第19話 圧力鍋

 圧力鍋の中ってこんな感じだろうか?


 ぎゅうぎゅうに詰められ身体全てが圧迫される。

 手足一本も動かすこともできず。

 肺が押しつぶされ苦しい。

 にもかかわらず、熱気と空気が籠って臭いが充満する。


 滞留し濃くなった欲の虫の臭いが執拗に脳を刺激する。

 欲望に抗うのが次第に難しくなってくる。


「いいねぇ! いいねぇ! その苦痛に歪んだ顔」


 辛うじて隙間から見えるのはカメラのレンズだった。


「苦しいだろう? 辛いだろう?

 動けないだろう? 僕もさ!

 正直僕も死にそうだぁ!」


 恍惚な表情を浮かべて楽しそうに語る清水。

 その顔は汗だくで興奮しているのか呼吸も荒い。


「あ、ちなみに爆弾はオフにしていないよ。

 その方がスリルがあるからね!

 いつ爆発するのか……考えただけでも興奮する!」


 少年のように目を輝かせ、報酬を目の前にした大人のように下衆な笑みを浮かべている。


「でもどうせならもっとスリルを味わいたい!」


 そう言うと清水はカメラを少しズラして、新に首を見せた。


「ほ……ほら。ここ……隙だよ? 新くん?」


 潤んだ瞳に上気した頬で清水は訴える。

 狙いやすいように首をグイと伸ばしていた。

 より危険なスリルを求めて新を煽っていく。

 動けないと高を括っているのか。


 それとも本気で?


「新くん? 君は僕をサイッコーにゾクゾクさせてくれるんだろ?」


 いや、違う。

 清水は爆弾をオフにしていないと言っていた。

 動きを止めたら爆発すると思っていたが、未だ爆発していないところを見ると違うのだ。


 もしかしたら振動や痛みが発動条件なのか?

 それとも別の?


 清水はスリルを求めている。

 つまり清水は新を煽って何らかの条件を発動させ――、


(俺諸共、皆殺しにしようとしているのか!?)


「いいよ……いいんだよ? 新くぅん……!」


 そう考えていると、清水が誘うような甲高い声を上げた。

 もう既に気持ち良さげな男の声が本当に気持ち悪い。

 そして――それに興奮している自分はもっと気持ち悪い。


「新くんをこ~んなにした敵がぁ目の前にいるんだよぉぉ?

 殺して……いいんだよぉ?」


 清水の首から滴る汗が新の頬に落ちた。


「ガァァアア!!」


 これは怒りなのか、欲望か。

 新は無意識に清水に向けて、舌を伸ばしていた。


 欲の虫捕食に特化した鋭く細長い舌。


 清水もさすがに予想はできなかったらしい。

 ぎょっとした目で高速で迫る舌端を注視し、


「ア……アクション!!」


 間一髪のところでそう叫ぶ。

 すると、清水の近くにいた男子学生が動き、新の舌を手のひらで受け止めた。

 血の雨が新に降り注ぐ。


 舌の勢いはすさまじく、人の掌にクレーターを作るほど。

 だが、直前で勢いを殺したため貫くほどではない。


「アハハ……! はぁ……死ぬかと思ったぁ……!」


 新の予想外の攻撃。清水は恍惚した表情をするが、


「はッ!? ヤバい! ヤバいよぉ!!」


 すぐに慌てたように身体をもがき始めた。


「撤収! 撤収ぅぅ!」


 そのすぐ後に山が蠢き出した。

 ゾンビも一斉にぶるぶるともがき始め、上から順に矢継ぎ早に降りていく。

 死の危機から逃げるような緊急退避。


「早く……早くぅ!!」


 清水も顔をめちゃくちゃにしながら暴れている。

 隙間が広くなるにつれて辺りがよく見える。


(……!? はぁ!?)


 だが新にとっては予想外のことが起きた。

 攻撃を受け止めた男の子の首周りには何も変化が起きていなかった。

 むしろ赤く点滅しているのは、新の近くにいる、新と同じく彼の血が降りかかった女の子の首の方!


「あぁ! 抜けたぁ!」


 清水はそう叫ぶと姿が消えた。

 山から脱出できたのだろう。


「逃げろ逃げろ逃げろぉぉ~!」


 楽しげに嬉しげに。

 まるで絶叫マシンに乗ってはしゃぐ子供のよう。


 続いて男の子も抜け出すことに成功する。

 血が零れないように両手を握りしめていた。

 そしてやがて爆発しそうな女の子も。


(いや、ダメだ!)


 新は力を振り絞って手を動かし女の子の身体を捕まえる。

 この子が逃げれば、逃げた先でゾンビ達がいたら連鎖して首が吹っ飛んでしまうかもしれない。

 他の肉人形も徐々に脱出できている。

 彼女が爆発する前に全員、抜け出せるはず。


 圧がだんだんと下がっていき、身体にもゆとりができた。

 もうこの軽さであれば、抜け出せる。

 新は強引にうつ伏せになると、そのまま身体を持ち上げる。

 崩れ間際の山が盛り上がる。


「グ……ウグッ……!」


 無理やり、地面に足裏を接地!

