第29話 肉喰い

 パチッ……。


 油が跳ねる音がして目が覚めた。

 近くで何かを焼いている気配を感じた。

 もくもくと煙が立ち上り、換気扇がゴウンゴウンと激しく動いている。


(どこだ……ここは?)


 新は周りを見渡すが、辺りは薄暗く窓もない部屋。

 そして身体を動かすとガチャガチャと音がして身動きが取れない。

 どうやら椅子ごと鎖に縛り付けられているらしい。


(いったい何回目だ?)


 と過去に進藤才によって拘束されたことを想起する。

 が、今回はその時とは大きく違う。


 危険な香りが、ヤバい臭いがプンプンとしている。


 早く鎖を千切り逃げなくては。

 と身体に力を入れるのだが、まったく動かすことができない。


 それに、物理的にも臭いを強く感じる。

 だが口元には未だ拘束感があり、マスクが鉄の拘束具に変えられていることに気が付いた。

 公安特製の臭いを遮断する栓はなく、立ち込める様々な臭いを鼻腔に感じた。


「お、目が覚めたか」


 今、一番聞きたくない男の声が聞こえた。


「東郷明夫……」


 東郷は新の目の前――この空間の中央に鎮座していた。

 トングを握って木製の椅子に座り、地面にカセットコンロとフライパンを置き、肉を焼いていた。


「ここはどこだ?」


「さあ? どこだろうな」


 東郷はじっと肉を見つめている。

 肉の形は歪。ゴツゴツとしていて、嫌な煙が立ち上っていた。

 それは見るからに不味そうで、とても食べられるような代物ではない。

 しかし東郷はそれを気にすることなく、楽しそうな表情を浮かべながら焼いていた。


「まぁお前が知る必要はないことは確かだな。

 ――よし。焼けたぞ」


 と東郷はフライパンから肉を取り出し皿に乗っけた。


「よっこらせ」


 そして徐に立ち上がると、新の近くに寄る。

 東郷の摂取者臭を間近に感じ、新は眉を顰める。


(いや……抑える必要はない)


 ここで東郷を殺せば、時間は掛かるかもしれないが、鎖を引きちぎって逃げればいいのだ。

 新は『腹の虫』の能力を解放し、


「ガアアァァァアア…………ア?」


 捕食しようとしたのだが、口が拘束具によってうまく開かない。

 清水の事件を経て新の能力も力も上がっているはずなのに。

 鋭い舌を伸ばしてもこの拘束具は壊れることがなかった。


「無駄だぞ」


 東郷はその光景を見てクックッと喉を鳴らし笑みを浮かべた。


「この拘束具は特別製でな。対摂取者用なんだ」


 そう説明しながらも東郷は皿を片手に持ち新のマスクの拘束を緩めていた。


「と言いつつ、どうしてマスクを外す?」


 東郷から伝わる美味しそうな強烈な臭い。

 摂取者になってからだいぶ経つことがわかる。

 そんな臭いを嗅げば、腹の虫はグーグーうるさく鳴る。


 新の暴走状態は強くなる。

 それがわからない東郷では決してないはずだ。


「言っただろ? 実験だって――ほら、外れたぞ」


(今だ!)

