第42話 美しく艶やかで可愛い魅力的な女

 警視庁捜査一課の新米刑事の和木谷九郎わきやくろうがそう思ったのは、テロ集団のひとりに捕まり警視総監室へ連行された時だった。


 警視庁で発生したテロは未だ続き、同僚や先輩は死ぬか謎の薬を飲まされのたうち回るかのどちらかだった。

 わけもわからない突然の襲撃。

 だが刑事ドラマに憧れて刑事になった和木谷にとってはこの映画になりそうな非日常感に少し胸を高鳴らせたのも事実だった。


 ――仲間があんな惨めに死ぬまでは。


 まさかセキュリティが万全のはずの警視庁がこうも簡単に落とされるなんて。

 いや、むしろ死ぬ以上の地獄があるなんて想像もしていなかった。


 今まで見たドラマや映画よりも悲惨で惨く、グロテスクな状況。

 当然、和木谷もテロ集団を相手に応戦していた。

 だが彼らの異常な――どう考えても人間ではないその化物じみた能力を目の当たりにして、蹂躙される先輩を前に逃げ出してしまった。


 トイレの個室にガタガタと震え、このテロが早く終わればいいと願いながら息を潜めた。

 だが地震のような揺れがあった後すぐに敵に見つかってしまった。


(あぁ僕の命もこれまでか)


 と今までの楽しかった思い出を走馬灯のように巡らせていると、何故か生け捕りにされてしまう。

 そのまま警視総監室へ連行された。

 入ったのはこれが初めて。

 へぇ。ドラマで見た時よりも意外と狭いんだな、と思ったのは別の話だ。


「いらっしゃ~い、ようこそ。警視総監室へ」


 それから正面の警視総監のデスクで笑顔でそう話す少女を見て、息が止まった。

 いつの日か見た警視総監の顔ではないことは明らか。

 警察関係者ではないことも、その女子高生の制服のような服装やテロリストがここへ連れてきたことからすぐに察しがついた。


 別にタイプではない。

 自分が好きなのは、金髪ロングでスレンダーな美人でお姉さまのような女性。

 こんな童顔で見た目女子高生の女になんて興味がないはずだ。


 なのに、彼女からは目が離せない。

 少女から出てくる声も耳を擽り、もっと聞いていたい気分に駆られた。


 まだ年端も行かなさそうな女の子なのに、妙にエロく感じた。


(こいつがテロ集団の親元なのか?)


 と考えるのと同時にそんな馬鹿な、と常識が否定する。


 だが、警視総監室へ集められた刑事たちの異様な様子。

 彼女の両隣に立つスーツ姿の男女2人に、両壁に立たされた捜査官十数名――よく見れば2課や3課の知人もいるではないか。

 彼らは軒並み上の空で話しかけてみても一切反応がない。

 にもかかわらず男のアレはスーツ越しからでもわかるほどだったし、女の刑事の頬も赤みがかっていた。


 室内の空気が上気しているようなそんな雰囲気に和木谷は困惑していると、


「まぁ落ち着いてよ、刑事さん」


 とまた脳みそをかき乱す声が聞こえた。

 頬杖をつき楽しげに和木谷を見ている少女。

 その目を見ると、まるで好きな人を見るようでキラキラとしていて目が離せない。


「あんたはいったい……誰なんだ……?」


「私?」


 和木谷の問いに意外そうな顔をする少女。

 困惑しつつも訝しげな顔をしていると、


「あぁ、ごめんなさい。

 ここに連れてこられた人は皆『要求は何だ?』とか『さっさと投降した方が身のためだ』とかがほとんどだったから。

 私のことを聞いてくるのは初めてだったの」


 それは経験の差だ。

 自分以外の全員はここに連れてこられた時点でこの少女がテロ集団のボスだと判断したのだろう。

 故に素性を聞くことをすっ飛ばして、目的を聞いたり脅しをした方が最適だと考えたのだろう。


 逆を言えば、自分はその考えに至らなかったということ。

 そればかりかわかりきったことを聞いてしまったことを恥じ、和木谷は顔を赤らめ黙ってしまった。


「ふ……愚可愛い……」


 その和木谷を見て少女はそう笑みを溢すと、


「まぁいいや。私の名前は灰枝色。

 一応このテロ? ――の首謀者ってところかな?」


 と説明した。

 まぁそうだよな、と和木谷は自分の愚かさに呆れため息を吐く。


 だが答えてくれるということはこの色という女の子は会話を続けようという意志があるということ。

 そこから糸口が掴めるかもしれない。

 そう考えて和木谷は口をゆっくりと開くと、


「僕を連れてきて……何をするつもりなんです?」


「あはは。やっぱり意外な質問。もしかして新米刑事さんかな?」


 楽しげにそう笑う色の表情が魅力的に映る。


「別に取って食おうってわけじゃないよ。ちょっとお手伝いをお願いしたいだけ」


「手伝い……?」


「そう。これから私の弟がこの部屋に飛び込んでくると思うんだぁ」


「弟さんですか……。それは一体何のために?」


「たぶん私を喰うため」


「く……ッ!?」


 それは一体どういう意味なのか。

 和木谷は想像して顔を赤らめていると、色はそんな彼の反応を新鮮だったのかフッと笑う。


「それを防ぐために君やここにいる刑事さん達には壁になってほしいの」


「壁……ですか」


「うん。ほらやっぱり弟と言えどねぇ。

 無理矢理食べられちゃうのは、ダメでしょ?

