第16話 調整(チューニング)

「はぁ……はぁ……」


 1人、新は学校の廊下を走る。

 キョロキョロと見渡しつつ学校中を駆け回る。

 2階を周り、1階を周り。


(警さん、どこだ!?)


 清水という警備員を追いかけた警を探し回る。

 決して声は出さない。

 出してはいけない。

 出せば、必ず彼らがやってくる。


 才曰く、警の近くに必ず彼らがいる。

 だから人の密集しているところを探せばいいのだが。


(全然どこにもない!)


 早くしないと警が危ないのに。新は走りながら教室での才との会話を思い出していた。


★★★


 数分前。教室内。


「あの警備員が摂取者!?」


 新は目を丸くしてそう才に聞き返した。

 才は端的に頷くと、


「清水一雄の経歴を簡単に調べたわ。

 彼がこの学校に赴任してきたのはここ最近。

 ちょうど行方不明者が出た時期と一致する。

 前は演出家兼役者だったみたい。

 ネットでも検索したら出てきた。

 彼が主役のホラー作品を自主製作して大爆死。

 文字通りひとりの役者が爆発に巻き込まれた。

 そのあとすぐにその仕事を辞めたみたい。

 そしてここに赴任されるまで少し間隔があいている。

 無職期間があるのは、アークの新人にはよくある経歴ね」


「でもそれだけじゃ……」


「いいえ。新くん、言っていたでしょう?

 清水からも臭いがしたって」


「! い、いや。でもちょっと待ってください」


 才の言葉に混乱した頭を整理するように新は額を手で抑える。


「確かにあいつの前で臭いはしました。

 けれどその臭いは暴走するほどじゃなかった」


 才が目の前に来た時。

 榊原が目の前に来た時。


 新は自分の理性が破壊され本能のみで行動してしまうような感覚があった。


 けれど、清水一雄を前にした時。

 確かに臭いはしたが、新にはちゃんと理性が残っていたのだ。

 食べたいとは思った。だがそれまでだ。


「これは仮説よ」


 と困惑している新に才は冷静に見つめる。


「摂取者の臭いは摂取した時期に比例して強くなる。聞くけど新くん。

 私と榊原、どっちの方が臭いがした?」


 急で一見脈絡のなさそうな質問。

 しかも臭いという女性にとってはデリケートな問題に新は戸惑った。


 だがすぐにそんな新に気が付いたのか


「いいから」


 と才に急かされて、


「たぶん……才さんの方だと思います」


 と遠慮がちに言う。

 その答えを聞き、才はため息を漏らす。


「やっぱり……」


 なんだかいたたまれない。

 だが才はそんな新の様子を気にしていないようで、話を続ける。


「おそらく清水は新人工作員。

 私が潜入する時、簡単な調査をしたんんだけど顔すら見たことなかったから、ほぼ確定的。

 そして清水が摂取者となったのは比較的最近。

 摂取者としてはまだ未成熟でしょう。

 だから臭いも弱かったんじゃない?」


 確かにそれだと辻褄が合う。

 そしてそれが、新が感じた違和感の正体……?


(いや、それとはまた違うような……そんなことよりも!)


 気になるのは別のことだ。


「じゃあ清水はどんな『欲の虫』を?」


「それは、おそらく――」


★★★


 1階にも2階にもどこにも人の気配がない。

 中庭を中心に囲むように出来た校舎。

 隠れる場所なんてどこにもないはずなのに。


 もう危険は差し迫っている。


(だけどこのままじゃ埒が明かない)


 やがて新は1階の廊下で走るのを止めた。

 このままやみくもに探したとしても彼らの方が地の利がある。

 隠れてしまっては見つけ出すことも難しい。

 効率的に探し出す方法を考えないとダメだ。


 新はひとつしか思いつかなかった。

 それをすれば、きっとより人間から離れてしまう。

 生活内での刺激が強くなり、いつ暴走するかもわからなくなる。


(だけど!)


