気もする。
「正直に話すしかないよ」
なんて話があったかどうかは覚えていないけれど、結果として話して楽になったのか覚悟を決めたのかそのあたりで半泣き状態は収まっていた。
帰る前に電話をして打ち明けよう。
ワンクッション置きたかったのか、修学旅行の残りを全力で楽しみたかったのか、そう決意した。
そして、夕方になってようやく電話をする機会が訪れた。
(※ 公衆電話か、その日の宿泊施設の備え付けの電話だったであろうか。携帯電話はまだ普及していない。していても小学生は持っていなかっただろうが)
電話で母に兄のトランプをなくした話をした。
「怒らないように言っておく」
あるいは、兄も在宅しており。
「(兄は)怒ってないって」
だったか。
いずれにしても、そのような会話があって、俺の心の霧はほとんど晴れた。
少し先の話をすると、帰ってから兄は怒らなかった。
一つ二つどころではないほど年が上の兄。その大人な部分を見せたのか。
親が「怒らないであげて」と、トランプの代金として千円を渡したのか。
今となってはもう分からないが。
そんな修学旅行二日目の夜。一日目とは別の宿泊施設。
客室のメンバー編成は昨日と違っていた。部屋も広く、人数も昨日の倍の八人だった。このような旅行は、気心の知れた連中とだけ泊まれるわけではない。さらに、人数が多いことだってある。その勉強であったのだろうか。
俺は遂に睡眠不足がたたったのか旅行や悲劇の精神疲れか、二日目の夜は消灯時間の大分前に眠ってしまっていた。
布団のざらついた感覚に目を覚ます。
まだ明かりは付いている。消灯時間にはまだなっていないのか。
だとすると、つい眠ってしまったようだとしても、大して時間は経っていないようだ。
なんだろう? 客室のみんなが慌てて布団に入った気がしたことに違和感を覚えた。消灯時間になっていないのなら、そんなことをする理由はないはずだ。隠し切れない笑い声も聞こえるような。
そもそも、この布団のざらつきは何だ?
いよいよ、体を起こして布団を確認しようとする。その際、顔から何かが落ちた。
今落ちたのか既にあったのか、敷布団のシーツにスナック菓子。
菓子カスも散乱している。ざらついたのはこれか。
状況が分からない俺だったが、ふと自分の手の平を見て確信した。
手の平に、マジックで『へのへのもへじ』が描かれている。
ああ、いたずらをされたのだ。
はっきりとした笑い声と共に、客室のみんなが起き上がる。
いたずら大成功とご満悦のご様子だ。
俺は特に反応はせずに、『へのへのもへじ』を消そうと洗面所に向かった。
やった側は面白いかもしれないが、やられた側はそうはいかない。腹が立っていた。
ややあってから詳細を聞いたが、鼻にスナック菓子を詰められ(正確には置いた程度か)顔の上でおならをする真似(本当にしたかどうか定かではない)までしたらしい。
「フィニッシュ!」
ブー!
音を口で模したのか、こいたかは知らん。
「ううん」
苦しそうにうなってはいたそうだ。
くそ。
一日目の連中だったなら、こんなことはしなかったのに。
今回のことはあまり関係がないかもしれないけれど、大人数(といっても八人だが)はろくなことがない。
俺の人生での、そのことの始まりであったのかもしれない。
修学旅行三日目。最終日。
は、『貸しはいつか返される』の後半部分が悲劇だ。
よくもまぁ、全ての日に何かしらあったものである。
最後になるが、なくしたトランプのカードはスペードの3。
修学旅行では大富豪(大貧民)をよくやっていたのだけれど、スペードの3から始めていた。役目を終えたカードの一番下になるから、なくなる可能性は一番高かったのかもしれない。
「成野、トランプ貸してくれ」
「いいけど、スペさんないよ」
「いいよ」
俺自身は1枚ない事実をまざまざと思い知らされるからなくした後は使わなかったと思うが、意外とクラスメートには1枚なくても需要はあった。
大富豪(大貧民)をやるなら始まりのカードにしていたから、出されたつもりで始めればそれでよかったのだろう。ババ抜きのババにする手もある。
それにしても、スペさんって。
どこぞのお供の人かよ。
さて、大富豪(大貧民)におけるこのスペードの3。
このカードだけは、ジョーカーに勝つなんてローカルルールがあるらしい。
ああ、そうか。
このカードを失った時に、人生や社会においてのジョーカーには勝てない俺の運命が決定づけられたのかもしれないな。
ふと、そんなことを思った。
(ジョーカーって、誰(何)だよ)
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