忘れられない出来事と言葉

 皆様には、これがなかったら相当歪んでいたという出来事はあるだろうか。今回は、私のそんな出来事について語ろうかと思う。

 時は小学一年生のころ。当時の自分の呼び方ということで、今回の一人称は『僕』を使うとしよう。あと、周りからは『ナル』と呼ばれていたことにでもしようか。


 では——。



 一年生として学校にも慣れてきた時期の、とある日の午前中。

 僕は学校の体育館で行われていた縄跳び大会の、全学年共通参加の二重跳び部門に参加していた。


 二重跳びの天才、だったわけでは決してない。一年生では跳べる回数が少ないか、そもそも跳べないという子が多かったからだ。そんな中で、僕は三十回ほど跳べただろうか。回数は覚えていないけれど、それで選抜メンバーに入っていた。


 才が秀でていたのとも違う。幼稚園児のころに、僕はとある塾に通っていた。そこでは習字や絵画、ピアノなど広く習っていた。いや、習っていたというよりは楽しんでいたというレベルであろうか。


 出されていたおやつ、おいしかったな。


 そんなレベルだ。


 さて、体育以外の実技が酷いものだったと書いたことがあったけれど、お察しの通りここでもその通りだった。絵が上手に描けないからと、絵を描くはずのおもてか絵の裏に漫画で読んだナレーションを思い出して書いたりしていたような気がする。


「これは、物語かな?」


 塾の先生は創作だと思ったようだ。創作ではなかったけれど、今こうして文章を書いているように、創作を書いているように、このころから何か繋がっていたのかもしれない。


 話が逸れて申し訳ない。


 その塾では縄跳びも行っていた。二重跳び何回クリア、なんて目標があったこともあって、僕は二重跳びができるだけでなく、その回数も上げていた。実技で運動だけは不得意ではないのも、このころからだったといえる。もっとも、器用さが求められるような“あや跳び”や“交差跳び”は碌にできなかったのだけれど。


 ともかく、二重跳びに関してはこの塾での経験があったことで、周りより跳ぶことができていただけだ。同じ塾にいたあの子も参加しているし、そういうことだ。


 そして、いざ計測(勝負)の時。

 計測してくれるのは、同じ小学校に通っていた兄の友人であった。


 結果として、僕は大して跳べなかった。二十回も跳んだだろうか。しかし、兄の友人の計測結果は違った。


「102回」


 は?


 どう考えてもおかしかった。けれど、回数の数え方が僕が知っているのと違うのかと、深くは考えなかった。足が地面に着いた回数ではなく、縄が回った回数だとしても倍になるだけであろうに。


 全員の計測が終わって、結果が貼り出された。


 結果は、二位の上級生の60回程度を大きく上回っての一位だった。


 何が、起きているのだろう?


 同じ塾にいたあの子は30回だった。


 あの子が30回? 塾でもそのくらいだったはず。数え方はやはり同じなんじゃないのか。


 そんなことを思ったけれど、小一の僕には流れに乗ることしかできなかった。あるいは、偽りの一位であろうとも心地よさを感じていたのかもしれない。


 一年生の一位に湧くことは湧いたけれど、天才縄跳び少年現るというほどの熱気はなかった気がする。分かっている人は分かっていたのだろうと思う。


 兄や兄の友人の策略。

 あるいは、先生から一年生を勝たせるような指示でもあったのかもしれない。後に上級生になった時に、一年生を迎える会だったかというものがあって、新一年生は上級生と様々な競技で対決した。そして、先生方は新一年生に協力して勝たせていた。今回の事も、もしかしたらである。


 理由はともかく、表面上は僕の圧倒的な一位。そして、事件はこの後に起こった。



 給食前、廊下を歩いていた僕は、同じクラスのとある子がクラスメートとこんな会話をしているのを目撃する。


「ナルと絶対に話すなよ」


「どうして?」


「どうしても」


 そう。僕は目立ち過ぎたのだ。そのことを気に入らないと思ったであろう子が全員無視を仕掛けようとしていたのだ。誤解なきよう書いておくが、二重跳び30回のあの子ではない。


 気が強い子であったのなら、『おい、お前、ふざけたことするなよ』とでも言って向かっていったであろう。しかし、僕にはそんな気概はなかった。


 終わった……。


 絶望感が心を支配した。得意なものもできて、学校に来るのがとても楽しいと思っていたのに、それが全て壊れると思った。

 人はこんなにすぐに泣けるのかというくらい、一気に涙が溢れてきていた。しゃっくりもでるほどの、激しい涙だった。

 そこから立ち去る。その際、誰かクラスの女の子が心配そうに見ていたような気もするけれど、関係なく歩を進めた。


 とめどなく流れる涙を隠すために、僕はトイレへと駆け込んだ。給食の準備をしている最中だ。誰もいない。


 ここは僕のお城。僕だけの空間。


 どれだけ泣いただろうか。泣き疲れたのか、クラスのみんなが実行するか分からないという一縷の望みを見出したのか、なんとか激しい涙は止まっていた。


 給食を食べる時間が始まってしまう。いつまでもこうしてはいられない。戻らないと。


 何か精神的な揺さぶりがあれば、またすぐに激しく泣いてしまうくらいではあったけれど、そう思って教室へ戻ろうとする。


 戻る途中、全員無視を仕掛けた子が顔を手で隠しているような状態で僕とすれ違った。


 泣いている?


 この時点でもしかしたらと思ったかもしれないけれど、確証はない。不安は尽きない。


 教室に戻り、急いで給食の配膳を受ける。配膳当番のところに並んで貰う方法だったけれど、もう最後の方だった。


「なんか泣いてない?」


「な、泣いてないよ」


 そんなやりとりでもあっただろうか。


 全員への配膳が終わり、みんなが席に着いている。仕掛けた子はどうだったろう。

 あとは「いただきます」をするだけのところで、担任の先生が大きな声で言った。


「このクラスで、ナルを無視しようという話がありました。でも、みんなはナルを無視したりしないよね?」


 先生のその言葉で、僕は先程のもしかしたらに確証を得た。

 先生が気がついたのか、無視の提案をされた子や見ていた子が先生に言ってくれたのかは分からない。いずれにしても、事態を知った先生が仕掛けた子に既に泣くほどの注意を与えていたのだ。

 そして、提案を一方的にでも聞いてしまった子たちが、そのまま僕を無視しないようにそう言ってくれたのだろう。


 もう十分ほっとしていたと思うけれど、嬉しいことは続いた。


「するわけないよ。だって、ナルのこと好きだもん」


 一人の子の大きな声でのその言葉に、同調の歓声が上がった。

 それは、まるでドラマのワンシーンのようだった。


 こうして、僕は全員無視を受けることなく、楽しい学校生活を続けることができた。


 先生が名前を出さなかったか、みんなに道徳を説いたのか、もう既に備わっていたのか、仕掛けた子が逆に全員無視を受けるなど過剰に責められるということもなかった。仕掛けた子も二度とそのようなことはせず、僕ともみんなとも仲良くしていたと思う。

 僕には特にわだかまりはなかった。全員無視を仕掛けてきたことよりも、全員無視が起きなかったことへの安堵の気持ちの方が強かったからだと思う。あとは、仲が悪いよりも良い方がいい。みんな仲良くいたかった。


 大団円、ということでいいだろうか。



 あれから大分時は経ってしまったけれど、今でもあの時の言葉は僕を支え続けている。


『するわけないよ。だって、ナルのこと好きだもん』

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