「ガアアァァァアア!!」


 東郷の言う実験が何なのか不明だが、拘束具を外してくれるなら好都合。

 新は口を大きく開け、東郷に向かって勢いよく舌を伸ばすが、肉の乗った皿でガードされる。


「残念。これも特別製だ」


 そして東郷はその皿をぐっと押し込み、舌を強引に口の中に戻す。

 と同時に乗っていた肉も新の口に押し込む。


「んんん!! ん~~!!」


 口いっぱいに広がる肉の味。

 筋が多く硬くて血生臭く、味付けも塩こしょうだけ。

 えぐみはあるが、豚肉のような風味を感じる。

 そんな味を口いっぱいに感じたのだから、フラッシュバックが起きて当然。


 気持ち悪さで胃液が口に侵入してきた。


「あぁ……ダメだダメだ。まだ吐くな」


 だが東郷は皿を退けようとしない。

 強く抑えつけ、新が吐こうとするのを強引に止めている。

 肉が栓となり胃液は逆流するが、口から出ることはない。

 そうなれば行き場の失った胃液は当然鼻から出る。

 液体が鼻から噴射し、その反射で目からも大粒の涙が出てくる。


「ほら。死にたくなければ噛め。飲み込め」


 東郷は皿を押し付けながら新に命令する。

 その言葉に新は必死に歯を立て、肉を飲み込もうと努力をする。

 気持ち悪さがいっぱいで、頭の中では家族の死に顔が何回もループする。

 胃痙攣が激しくなり、身体の震えが止まらない。

 だが、懸命に新は肉を細かく刻み、


 ――ゴクリ。


 ようやく大量の肉を飲み込むことができた。


「よし。頑張ったな。お疲れさん……」


 すると東郷は皿をどかす。

 助かった、と思うのは束の間、すぐに吐き気を催した。


「ダメだ。吐くな」


 だが、東郷がそれを強引に止める。

 新の拘束具を素早く口に押し付け、口が開かないほどきつく縛ったのだ。

 胃の逆流の勢いはすさまじい。

 口からは出なかったものの吐瀉の勢いは止められず、また別の出口から噴出する。

 ただ鼻穴よりも大きいものは出ていけるはずもなく、胃の中に静かに戻っていった。


「ようやく落ち着いたか」


 不思議と吐き気はもう無くなっていた。

 だが、一回食べたブツの気持ち悪さは残り続け胸焼けがする。

 少ない経験ではあるが直感する。

 あれは豚でも牛でも鳥でもない。


「な……なにを……くわせた……!?」


 辛うじて開く口を一生懸命動かして新は声を出す。

 その様子に東郷は「クックッ」と喉を鳴らし嬉しそうに口角を上げ、パチンと指を鳴らす。

 部屋の照明が点き周囲が明るくなった。


 新は眩しくて目を顰めるが、次第に目が慣れてきて辺りが見えるようになってきた。

 どこかの多目的ホールのようにだだっ広いが、床や壁がコンクリートになっていて無機質。

 そして、その壁に沿って並べられているものを見て、新は目を見開いた。




 人間だった。




 老若男女のヒトが服を着ずに立っていた。

 その誰もが生きているが、目に光が無く茫然と立ち尽くしていた。

 そのショッキングな光景に言葉を失っていると、東郷はニヤニヤしながら親指でさっきまで座っていた椅子の近くを指し示す。


 見たくはなかった。

 東郷の一連の会話。

 そしてこの光景から連想されることといえばひとつしかない。

 どうしても信じたくない。

 いや、もしかしたら何かの冗談で別の何かなのかもしれない。

 一縷の望みを賭けて、ゆっくりと目を動かすと、


「ぁぁ……ぁぁ……!!」


 そこには血だらけになったメイド服を着た女の人が倒れていた。

 さっき東郷に殺されたあの人だ。

 彼女の右肩から先は見えず、肩袖が血だらけになっていた。

 そんな彼女を東郷は指し示した。

 それが意味するのは、つまり――、


「そ、そんな……俺は……」


「人間だよ。お前が喰ったのは」


 そう言われても、新は戻すことができなかった。

 味は最悪。

 気持ち悪さが込み上げてくるのにマスクによって吐くのも許されない。

 そんな新を東郷は口角を歪ませながら見つめた。


「これから2週間。

 お前には人間を喰わせ続ける。

 欲の虫の調整は無限大だ。

 最初は食いやすく脂身も多い二の腕や太腿、ふくらはぎ。

 次に胸や腹に背中。

 最後に内臓類だ。ジュースは人の血液のみ」


 遠くを見ると、死んでいるメイド姿の女の人と目が合った。

 顔の目の前には女性の右足。

 太腿がナイフでスライスされて骨が見えていた。


「これでどれだけの変態ばけものが産まれ堕ちるか。

 クックッ……。

 想像しただけでも面白い」


 東郷は新を楽しげに見つめ、また肉を切りに戻っていった。


「せいぜい調整がうまくいくことを願うよ」


 これからの想像を絶する日々に絶望し、新の顔はみるみると青ざめていった。

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