第28話 雑談

 食器がぶつかり合う音が目の前から聞こえてくる。


 肉の一切れに滴る脂が皿に一滴落ちた。空気を巻き込むように肉を口に入れる。

 舌鼓を打つ音が静寂な空間に響いた。

 そんな目の前の様子を見て、新は眉を顰めてゴクリと飲んだ。


「ん? どうした? 食べないのか? マスクも外さないで……」


 テーブルを挟んで向かい側に座る老齢の男――東郷明夫とうごうあきおがそう聞いた。

 新の目の前にもあの老齢が食べているのと同じ料理が乗った皿が並べられていた。


 ミディアムに焼かれた肉に赤ワインをベースとしたソースがかかっている。

 見た目だけでも美味しいとわかる極上のステーキ。


 見るだけで吐き気がしてきそうだ。


「……せっかくですけど」


「そうか……美味いのにな」


 東郷は心底残念そうな顔をする。

 その表情は嘘偽りがないように見えて新は更に困惑する。


「まぁいいか」


 と東郷はそう言うと、またステーキを口に運んだ。

 そんな東郷を見て新は緊張した面持ちでゆっくりと口を開く。


「それで……何の話ですか?」


「話ぃ? 話ってなんだ?」


 東郷は訝しげに首を傾げている。

 その様子に新は更に眉を顰める。


「いや、だから話があるから俺をこんなところに呼んだんじゃ?」


「ふん。自惚れるな」


 その疑問を東郷は一蹴する。

 赤ワインが入ったグラスを手に取り一口飲むと、


「俺がただ肉を食いたかっただけだ。

 お前をそれに付き合わせているのはただの気まぐれ。

 つまらない話をするつもりはない」


 東郷は心底どうでも良さそうに肉を貪り、酒を楽しんでいるように見える。


「そうですか……」


 そっちがその気ならこっちもやりたいようにやる。

 聞きたいことは山ほどある。

 ふぅと息を整えて緊張をなるべくほぐすと、


「叔父さんが死んだのって本当ですか?」


「言っただろ? 話をするつもりはないって」


「いえ。これは……雑談です」


 新は無表情にそう答えた。

 東郷は『つまらない話をするつもりはない』と言ってはいるものの新との会話には受け答えしている。

 つまり真面目な話をするつもりがないだけで、会話を楽しむのは良いということだ。


「はっ……なるほどな」


 その証拠に東郷はその新の返しを聞いた瞬間、嬉しそうな表情で口角を上げた。


「さすがは灰枝茂の血縁……悪知恵が働く。

 いいだろう。雑談は楽しむものだからな」


 機嫌が良さそうにワインを飲み干し、隣にあったワインボトルから自分でグラスに注ぐ。


「本当だ。灰枝茂は何の疑いもなく正真正銘、死亡した」


「いったいどうしてですか?」


「俺が殺したからだ」


 東郷は握っていたナイフを上げる。

 ナイフを伝ってソースが下に滴り落ちた。


「灰枝茂は俺達にとっては目障りな存在だからな」


(?……どういうことだ?)


 灰枝茂は組織にとって重要人物のはずだ。

 人造寄生虫『欲の虫』の開発者。

 彼がいなくなれば『欲の虫』の生産や拡散が停止する。

 消えて困るじゃないにしても、目障りなんて理由にはならないはず。


 それに――、


「叔父さんが死ねば、『選別』だって難しくなるんじゃ――?」


「お前……どこからその情報を?」


 その言葉を口にした瞬間、一気に部屋の空気が変わる。

 東郷の殺気が膨れ上がり新は思わず口を閉じた。

 東郷の手先にあるナイフが不気味に光った気がした。


「いや……あぁ。わかった。灰枝色だな」


 だが、すぐに東郷は思い出しその殺気を治める。

 新に向けようとしたナイフで目の前のステーキを切り、肉を頬張った。


「困った奴だ。こうも情報を流されちゃこっちも商売上がったりだ」


「姉ちゃんは今どこにいるんですか?」


 ゴクリと唾を呑み緊張した思いで聞く。

 だが、東郷は「知らん」と一蹴する。


「ど、どういうことですか?

