第44話 灰枝新VS灰枝色2

 警視総監室の窓が音を立てて割れ豪快に飛び散った。


 窓から飛び出てくるのは、数多の巨大な虫たち。

 そして男女の2人。


 外にはどこからか事件を嗅ぎつけたマスコミや野次馬たち。

 警視庁の正面に立っていた彼らから悲鳴が上がった。

 だが飛び出てきた2人は落下することなく、巨大生物の背中を乗り継ぎ縦横無尽に飛び回る。


「あはは~! すごいすごい!」


 高揚したように灰枝色がそう叫ぶ。


「あなたは『飛翔欲』を持つ虫なのね。

 ならどんどん飛んで!」


 乗った背中を撫でると、歓喜の雄叫びをして羽のついたムカデが天まで昇る。


「あなたは『庇護欲』――母性があるのね。

 ならあーくんに抱きついちゃえ!」


 近くにいた大きな口が開いた蠕虫にそう命ずると、その虫は新に飛び掛かる。


 その虫を強固な血で補強した爪で切り裂き応戦し、飛び出た虫たちの背中を蹴り色を追う。

 だが色から送り出される虫たちが次々に新の妨害をする。


 いい加減キリがない。


 そう思って口を大きく開き熱線を照射。

 色が優雅に乗っているムカデを狙うが、他の虫たちが幾重もの壁となり派手に爆発する。

 色はおろかムカデすらも一切のかすり傷なし。

 ムカデはしなやかな動きで警視庁上空を目指していく。


「姉ちゃんに向かって危ないものを撃っちゃダメじゃない」


 冗談なのか本気なのか。

 色は咎めるように腕を組んで眉を顰めると、


「お仕置きが必要だね。突撃!」


 次の瞬間、人差し指だけを立てた右腕を新に向かって大きく振る。

 すると一斉に虫たちが新に襲い掛かる。

 多種多様な巨大な虫たちの運動量はすさまじく。

 人間という小さな的にこぞって突進をすると、虫同士の身体がぶつかり合い表面が剥がれていく。


 にもかかわらず虫は痛がりもせずに新に襲い掛かる。


 まるで電球に集る虫。

 超重量級の虫たちにより新を中心とした球が出来上がった。


「さぁ。どうなるか」


 上空からその球体を期待するように眺める色。

 だがそれも束の間。

 球体はすぐにピキピキと音を立て崩壊の一途を辿る。


 灰枝新の欲は食欲。


 その食欲は清水や東郷によって爆弾や人間までをも対象となったが、元々の対象が消えて無くなるわけではない。


「ピギャァァアアア!」


 巨大な虫たちの断末魔。

 それが東京の空に響き渡ったと思うと、内側からボコボコと球体が脈動する。


 やがて球体の頭に穴が開き新の頭が出てくる。


 顎を動かしながら球体の頭に飛び乗り色を見る。

 その口には虫の足が飛び出ていた。


「やっぱり喰っちゃうよね」


 予想通りとでもいうように鼻を鳴らして笑みを浮かべる色。

 だが新は既に変態後。


 食したものを糧にして自身のものにする能力。

 それは食したものが虫であっても変わらない。

 新の背中がボコボコとうねりを上げると音を立てて翅が現れた。


 更に新は四つん這いになり足に力を集中させる。

 太ももが通常の何倍にも膨れ上がり、脚の筋肉がビキビキと音を鳴らす。


 榊原の筋肉の虫に加え、今喰ったのは巨大サイズになった虫。


 もし地球上の虫が人間サイズになったとしたらその力は人間の何百倍もの強さがあると言われている。

 強大な筋肉比率に基づいたその純然たる力を摂取したことにより、


「――ッ! マジか!」


 一気に跳躍した!


