第43話 灰枝新VS灰枝色
「待っていたよ……あーくん。会いたかった」
才のおかげで力が戻りその足で真っ直ぐ警視総監室の扉を豪快に蹴破った瞬間、見えたのは灰枝色の恋焦がれるような表情だった。
頬を赤らめキラキラとした目に涙を浮かべ本当に嬉しそうな姉。
灰枝新は複雑そうな表情で見届ける。
「俺も会いたかったよ……こんなんじゃなければ」
一度は死んだと思っていた家族のひとり。
何度夢見たことか。何度思い描いたことか。
あの事件がなかった場合の今を。
幸せな家族の笑顔を。
生きていたとわかった時、どんなに嬉しかったか。
そして今の状況にどんなに絶望しているか。
会いたくないなんて嘘、口が裂けても言えるわけがない。
それと同時に何故。どうして。
と心の中で叫び続ける。
「そっか……そうだよね」
灰枝色はそんな新の一言に寂しく笑みを浮かべ言い聞かせるように下を向く。
「投降はできないのか?」
一応聞いてみる。
「相変わらずあーくんは優しいねぇ。
でももう無理だよ。あーくんもわかっているんでしょ?」
色は新の方を向くと笑みを浮かべる。
その裏にどんな思いがあるのか。
複雑すぎてその表情から読み取ることができない。
「私を殺さなきゃ終わらない」
そう言うと色は両手を広げた。
右手には白いカプセル剤が大量に入った瓶。
そして左手には透明の液体が入った容器を掲げていた。
白いカプセル剤は見覚えがある。
これによって新の人生は狂わされたと言ってもいい。
瓶の中には数百匹の欲の虫の卵が入っていることが容易にわかり身の毛がよだつ。
じゃあ左はというと?
「これはいわば抗寄生虫薬。
人体には影響がないけれど欲の虫は殺せる。
あーくんを欲の虫から解放するために叔父さんが命を賭して作った最後の薬なんだ」
右手の瓶を傾け、卵をひとつ地面に落とすと左の薬品を少し振りかける。
すると卵から煙が出てきて溶解するように卵が消えてしまった。
だがその効力を見ても、色は悲しそうな表情を見せていた。
「でも残念だけど、私やあーくんのように長年憑いて成虫にまでなった欲の虫は無理みたい」
結局は灰枝茂が生涯を賭けても作れなかった未完成品。
新としてはもう期待はしていなかったが、何故今これを出したのか気になる。
その疑問を察したのか色は答えるように口を開いた。
「だけど飲んだばかりの摂取者になら一定の効果はある」
「! それって……」
「卵を飲まされた刑事さん達ならまだ間に合うんじゃないかな」
色は楽しげに笑った。
「つまりそれを奪えばこの建物にいる皆を助けられるってことだな?」
「もう死んじゃった人は無理だけどね。それに――」
色はパチンと指を鳴らす。
すると警視総監室にいた刑事たちが一斉に新に対して銃を向けた。
「この子たちは別。そう簡単に解放なんてしてあげない」
色によって肉奴隷となってしまった彼らにはもはや意思疎通は難しい。
彼らも解放し、そして下でのたうち回っている刑事たちを助けるためには。
自分の姉がこれ以上の罪を重ねないためには、もう――。
「殺すしかないんだよ。私を止めたいならね」
「…………そうか」
新はボソッと小さく一言呟くと、
「なら俺が姉ちゃんを止めてやる」
と手を前に出し構えを取った。
その両目には涙の川が流れていた。
その新の様子を見て灰枝色は嬉しそうに笑みを溢し、
「いいよ。6年振りの姉弟喧嘩だ」
刑事たちの銃口が一斉に火を吹いた。
★★★
銃弾が飛び交う警視総監室。
狭い室内はあっという間に煙にまみれ、反響する爆音で鼓膜が破れそうだ。
新はその中を強引に突き抜けようとする。
血の鎧で身体を覆い、足に力を集中させて一歩一歩前に進む。
筋力が増大した足は銃弾の衝撃をものともせず。
だが鎧の方は脆かった。
一発一発。
血液の鎧に当たる度にその部分が弾け飛ぶ。
その度に再形成するが、また同じ個所が破壊される。
念のため何重にも張った膜はいとも簡単に粉々になり、そのせいで生傷が絶えない。
今はかすり傷程度。
だけれどこのままいけば致命傷を喰らう可能性すらある。
だが進むしかない。
狭い室内で隠れる場所は限られる。
壁伝いに大回りで走り込み色の元へ行こうとしても、結局はこの銃の大雨に晒される。
どうせ殺られるなら同じこと。
最短経路で色を叩く!