 東郷さんは組織――アークの人間なんでしょう?」


「それでも知らんよ。何故なら灰枝色は俺達の敵だから、な」


 東郷はそう言うとグラスにあるワインを一気に飲み干した。


「敵……? 姉ちゃんが? あなたの?」


「そうだ。俺達の、な」


 わけがわからない。

 東郷は摂取者だ。

 だから灰枝色の仲間だと思っていた。


「つまりだな。

 組織には派閥があるんだよ。

 ボス派とそして灰枝色率いる派閥。

 元々はボスが運営ごとに分けたグループ……所謂、事業部だな。

 ボス側は諜報や暗殺、シンパ集め。

 対する色派は摂取者候補の勧誘や『欲の虫』の研究が主だった」


「だった?」


「ボスを裏切ったんだ……灰枝色が、な」


 握りしめていた空のワインボトルにパキッとヒビが入った。

 その音はまるで彼の怒りを表しているようで、鋭い眼光からも憎しみが伝わってきた。


「姉ちゃんはいったい何を……?」


 新の質問に東郷はクックッと喉を鳴らし笑う。

 そんな彼を訝しげに新はじっと見ていると、


「いや、何。今思い出しても笑えてくる話だからな」


 と口を手で抑え笑いを堪えるように喉を鳴らす。だが、その目の奥は笑ってはいなかった。


「虐殺だよ……」


「!!」


「数年前に色の仲間を引き連れて、俺達を襲撃してきたんだ。

 突然だった。

 ボスを含め皆で喋っている時にいきなりな。

 おかげで半数が死んだ。まぁこっちも返り討ちにしたけどな。

 目的は不明。

 色も殺すことはできず、灰枝茂も姿を消した。

 灰枝色自体が抑止力になっているから、報復することも不可能だった。

 だからここ数年しばらく冷戦状態だったんだが。

 ――ようやく灰枝茂を殺せた」


 嬉しそうに笑った。

 先程までの殺気とは違う、愉悦に浸るような笑顔だった。

 その不気味な笑顔は今までにも見たことのある摂取者のそれ。

 新は真一文字に口を閉じた。


 しかしその笑みはすぐに止み、東郷はワイングラスをテーブルに寂しそうに置く。


「だがその報復は凄まじいものだったけどな。

 潜入していた俺たちの仲間が全員、殺された」


「……まさか公安が殺されたのって」


「それは聞いていたのか……その通り。

 俺達側の仲間を殺すためだ」


 その言葉に新は唖然とする。

 それが意味するのはアークの工作員が特異伍課に入り込んでいたということ。


「ありえない……」


「ありえないってことはないだろ。

 確かに組織の奴らが公安に潜入するのは無理だ。

 やはり日本の警察は優秀だ。

 入ろうとすれば1日で捕まり処分された。

 だが元々公安にいた奴なら別だろ?

 奴らにはもう信用がある。

 経歴を調べても怪しいところなど見つかるはずもない。

 そして仲間に信用されている者が1人でもいれば、シンパは虫のように広がる」


 東郷はそう言うと楽しそうに笑う。


「愚かだよなぁ。

 一度でも審査が通れば、もうザルなんだぜ?

