第31話 進藤才の憂鬱3

「兄さん……」


 弱音を吐くように才はそう呟く。

 警が見つかればどんなに自分の気が楽になるか。


 だけど身内を贔屓するわけにはいかない。

 新と警を天秤ではかれば、重いのは身内よりも、警察官よりも一般人。

 一刻も早く新を救い出し、その上で警を捜す。

 警視総監である父にもそう言われたが、それだけではない。

 公安特異伍課として最善だと才は判断した。


 そのことを仲間に提言したら、渋々だが、みんなもわかってくれた。

 だから灰枝新の足取りを掴むことに集中した。

 才は『本の虫』の能力を最大限に使い、得た情報を捜査員に共有。

 その情報から足を使わせて新を捜した。だが一向に見つかる気配がなかった。


 もっと捜査員を増員すべきか。

 いや、でもそれは難しい。

 これ以上広げれば、灰枝新の情報を全て公開する必要も出てくる。

『欲の虫』や摂取者の情報は他言厳禁。

 警察組織の他部署であってもそれは変わらない。

 何より公安特異伍課は法外なこともしている。

 自分達が捜している対象が化物なんて知られたら、芋づる式に特異伍課の業の深さも明るみになってしまう。


「まさに四面楚歌ね」


「まだ起きてるんですか? 才ちゃん」


 そんな声に驚いて仮眠室の扉を見ると、篠原侑里がチョコとペットボトル、それに濡らしたタオルを持って立っていた。

 才の驚いた顔を見て、侑里はフッと呆れたように笑うと、


「ちゃんと寝てなきゃダメじゃないですか」


「でも眠れなくて……」


 気掛かりなことも多いし、考えなければならないことも鬼のようにある。

 第一に『本の虫』の能力を使うと、頭が興奮して大抵いつもしばらく眠れないのだ。


「そういうと思って」


 侑里は才のベッドに近づいて、彼女の額に濡れたタオルを置き優しく仰向けに倒した。

 ひんやりして気持ちがいい。

 酷使しすぎて熱を帯びていた脳にこの濡れタオルは効く。

 タオルからジュッと音が聞こえてきそうだ。


「甘いチョコと水も置いておきますね。落ち着いたら食べてください」


「ありがとう~」


 疲れが一気に吹き飛ぶほどの心地よさ。

 リラックス効果絶大だ。


「あっちは大丈夫なの?」


 出す言葉もなんだか間延びしてしまう。

 そんな才の様子を珍しいと思ったのか、侑里はクスッと笑みを溢す。


「はい。もう一度コンビニ周辺の聞き込みをするようお願いして任せてきちゃいました」


「……そう」


「そして私はこれから警さんの捜査を始めます」


「! なんですって?」


 その言葉を聞き、才は目を見開き飛び上がる。

 だが彼女は意志の強い瞳で才を見つめていた。


「侑里。兄さんの捜査は後回しと言ったはずよ」


 才は咎めるように侑里を睨んだ。

 だが、侑里は平然とした顔で才のベッド近くの丸椅子に座っていた。


「はい。なので私一人だけ」


「そんなのダメに決まっている!」


 才は悲鳴に近い叫び声を上げた。


「いい、侑里。ただでさえ人手不足なの。

 リソース全てを注入しないと1つの事件でさえ回らないほど切羽詰まっているの!」


「それはわかりますが、でもそしたらいつ警さんを捜し出すんです?」


 平静を装ってはいるが、才に負けじと少し声量が大きくなる侑里。


「新くんを見つけ次第すぐよ」


「でもその肝心の新くんが一向に見つかっていないですよね?」


「だからってひとりで捜してもどうにもならないでしょ!?」


 2人の言い合いは徐々にヒートアップしていく。


「そもそも侑里ひとりで何ができるって言うのよ!」


「はいぃ!?」


 その言葉に侑里は目を見開き、才を睨んだ。


「才ちゃん、もしかして私のこと無能だと思ってます?

 確かに前は失敗しましたけど、私だって公安特異伍課の人間。

 それなりにできるんですからね!」


「状況を見なさいって言っているの!」


「見えていないのはそっちでしょ!?」


 侑里の叫びが仮眠室に響き渡った。


「見えてない……? 私が?」


 侑里の言葉を聞いて真っ白になる。

 状況を見えていない?

