第37話 灰枝新の原罪
咀嚼するたびに鮮明に。飲み込むたびに詳細に。
封印された記憶が蘇っていく。
血で塗りつぶされた床に立ち、幸せそうに笑う家族が目の前に。
テーブルに並んだ豪勢な料理の匂いが鼻腔を擽る。
チャンネルが変わるように映像が次々に切り替わり、走馬灯のように過去の記憶が流れてくる。
刻まれた記憶は少なく、脳内で巡る映像はむしろ知らない自分だ。
★★★
『おかわり!』
お茶碗を掲げ威勢よくそう叫ぶ少年の声。
黒髪でまだらに赤みが混じった髪をした幼い少年の顔はよく見知った顔。
『はいはい』
そのお茶碗を優しく受け取るのは記憶にある母の姿。
『相変わらずよく食べるのね』
『うん!』
朗らかに笑う母親に少年は元気よく頷いた。
『だってお腹空いちゃったんだもん』
『さっき食べたのに?』
少年の答えに目を丸くする母。
だが、すぐに笑みを浮かべて、
『じゃあもっとおいしいご飯作らなきゃね』
と少年の頭を優しく撫でた。
見るからに幸せな光景だった。
とても温かくて優しい世界が広がっていた。
――だけれど。
映像は切り替わる。
★★★
『ナニをしているの!?』
母の怒声が響き渡る。
目の前の母親がどうして怒っているのかわからない。
『だってお腹空いちゃったんだもん』
『だからってこんな得体の知れない虫……! いいから吐き出しなさい!』
悲痛な表情で少年の口から取り出そうとするが、もう飲み込んでしまったようだ。
『あぁ……なんてこと! ダメじゃない!』
『でも……だって……』
『でもじゃない!』
『うわーん。ごめんなさーい……!』
母の悲鳴に怯え、鳴き叫ぶ少年。
その少年を強く抱きしめる母。その母の側には、喰いちぎられた虫の脚があった。
――そしてまた映像が切り替わる。
★★★
『あの子は異常よ……』
そんな声が聞こえて少年は薄っすらと目を開ける。ふすまの隙間から光が漏れて、リビングにいる母と父の姿が見えた。
『異常って……まだ子供だろ?
それに病院でも何もなかったんだろ?』
『でも違うの。そうじゃないのよ!』
『大きな声を出すなよ。あの子たちが起きちゃうだろ?』
『あなたは何もわかってない……!
だってあの子、今日だって石や虫やねずみを――』
要領を得ず悲鳴を上げる母を父は落ち着かせようと肩を抱く。
だが今の母には効果がなく机に伏して静かに涙していた。
そんな様子を布団の中から少年は辛そうな顔でじっと見ていたが、
『あーくん……』
上から鈴のように静かに響く声が聞こえた。
見ると少年に向かって優しい笑みを浮かべる少女の姿。
少女はピトッと少年の頬に軽く手を触れると、
『一緒に寝ようか?』
そう言って少年を抱き寄せた。
安心するような温もりに包まれて、少年の意識はゆっくりと暗転していく。
★★★
――そして。
『う……あ……』
あの酒池肉林の地獄がまた脳裏に蘇った。
いつもとは違ってくっきりと再生されている。
五感全てで思い出すそのリアル。
事件の前から後も明瞭に思い出す。
父親は意識無く腰が動き、姉は顔を隠しながら涙していた。
母は包丁を持ち、父の後ろに立っていた。
身体が支配されたように壁から動けずにいる叔父は涙を流しながら笑う。
その惨状を見て、もう1人の男は愉悦を感じていた。
その男の目つきはどことなく警に似ていた。
少年はそれら全ての様子を間近で目撃し大粒の涙を流しながらも自分の欲には逆らえず。
血に塗れたご飯を食べ続けた。
『これで満足だろ? 約束通り色と新は殺さないでやってくれ!』
隣で必死にそう叫ぶ叔父の声が聞こえた。
その声を聞いて、目つきが警と似ている男は満足そうに頷いた。
『あぁ。いいだろう。
色はもちろん、新は貴重なサンプルだ。
こいつに色んなものを喰わせれば、どうなるか。
人類の次に進む道が見えるだろうな』
『いや。新くんには何もしないと約束したはずじゃないか――』
『あー……くん……』
そうやって彼らが言い争う中、囁くような姉の声が聞こえた。
父親の下敷きになって、でもこっちを見て懸命に手を伸ばす姿が見えた。
その手は真っ赤に染まっていて、目は泣き腫らした跡があった。
だが、それでもなお少年を気遣っていた。
少年はそれを目の前にしても手が止まらない。
目の前の良い臭いに欲が抗えず、懸命に口に食物を運び続ける。
そんな少年の苦しそうな様子を姉は力なく見ると、ゆっくりと少年の方に手を伸ばした。
『ねぇ。私の虫さん……あなたの能力なら止められるん、でしょう?
だから――』
力いっぱいに手を握る。
『――う……っ』
すると途端に少年は苦しみだす。
空気に交じって漂う姉の臭い。
それによって少年の欲はかき乱される。
『お前、何を!? ……ッ!
まさか新の欲を殺したのか?』
男は姉に向かって焦ったように叫び、姉はその様子を見て満たされたように微笑んだ。
だが、それと同時にサイレンが鳴り響く。
『チッ。もう警察が来たのか。
色の身代わりを置いて逃げるぞ。
茂は色を連れていけ。新はこの際置いていく。
欲を失った奴に利用価値はない』
慌てて逃げる準備を始めている彼らの脇で、幼い子の中でふたつの欲が暴れ出し――やがて少年の意識は暗転した。
欲が拮抗し、内に潜む虫の動きが鈍化する。
強いふたつの欲が結びつき、食すたびにそれとは違う不快楽が身体を蝕み吐き気を催した。
★★★
あぁそうだったのか。そういうことだったのか。
全て思い出した。全て理解した。
俺が食べたのは。俺は元から。
――始まりの摂取者。
もう気持ち悪さはなくなった。
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