第45話 姉弟喧嘩の果ての白昼夢

 ふと気が付くと何もない空間に立っていた。


 あれ。ここはどこだっけ。


 確か警視庁の屋上にいたはずだ。


 姉が操る虫を排除し、屋上を崩壊させて。

 落ちていく姉を捕まえたはずだ。

 姉を喰うために――。


 けれどここには何もない。

 瓦礫もないし空も地面もない。

 いるのはただ2人。


「やぁ。あーくん」


 自分と色だけだった。


「……ここは?」


「ここは意識の狭間。

 私たちが混ざり合った結果、私たちの欲が絡まり意識が混在したみたい」


 その説明を聞くと新は「……そうか」と呟き力が抜けたように尻餅をついた。


「俺達は死ぬんだな」


「……そうだね」


 色も気負いがなくなった自然な笑みを浮かべている。


「今は警視庁の屋上から落下中だからね」


「この高さだと榊原や東郷みたいな頑強な摂取者でもひとたまりもないもんなぁ」


「あーくんはいいの?」


 色は首を傾げてそう聞く。

 その質問に新はきょとんとした顔で色を見つめた。


「何が、だ?」


「あーくんも死んじゃうんだよ?」


 あぁ。そのことか、と新は納得したように笑みを浮かべると、


「別にいいんだ」


「……え?」


「俺も一緒に死ぬよ」


 それは初めから決めていたこと。


 色と戦うと決意した瞬間、腹を括った。

 自分の記憶を遡って家族が死んだ理由も色が摂取者となった原因も理解したつもりだ。

 悪いのは組織だし色や叔父を悪の道へ巻き込んだのも組織だ。

 だがその原因をそもそも作ったのは自分だ。


 自分が元々オリジナル――始まりの摂取者であるせいで。

 人類で初めて食欲を増幅させる新種の虫を食べたせいで。


 色や灰枝茂が新を救うために行った研究で悪い奴らに目を付けられてしまったのだ。


 だからもう死のうと。

 家族が、姉が、自分のために。

 これ以上罪を重ねるというのならば殺してでも止めて、そして自分も一緒に――。


 だからようやく終わりが来たことを実感し清々しい。

 安堵すら覚えていた。


 命がけの旅もこれで終わり。

 自分も色も死ねば、数々の犠牲を出してきた組織も『欲の虫』も絶えることだろう。


 あぁ。そういえば『欲の虫』を殺す薬は無事だろうか。屋上に置いたまま放置していた。


(どうか才さんが見つけてくれたらいいな)


「そっか……」


 そんなことを考えていると、色は寂しそうな笑みを浮かべていた。

 それに気が付いた瞬間ふと思い出した。


「……そういえばどうして姉ちゃんはこんなことをしたんだ?」


「…………」


 だが色は寂しい笑みを保ったまま答えない。


 じっと悲しそうな瞳で新を見つめていた。


「言いづらいことなのか?」


「……そうだ、ね」


「もうお互い死ぬんだ。最期くらいいいだろ?」


「死ぬ……か」


 色はそう呟くと、考えるように一度、天を仰ぎ


「そうだね。死ぬか……死んじゃうね……でも」


 そして力なく頭を下げた。




 これを言っちゃうとあーくんをまた縛っちゃうから……。




「え?」


 囁くように言った気がするが、新には何て言ったか聞き取れなかった。

 やがて色は再び頭を上げると、新を真っ直ぐと見つめ薄っすらと口角を上げた。


「もうすぐで地面に当たるね――」


「は? ――――」





――――――――。

――――――。

――――。

――。





「ハッーー!」


 気が付くともう現実に戻ってしまっていた。

 結局答えは聞けず、ならば直接聞こうと抱きしめている姉を見つめる。


 口周りが血だらけで、もう虫の息。


 新の虫は『色の虫』を摘出できたのか。

 自分の口も固形物を飲み込んだ感触が残っているが。

 そこら辺の記憶があいまいだ。

 そして新たちの位置は既に警視庁の6階くらい。

 体感ではもう地面は目と鼻の先だった。


 あぁ。もう死ぬのか。不思議と恐怖はない。

 むしろやっと終わると安心している自分がいた。


 だが――、


「な、んだ……? これ……?」


 急に身体が固まってしまう。

 何かに操られたように身体の言うことが聞かない。


(……! まさか――)


 そう思って色を見つめる。

 色は目を瞑っていたが、その口元は微笑みを浮かべていた。

 変態後の『色の虫』の能力。

 それは人間だけでなく『欲の虫』をも魅了する。


「や、めろ……!」


 そう言うが身体の制御は聞かず抱きしめていた腕が少しずつ解除されていく。

 自分の虫が操られていることがわかる。

 その虫に身体が支配されて新の意志とは裏腹に色から離れていこうとしている。


「腹の虫さん。これからもあーくんを護ってね」


「や、めろ!!」


 何度もそう叫ぶが腕は離れていき――やがて、ポンと軽く胸を押された。

 最後の力を振り絞って色が新と離れたのだ。


「姉ちゃん――ッ!」


 そう叫ぶが色は既に手の届かない範囲。

 そして新の身体を飛翔するムカデが優しく受け止めた。

 色が操っていたムカデ型の欲の虫。

 外気に晒されて外郭がボロボロと零れているが、新を乗せてゆっくりと上へ向かっていく。


「姉ちゃん!!」


 未だ身体は動かない。

 下を向いたまま見ると、色は安心したように笑い血だらけの口をゆっくりと開けると、


「――バイバイ、あーくん」


 そう言い残すと灰枝色の身体は真っ直ぐと地面へ吸い込まれ――。


★★★


 屋上で下ろされた新の身体はある程度の自由が許された。

 だが飛び降りることや手首を喰いちぎるなどのことは許されない。


「……あぁ……ぁぁぁ……」


 最後の色の命令を体内に宿した虫は律儀に守る。

 外に出現した虫は既に破片となりボロボロと欠片が降ってきた。


「新くん……!」


 いつの間にか屋上まで昇っていた才がそう呼び掛けるが、


「ぁぁ……ああ……」


 新にはもう何も聞こえない。


「あぁぁぁぁぁあああ――!!」


 最愛の家族を犠牲にした。

 最愛の姉を死なせてしまった。

 なのに自分は許されない。


 その叫びは東京の空に響き渡った。


 四つん這いとなった新の側には、色が残した瓶が静かに転がっていた。

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