 すぐに新は女の子を抱え、山の中から飛び出した。

 乗っていた肉人形が弾け飛ぶ。


 この衝撃も起爆条件だろうか。

 いや、あのおしくらまんじゅうでも平気だったんだ。

 きっと大丈夫だ。


 そう言い聞かせて、新は体育館の隅へ走る。

 急ブレーキをかけるのと同時に旋回。


(……大丈夫そう!)


 弾いた高校生たちの首元に異常は見られない。

 だったら、と抱えた女子高生を見る。

 爆弾の起爆まで時間もない。


(この子も諦めるか……?)


 そう考えたが、また意識を戻されたらたまったもんじゃない。


「――って思っているんじゃないか?」


 指が鳴る音。目の前の女の子の瞳に光が戻った。


「え? な、んで? ……ばくは、つ……?」


 意識はなかったが、記憶には残っていたのか、思い出したのか。

 彼女はすぐに状況を理解し、


「イ、イヤ……嫌だ! 死にたくない」


 表情をぐちゃぐちゃに変え泣き叫ぶ。

 なのに――、


「どうして!? 動かない……!」


 あくまで意識を戻しただけ。

 身体は全く動かないらしい。


「さぁ! どうするんだい?

 彼女を見捨てるかい?

 それとも間一髪で助けるのかい?

 新くんのスリルを味合わせてくれぇ!」


 唾を吐きながら叫ぶ清水。

 新は迷うことなく、彼女の首輪を掴んだ。

 別に英雄ヒーロー的な衝動でしたわけではない。

 感情がぐちゃぐちゃになっている彼女を見て、当時の――家族が死んだ時の――自分を思い出したからだ。


(もうあんな吐き気のする思いは充分だ!)


 だから何か行動しなくては、と新は彼女に手を出した。

 だが、首輪はなかなか外れない。

 強引に外そうとすれば爆発する。

 だが清水はスリルを求めている。


 きっとそれは他者のスリルでも満たされる。

 でないとあんなことは叫ばない。


(どこかに外せるようなギミックがあるはず!)


 新は首輪をガチャガチャと弄る。


「は……早く……ダメ……」


 縋るような思いで彼女は新を見ていた。


「ほらほら! あと十秒もないぞ!」


 清水は涎を垂らしながら笑い、カメラを新に向けていた。


「10……9……8……7……」

(どこかに……どこかにあるはずなんだ)


 新は必死に解除するギミックを探す。

 爆発の点滅はどんどんと速くなる。

 虫の臭いもどんどん濃くなっていく。

 瞬間、新は何かを閃いたように顔を彼女の首に近づけた。


「6……5……4……」


「――ッ! 臭い!」


「……え? え? 臭い……?」


 その叫びに彼女は戸惑ったような、傷付いたような声を上げるが、今は許してくれ。


 首の左側でかなり濃い臭いがする部分に微かにだが四角い箱が嵌っているような縁があった。

 その部分を爪でカリカリと引っ掻いていくと、カチャという音と共に首輪が外れた。

 ――首の左側に付着した血濡れの箱以外が。


「な……!」


「え? どうしたんですか? 解除できたんじゃ……!」


 その箱は首に癒着されていた。

 しかも十中八九、この箱が爆弾。

 爆弾の解除は出来ていない。


「3……2……」

(どうする? どうするどうするどうする?)


 頭を回転させろ。ここまで来たんだ。

 強引に引っ張るか? 叩いて潰すか?


 いや、どれも爆発しそうだ。

 ドラマやアニメのような爆弾の解除も論外だ。

 したこともない。


 シューッと煙も出てきた。

 その煙からも濃い虫の臭い。

 もう時間もない。

 この状況で出来ることはひとつしか考えられない。

 新は悲痛な顔で目を瞑ると、


(一か八かだ!)


「え!? 何を……?」


 戸惑う彼女をよそに、新は大きな口を開けて――首の皮膚ごと箱を噛みちぎった。


「1……0……」


 ボン! という大きな音と共に新の口内が爆発した。


 近くにいた女子高生にも爆風が靡いたが、衝撃はかなり軽減されていた。

 幸か不幸か、新の口内も『腹の虫』によって強化されていた。


 だが、完全にはダメージを殺すことはできなかった。

 新の口からは煙が出て血反吐も吐く。

 身体はもう動かず、膝立ちで上を向いていた。


「ア、ァア…………キャァァァアアアア……!」


 近くにいた女の子はそんな新を見て、悲鳴を上げてぐしょぐしょの顔で逃げ去ってしまった。

 全く動けなかったはずの彼女が逃げ出したその瞬間を近くで見て、


(よかった。死ななかった……けど……)


 新は砂を噛むような思いを抱きながら、その場に倒れ込んだ。

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