 昨今はそういう被害も多いっていうし。

 刑事さんならか弱い女の子を悪い男の魔の手から守ってくれるんでしょう?」


「それは……」


 通常時ならそうだ。

 こんなにも魅力的な女性ならそういう被害に遭ってもおかしくはないし、それから守るのも警察の立派な仕事だ。

 だがそれはあくまで通常時の話だ。


「でも色さんはこのテロの首謀者……犯人なんですよね?」


「そうだよ」


「なら弟さんを止めると約束したら、このテロを今すぐに取り止め、捕まってくれると約束してくれますか?」


「え? それは無理だよ」


 何をそんな当たり前のことを、とでもいうかのように色は目を丸くして即答する。


「もう選別は始まっちゃっているんだし、今更止めてももう遅いよ」


「なら協力はできません」


「…………」


「あなたを逮捕することが優先です」


 和木谷はそう言うと、腰から手錠と拳銃を取り出した。

 連れてきたテロリストは和木谷からこれらを取り上げなかった。

 よっぽどの間抜けなのか自信があるからか。


 どちらにせよ、和木谷がすべきことはひとつしかない。


「即刻この馬鹿げた襲撃を取り止め、投降してください。

 さもないと――」


 和木谷は色に向けて拳銃を向けた。

 その行動を目の当りにした色はというと、


「はぁ……だよねぇ」


 と呆れたようにため息を吐くと、


「なら仕方がないね」


 パチンと指を鳴らした。


「――ウッ!」


 その瞬間。

 和木谷の身体が疼き出し、耐えきれずに跪いてしまう。

 血流が早くなり心臓の鼓動が大きくなる。

 顔は上気し、頭の中では常に彼女のことしか考えられなくなってしまった。


「な、なにを……」


 和木谷は正面を向くと、色がピョンと立ち上がり和木谷の方に近づいてくるのがわかった。


「う~ん。一般人の君に説明するのは難しいかな」


 困りげに色は眉を顰めてそう言うと、


「まぁ簡単にいうとこの子たちと同じようになってもらうよ」


 和木谷の頬を撫でる。


「ぁぁああ!」


 すると、今まで感じたこともないほどの刺激が脳裏を走る。

 頬を中心に広がるその刺激は電撃のように身体中を愛撫し、支配される。


「もう時間がないからちょっと強引だけど耐えてね」


 和木谷の全身がビクンと跳ね上がる。

 脳を鷲掴みされているかのように揺らされて涙が出てくる。

 手足がガクガクとしてきてまともに立つことすらできない。


「ぐ……アァ!!」


 抑えようとしても叫びが止まらない。

 口から勝手に漏れる声の振動すらも身体が刺激と感じてしまう。

 靄がかかったかのように思考が鈍り、だが視覚や聴覚などの五感は敏感になる。

 この強い刺激に気持ちよさを超えて逆に気持ち悪い。

 だが、止めてとも言い難い。むしろ続けてほしい。


 そしてやがて――。


「あぁ……あぁ……」


 ここにいる色以外の人間のように目線が定まらなくなり涎が零れ落ち、


「ふぅ。さぁ立って」


 色の言う事しか聞けない肉奴隷が完成した。


「もうそろそろ来てもいい頃だよね」


 この気持ちよさにずっといたい感覚。

 だが同時に理性が抜け出したいと言い張る。

 ここにいる刑事たちはこうして操られたのか。と和木谷は理解した。


 人知を超えた能力にただの人間が抵抗できるわけもない。


(あぁ。僕はこれから死ぬのか……)


 と考え泣き叫びたい気持ちになるが、それと同時に欲情で脳裏がいっぱいになる矛盾。

 その矛盾に気持ちよさと気持ち悪さを感じ、更に自棄になってしまう。


 この状況を打破するには、もう彼女を――。

 だけれど、自分にはもう身体ひとつ動かすことができない。

 もうこのテロ事件は終わらないかもしれない。

 自分はもう助からないかもしれない。


(誰か。誰でもいいから。この子を――。このテロを――)


 ドゴン!!


 その瞬間、警視総監室の扉が音を立てて吹き飛んだ。


「あはっ!!」


 それを聞くと色はとても嬉しそうな表情で振り向いた。

 同時に和木谷もゆっくりと視線を動かした。


 濃い煙の中、ゆっくりと人影が警視総監室に入ってきた。

 煙が徐々に無くなっていくと、1人の少年の姿が見えた。


 白が入り混じったボサボサの黒髪。

 どこか灰枝色の面影が見える顔。

 衣服はなく骨のような鎧を着込み、爪や歯は獣のように鋭い。


 そしてその瞳には涙が伝っていた。


「待っていたよ……あーくん」


 恋焦がれるように色はそう呟くと、少年は色をじっと見てゆっくりと口を開いた。


「全てを終わらせに来たよ――姉ちゃん」

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