 常に盤面を捉え、冷静に、時には非情に捜査方針を考えてきたこの自分が?


『本の虫』摂取者として情報を絶えず収集し分析し続け、捜査に貢献してきた。

 その自分が褒められはすれど貶される覚えはない。

 だが、侑里は厳しく非難する。


「えぇ。全然全く見えていません!

 警さんが連れ去られてもう1週間以上も経つんですよ!」


 眉を吊り上げ才を睨む侑里の目には涙が滲み出ていた。


「あの『色の虫』摂取者です!

 3年前仲間が何人も籠絡され逝かされたあの色にです!」


 特異伍課が発足され、まだ人員も多く投入されていた時の話だ。


 ようやく見つけた重要参考人灰枝色を捕まえようと捜査員を送ったところ、逆に彼女に返り討ちにあったのだ。

 動員された捜査員の8割は欲にまみれ内半分が死亡。

 3割は連れ去られた。

 拳銃での応戦も当然したが、逃げられてしまった。

 その事件からしばらくして灰枝色は姿を消した。


 進藤才が特例で公安特異伍課に配属されたのはそれ以降。

 そして摂取者の問答無用の殺処分が決定したのもその頃だった。


「まるで地獄の酒池肉林でした。

 そんな人に拉致されているのに警さんを後回しだなんて!

 警さんをなんだと思っているんですか?」


「でも……兄さんは捜査員だし仮に見つけたとしても灰枝色の足取りは掴めないかもしれない」


「それ以前に警さんは才ちゃんの家族なんです!」


「――ッ!」


「警さんが死んでもいいんですか!?」


 侑里の悲痛な叫びに才の言葉は失った。

 自分だって警を救えるならそうしたい。

 でも自分は公安の人間だ。


 そんな私情を挟んでいいわけがない。

 皆、今切羽詰まっている。

 誰かが冷静に、非情になって事件解決を優先しなければいけないのだ。

 義父にも既に死んでいる可能性を示唆された。


(――だから私は……)


「ねぇ……才ちゃん?」


 侑里は優しく才の手に触れた。


「やっぱり警さんがいなくなって一番冷静じゃないのは才ちゃんでしょ?」


 胸を刺されたような感じがした。


「いつもの冷静な才ちゃんだったら、もっと論理的に判断するはずだよ?

 警さんの端末、何回調べた?

 一回だけで諦めたんじゃないの?

 もしかしたらもう一度調べたら反応があるかもしれないよ?

 まだ死んでいないかもしれない。

 そうじゃなくても警さんの方がもしかしたら早く見つかるかもしれない。

 そっちを探した方が新くんの失踪もわかるかもしれないよ?」


 私情を挟まないようにと心掛けていたのに、むしろその行いこそが私情を挟んでいた。


「警さんと新くんの捜査、同時にできないと本当に思いますか?」


「……ダメね……私……」


 才は肩を落とすと、ため息を吐いた。

 侑里に指摘されて初めて頭が冷えた気がする。

 すると、侑里は眉を顰めて作り笑いをした。


「才ちゃんが意外とダメ人間なのはよく知っています。

 まぁ一番若い才ちゃんに頼りきりな私達大人が一番ダメなんですけど」


「……わかったわ。兄さんの捜査、任せるわ」


「ありがとう! 才ちゃん」


 侑里はギュッと才の手を握った。


「じゃあさっそく警さんの端末をもう一度調べてみます。

 可能性は低いですが、もしかしたらまだ生きているかもしれません」


「あ、それくらいなら今調べるわ」


 才は『本の虫』の能力を解放する。

 警の端末を調べるくらいなら、負荷もそんなにない。

 可能性は薄いがもう一度調べる価値はある。



 だが、端末の位置情報を見て絶句した。



「わかりましたか?」


 侑里が心配そうな顔をして才を見た。

 あまりにも信じがたい結果だった。

 これをどう侑里に伝えるべきか。

 才はしばらく様子を見て、ゆっくりと口を開いた。


「ここよ」


「え?」


「兄さんの、進藤警の端末はここ――警視庁にあるわ」

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