悲哀の旅行(前編)

 俺の修学旅行。

 楽しさの裏で、悲劇もまた起きていた。

 小中高と、全てでだ。

 今回は、小学校での話だ。


 小六。某月。

 修学旅行前日の夜、俺は眠れないでいた。


 なんで、眠れない。

 昨年の宿泊学習の前日は、なんてことなく眠れたのに。

 そこまでの高揚や興奮をしているわけではない。ないはずなのに。


 こんなことは初めてだった。

 歩くよりも走る。とにかく動き回っていたためか、エネルギーの消費が激しかったのであろう。俺は床に就くのが小六にしては早く、午後九時や午後十時から朝の六時くらいまでぐっすりと眠っているのが日常だった。


 そう、これは明らかな異常事態。


 未知のものに人は怯える。

 夜に眠れないなんてことが今まで一切なかった俺は、そのことに耐えきれずに泣き出してしまった。


 情けない話だけれど、自分を俺と呼ぶようになっても泣き虫は変わらない。

(実際に俺呼びになったのはもっと早かったと思うが、いいタイミングが見つからず小六としたのは黙っておこう)


 泣いたまま、眠れないことを親に相談する。

 父は言い放った。


「そんなんで、泣くな!」


 俺だって泣きたくない。

 でも、この溢れる涙をどう止められようか。

 幼少期から、俺が泣いていたら父は泣くなと叱責した。

 威圧的にそう言うものだから、ものの見事に逆効果で泣くのは激しさを増した。

 小六になっても、それは同様だった。


 とはいえ、いつまでも泣いていられるわけではない。いつしか涙は止まり、俺は落ち着きを取り戻す。


 母からも言葉があった。


「眠れないなら、目を閉じて横になっているだけでもいいから」


 泣いた姿を見せようが、母は優しい。

 俺はただ、横になってまぶたを閉じた。


 そして、相当な時間を要したものの、ようやく眠ることができた。

 起床時間まで三時間もないほどの、あるいは早朝といってもいい時間だった。



 修学旅行 一日目。


 睡眠不足という不安を抱えながら、修学旅行は始まった。

 初めて乗るフェリーの揺れに、滅多に乗り物酔いしない俺が酔っていた。

 フェリーがそれほどの揺れだったのかもしれないけれど、睡眠不足のせいであったかもしれない。


 乗り物が変わってバス。クラスごとに乗っている。

 酔いはもうなく、気分は爽快だった。


 バスでは、ガイドさんが用意したレクリエーションがおこなわれた。

 全員、いや、何かしらで選ばれた数人かに折り畳まれた紙が渡された。俺もその一人だ。

 ひらくと、その人がやらなければならないことが書いているようだ。


「順番が来るまでひらかないでくださいね」


 ガイドさんはそう言ったけれど、内容が怖いほど気になる俺は紙をこっそりとひらいていた。

 そこには、こう書かれていた。


 歌を一曲歌う。


 まだ、皆の前で一人で歌うことに慣れていない俺に、不安と緊張が一気に押し寄せる。


「はい。〇〇する」


 他のクラスメートがガイドさんに紙を渡し、ガイドさんはそれをひらいて内容を口にする。


 そんな風に、俺の心境など誰も知らないまま、レクリエーションは続いていった。



「はい。初恋のお話をする」


 俺に負けず劣らずの内容を引いた者がいるじゃあないか。


 そいつは、あの永見(※ 前話参照 読まなくても問題なし)だった。

 永見は、小六の教科書に乗っていた『赤い実——(自重)』(掲載時期で年齢がバレるなぁ)の表現をうまく使った見事な語りを披露した。話が本当かどうかは知る由もないが。


 やるな、永見。


 賞賛している場合じゃあない。

 刻一刻と、順番は俺に回ってきている。

 どうすればいい? どうすれば?


 は!


 そうだ。

 俺には、昼休みに友達と練習、正確には覚えたかどうかと詩曲を確認しあっていた歌があったじゃあないか。


 漫画からアニメ化したあの作品のオープニングテーマが。


 そして、いよいよ俺の出番が回ってきた。


 覚悟を、決めるしかない。


「あぁ、ひらいちゃったんですねぇ。いいですけど。はい。歌を一曲歌う」


 周囲がざわつく。

 あいつ、とんでもないものを引きやがったという感じだろうか。


「成野、アレにしとけ、アレに」


 心配してくれたのか、当時流行っていた短い歌を提案してくれる奴もいた。

 しかし、俺はその歌をよく知らなかった。真似て歌うことはできたかもしれないけれど、それも違う気がしていた。


「あの歌を歌います」


 そして、俺は予定通り例のアニソンを歌った。なんなら熱唱した。

 歌えば歌うほど、不安と緊張が和らいでいく。

 そうか。戦うことこそが、震えを止める方法であったのか。

 段々とノッてきたぜ。ひゃっはー。


「もう、いいよ!」


 そんな俺に、クラスメートの一人から残酷にも悲痛な言葉が響いた。


 いや、下手さ加減に自分が聞いていられないということではなくて、それ以上俺が恥をかくのを止めてくれたのかもしれないのだが。


 その言葉で、俺の歌は中断された。まだ、1コーラスも歌ってはいなかった。


 のちに、クラスメートでこの件に触れる者はいなかった。

 別のクラスから、興味本位で俺からこの歌を聴きたい奴が現れたので歌ってやった。そいつも、その後はこの件には二度と触れなかった。


 そんなにも、酷い有様だったのだろうか。

 なんとも面映い話である。


 ああ、『はと(ハトポッポ)』にでもしておけばよかった……。



 後編に続きます。

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