「ガァァアアア!!」
新は超超高密度にした血を左腕に広げて盾のように構えて突進する。
色に操られている刑事たちには極力手を出さない。
例え彼らから美味そうな臭いを感じたとしても、今優先すべきは自分の姉だ。
銃弾の嵐に盾はどんどん削れていく。
だけどそれでも止まらない。
腕が吹き飛ばされようとも脚が砕かれようとも止まるわけにはいかない。
そしてついに―――血の盾が完全に破壊された。
これでもう銃弾を防ぐものはない。
(だったら――! 直接銃を破壊すればいいこと!)
新は近くにいる刑事の銃に向かって、大きく口を開き噛み砕く。
強靭な顎で拳銃をムシャムシャと細かく砕き、ゴクリと飲み込む。
それを近くにいる刑事2、3人に繰り返す。
少なくともこれでだいぶ楽になる。
「なるほどねぇ~。だったらこれはどう?」
一番後ろで新の戦いぶりを観察していた色は不敵な笑みをすると指を鳴らす。
すると、刑事たちは銃を投げ捨て新の方へ向かってくる。
急な人間臭さに新は鼻と口を抑える。
数々の手が新の肩や腹、背中に顔にペタペタと張り付いてくる。
新を中心におしくらまんじゅうが出来上がった。
東郷によって人間の味を覚えてしまった。
充満する芳醇な香りで腹の内から暴走してきそうだ。
それを新は必死に抑えて前に進む。
この人間たちを喰い殺してしまったら色の思う壺。
一度喰ってしまっては夢中になり、色のことなんてすっかり忘れてしまう。
だが、このままじゃ埒が明かない。
新はそう考えると、頭を下に大きく口を開く。
別に喰うつもりなんてない。
(むしろッ!!)
口内でエネルギーを込めるとすぐにハッと息を吐く。
とてつもない衝撃と同時に熱線が新の口から吐き出された。
一瞬にして警視総監室のど真ん中の床に穴が空く。
新を囲んでいた刑事たちは急に無くなった地面に対応できずバランスを崩し落ちていく。
下の階の天井まではぶち開けることはなかったが、それでも充分なほどの深さ。
多少怪我はするが死ぬことはないだろう。
と考えつつ新は肉人形を足場にして警視総監室へ戻っていく。
室内にはもう数えるほどの刑事たち。
色の両隣にいる警と侑里は除き、全てを穴に落とすとすかさず色の元へ一直線。
「へぇ~。そう来たか」
だが灰枝色は驚かない。
むしろ新の成長を喜んでいるかのように笑みを絶やさず、「なら」と右手で持っていた『欲の虫』の卵の瓶をひっくり返す。
何をするつもりだ、と多少警戒するが、その一瞬の戸惑いがいけなかった。
『ギギャァァアアア!!』
叫びのような産声。
瞬間、ムカデのような虫が現れたと思うと新に向かって突進。
新は吹き飛ばされ、その衝撃で壁が凹みひび割れた。
(な、なんだ!?)
色の方を見ると周りに散らばった卵が一瞬に孵化し、多種多様で巨大な虫たちがいた。
「あはは。意外そうな顔だね」
新のその様子に色は面白がるようにそう言うと、近くにいる虫の首を撫でた。
「あーくんも変態したんだろうけど、私も変態済み。
私の欲は欲の虫をも魅了し強化させる」
その説明に新は驚きはしなかった。
あの事件から片鱗はあった。
その上、卵から孵った欲の虫たちは色に懐いている様子だった。
色は巻き付いてきたムカデのような虫をうっとりと見つめると、やがて新を見て不敵に微笑んだ。
「さぁ。第2ラウンドだよ、あーくん」
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