 色が乗るムカデよりも更に高く。

 突風が巻き起こるほどの強い力に先ほどいた球体はボロボロに崩れ、ムカデもガタガタと揺れた。

 更に背中に生えた翅を上手く使い空中で姿勢を制御すると、そのままムカデの頭へ着地。

 迷わず色に向かって突進し手を伸ばすと、


「――クッ……!」


 色はやっと表情を崩して後ろへ跳躍。

 そこには足場はなくムカデから落ちていく。


 それを逃がす新ではない。

 追って跳躍すると、すぐ警視庁屋上にある緑色のヘリポートへ着地する。

 色も残った虫を使い距離を取り華麗に着地していた。

 その距離はもう目と鼻の先。


「ようやく追いついたぞ……姉ちゃん」


「私に触れてからいいなよ。あーくん」


 両者不敵に笑い、警視庁の屋上での最後の戦いが始まった。


★★★


 上空を飛ぶヘリコプターの音が騒がしく聞こえる。

 警視庁の屋上の騒ぎを見てマスコミが急いでヘリコプターを出したのだろう。

 ニュースキャスターが身を乗り出している。

 きっと今頃お茶の間には姉弟喧嘩の一部始終が映し出されていることだろう。

 もしかしたらもう名前も出ているかもしれない。


『あの灰枝家一家心中事件で死んだとされた灰枝色とその生き残りの灰枝新だ』って。


 けれどそんなことを気にしている場合ではない。

 新は色を見据えると、歯を見せ唸りを上げて威嚇をする。

 そんな新を見る色は、というと微笑を浮かべていた。

 近くに色の身長くらいはある赤黒い蠍を側に置き、その頭を軽く撫でていた。

 おそらくこれも『欲の虫』の一種だろう。


 色の能力で強制的に孵化させられた虫はまだ何匹もいる。

 だが、周りの様子を見ているとそのほとんどがゆっくりと自壊しているのがわかった。


「『欲の虫』は人間の中でしか生きられない」


 呟くように色がそう説明する。


「本来なら空気にあたるとすぐに死んじゃうんだ。

 今は私の能力で強化しているけれど、それでも時間の問題。

 私が持っている欲の虫もこの子で最後だ」


 頭を撫でられている蠍が嬉しそうに尻尾や頭を振った。


「『独占欲』の蠍。

 この虫は私を奪おうとするあーくんを全力で倒しにくる。

 だからあーくん。正真正銘これが最後。

 全力でかかってきてね。

 あ、もし逃げたらこの薬、蹴り落とすから」


 色は、欲の虫を殺す抗寄生虫薬を床に置いた。


「そんなつまらないこと、あーくんはしないよね?」


 そう問われた新は唸りを上げ獣のような目で色を睨んでいるのみ。色は目を細めて微笑む。


「あぁ……そうか。変態後の能力。

 もうずいぶん長く使っているんでしょ。

 強くなるけれどその分エネルギーを使い、欲と飢餓感が何倍にも膨れ上がる。

 獣みたいになっているってことは動けなくなるのも時間の問題だね……」


 言われた通り、新の中には理性はほとんどなく暴走する身体に全てを委ねている。


 エネルギー効率度外視のこの状態は確かにもう長くは持たない。

 見えるもの全てが食べ物としか思えないし、臭いも敏感。

 腹も減って体力も枯渇している。

 あと数分もしないうちに倒れるのは目に見えていた。

 この一撃に賭けるしかない。


「グオオォオオッ!!」


「いいね! 最後の攻撃だ!」


 吠えたと同時に色も愉快げに口角を上げると蠍に指示する。


 新と蠍が飛び出していく。

 体長体重は明らかに巨大な蠍の方が上。

 赤黒く煌びやかに光る外骨格も強靭で、両腕の鋏も凶悪だ。

 巨大な尻尾には毒があるんだろうか。


 いや、『欲の虫』ではあるがモデルは蠍。


 何かしらの毒は仕込まれているはずだ。

 一瞬のうちに新はそう判断すると、ならば、と右腕を前に突き出し左腕で掴む。


「――ッ! まさか!」


 その新の掌を見た瞬間、色が驚きの声を上げる。

 掌底には風穴が空いていた。


 決して偶然ではなく意図的に出来上がったそれは新が走る間にバチバチと火花を散らす。


(モット圧縮! モット強く! モット火力をアゲロ!!)


 風穴は銃口ほどの大きさ。

 だが、その中はかなりの高温高密度。

 更に右腕ごと血の鎧で覆い補強する。

 さっき食べた刑事たちの拳銃と、元々持っていた爆弾と東郷の能力。


 それらを組み合わせできた右腕はまさに大砲。

 口では身動きが取れず照準が定まらなかった。


 ましてやこの火力。

 口でしたら下手したら色を殺す前に死んでしまう。


 だが右腕ならば――。


 バチバチという音が鳴り、焔が圧縮され高温になっていく。

 もう右腕内の圧力も限界だ。


 蠍ももう目と鼻の先。

 その瞬間、新は跳躍する。

 筋力強化された足は蠍の頭上を優に超え、蠍は新を見失う。

 その隙に新は空中で体勢を整えると、


「死ね」


 右腕から爆撃音。

 瞬間、新の右腕からは焦げ臭い血が噴き出してしまう。


 だがその衝撃は計り知れず、蠍の身体を貫くと警視庁の屋上自体にも風穴が開いた!


 地上18階建ての建物が大きく揺れ、出来た穴を中心にどんどんと屋上のコンクリートがひび割れていく。


 その揺れはもはや無防備な色に襲い掛かり――、


「あ……」


 崩落と同時に色は空中に投げ出されてしまった。

 それを見た新は痛む右腕を無視して更に空中で姿勢を整えると、空気を足で蹴る。

 衝撃波が出ると一瞬にして色を捕捉する。

 目の前に新が現れ抱きしめられたことに色は目を丸くする。

 新はそんな色を泣きそうで焦がれた瞳で見た。


「これで終わりだ。姉ちゃん……ッ!」


 最初で最後の。


 喰い殺すための。


 姉弟同士の口づけ。


 やがて色は受け入れるように目を瞑った。

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