 再審査なんてあるわけもない。

 公安が一番、仲間を集めやすかったよ。

 まぁ結局はそれも色に全て壊され台無しになったけどなぁ……おっと」


 そう言って東郷はグラスを傾けようとするが、空になっていることに気が付き左手を上げた。

 すると東郷の後ろから正統派のメイド服を着た女の人がワインボトルを持ってこっちに向かってきた。

 この部屋はテーブル以外が全て暗く、奥にいたはずの彼女に気付かなかった。

 彼女の顔は恐怖に歪められ真っ青で、持っているボトルが震えていた。


「……姉ちゃんの目的はいったい何なんですか?」


 だが新は気にせず話を続ける。東郷は首を振り、ワインが来るまでに最後の一切れを食べた。


「だからわからん。

 俺達への復讐かそれとも別の目的か。

 色の行動は俺でもわからない」


 その女性が近づいてくるたびに彼女の頬に冷や汗があり、呼吸が浅いことにも気が付いた。


「ただ――俺がするべきことはわかっている」


 ようやく東郷の隣に立つと、震える手でワインのコルクを開けゆっくりとグラスにワインを注ぎ始める――。


「色を殺す。それだけだぁ」


 ――のだが。

 東郷の口角が嬉しそうに上がった瞬間、その雰囲気に動揺してメイド姿の女性はワインを溢してしまった。


 摂取者特有の不気味な表情。

 目の前にいた新でさえ背筋を凍らせるほどの殺気と気持ち悪さ。

 手元が滑ってしまうことは仕方がない。


「あちゃあ……やっちまったなぁ」


「も、申し訳ございません!」


 すかさず女性は頭を下げ悲鳴のような声を上げる。

 溢したワインはテーブルクロスだけでなく、東郷の服にもかかってしまった。


「急いでお着替えを……ッ!」


「いいよいいよ。気にすんな。誰にでもミスはある」


 ひどく怒るのかと思えば、東郷は朗らかな笑みで女性にそう言う。

 優しくそう言った東郷にメイドは胸を撫で下ろし安心したような表情になる。

 だが、その安心も束の間。


「それに――」


「え……?」


 女性の首に一閃。

 いつの間にか持っていたナイフには女性の血が滴った。

 首がパクっと前開きになり、そこから一気に血が噴き出てきた。


「君の血でどうせ汚れる」


 東郷はすぐさまメイドの頭を掴むと、腕の力だけで引き寄せる。

 そして女性の新鮮な血を首から直接ワイングラスに注いだ。

 その光景に新は目を丸くする。

 豪勢な料理に血が振りかかるこの状況を見て6年前のあの事件を再起し固まった。

 そんな新に東郷は笑みを隠さず見ると、


「時に灰枝新……君は人の肉を食べたことはあるか?」


 背筋がぞっとなる感覚がした。

 ここにいてはまずい。


「か、帰ります……!」


 新はすぐに立ち上がる。

 だが、東郷の方が早かった。

 いつの間にか目の前から消え、その手にワイングラスを持って新の肩に腕を掛けた。


「帰すと思うか?」


 そう言って東郷は血の混じったワインを飲む。


「あぁ~……ちょっとくせぇな……ストレスの味だ」


「お、俺をどうするつもりだ?」


 緊張で声が震えるのをなんとか抑えて、新は東郷にそう聞いた。


「決まっている。灰枝色を誘き寄せる餌になってもらう」


「……俺が捕まっても姉ちゃんは来ないと思いますけど?」


「いや、来る」


 だが東郷は確信しているように頷いた。


「お前の姉はお前が俺に捕まっているとわかれば、必ず来るよ。

 あいつは口には出さないが、家族のことを大切に思っている。

 来ないなんてことはありえない。それに――」


 そう言ってワインを一気に飲み干し、グラスを落とす。


「灰枝新で実験もしたいしな。なぁ……『腹の虫』?」


 ここで逃げなきゃマズい!

 新はすぐさまマスクの先端を解除しようとする。東郷は摂取者だ。

 臭いさえ嗅げば戦える。


「おっと、させねぇよ」


 だが解除できない。

 いつの間にか新の肩を組んだ腕とは逆の腕で新のマスクを覆っていた。


「は、離せ!」


「そう言って離すバカがいると思うか?」


 東郷の力は新よりも強く。

 両手で掴み離そうとしてもビクともしない。

 初老の男なのに、若い新よりも全然力がある。

 しかも――組んでいた腕で新の首を絞めつけているようだ。

 首がゆっくりと締まっていくのを感じる。


「お前にはしばらく眠ってもらう」


 腕を退けようとしても全然離れない。

 次第に足も浮かんでいく。

 このままじゃまずいのに、抵抗しても東郷は離れない。

 耳元で生暖かいため息が耳にかかった。


「あぁ~……殺さないように注意しなくちゃなぁ」


 横目で見た顔は摂取者特有の恍惚した表情。


「なんたって俺は血が大好きな殺人欲求の摂取者。

『血の虫』摂取者だからな」


 それを聞いて、新の意識は飛んだ。

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