 新は意を決して、マスクの先端の蓋に触れた。


 カチと音がなり、勢いよく開いた。

 そして、すぐに目を閉じると、大きく肺を膨らませる。


(ゾンビには摂取者の残り香がある……)


 残り香が残存しているかはわからない。

 しかも今までだったら摂取者の近くにいないと臭いを感じ取れなかった。

 だけれど、才の言葉を思い出す。


『私たちが寄り添いさえすれば、欲の虫は私たちに応えてくれる』


 虫の欲に寄り添い自分の思いを押し通す。


 要するに利害の一致。

 臭いが感じないのなら、遠くまで感じるようになればいい!


 遠くの欲の虫も感知できるようになるんだ。


 それだったら腹の虫おまえも満足するだろう?


(進化。調整。あとは……)


『覚悟の問題よ』


 腹の虫が雄叫びを上げると同時に、先ほどまでは感じなかった強烈な臭いを感知した。


(3階……おそらく才さんだ)


 摂取者の強い臭い。

 3階にいる才の臭いまで感じてしまうほど。

 こんなにも早く調整ができるとは。

 だが、今はこれを感じたいわけじゃない。それに、


(まだ精密じゃない)


 靄が掛かったようにブレて複数いるかのように感じた。


(ゾンビはどこだ!?)


 残り香ゆえに強い臭いではないはず。

 ゾンビに成りすました行方不明者を嗅いだ時のことを必死に思い出し、


(もっと……強く! 精密に!

 指向性をもって……!

 この臭いを……嗅ぎ分けろ!)


 腹の中にいる虫に喚き散らした。すると、


(! ミツケタッ!)


 応えるかのように腹の虫が鳴った。

 それと同時に新は牙を見せて笑う。

 場所は1階。この近く。

 だが校舎内じゃない。新の足は自然に残り香へ駆け出した。


 マスクの栓をすることも忘れて――。


★★★


 臭いが強くなるごとに新の息が激しくなる。

 足も軽やかに、手の振りも大きく。


 まるでお腹を空かせた猛獣が待ち望んでいた獲物を狩るように。


 新の身体は前傾姿勢になり、全速力でその場所に向かった。

 手錠はいつの間にか破壊されていた。

 腹の虫の強い欲で力の制御ができなくなったらしい。


 暗い廊下の中、眼光鋭く走る猛犬はやがて――、


(ミエタッ!)


 その扉を前にして知性なく突進した。

 金属の扉が破壊される音が響き渡る。


 フローリングの床に扉が落ち、体育館の広い空間に人が密集しているのが見えた。


 複数のうめき声の中、微かな悲鳴を新は聞き分けると、ニヤリと口角を歪ませた。


「見つけたぞ……清水一雄……!」


 正気を失った人達の中で、身を縮めた警備員姿の男を新はまっすぐと見た。

 清水は頭を抱えて怯える演技をしていた。


「まさか……体育館にいるトは……盲点ダッタ……」


 自然と涎が噴きこぼれた。

 更には自分の理性とは裏腹にマスクを握りつぶしていた。


 もう新を抑えるモノは何もなかった。

 広い体育館。

 充満した残り香と本体の臭い。


「き、君? あ、新くんだっけ?

 どうしてここに?

 まさか助けに来てくれたのか?」


 清水は新を見ると、嬉しそうな表情を見せる。

 まるで被害者という役をしているかの如くだ。


「ア……あんタの……正体ハ……知ってイル!」


 暴れ出そうとしている欲望を何とか理性で抑えて新は叫ぶ。

 扉を閉じ切って密閉されていたのだろう。

 摂取者の臭いが充満している。

 敏感になっている鼻がひくひくと動く。


「へ? 正体? いったい何の……?」


 未だしらばっくれる清水。

 話をしていても埒が明かない。……し、


(モウ我慢……ムリ……!)


 新はもう限界だった。

 有無を言わさず新は清水の方に突撃していく。


「ままままま待って! い、いったい何の話!?」


 そんな新の突撃に涙目になりながら手を前に出す清水。

 こんなにも叫んでいるのに、ゾンビが襲ってこないのがもう確定的。


 こいつを喰えば、行方不明者を解放できる!


 そう考えた新はスピードを上げる。


「何!? 何の!? ヒィィィいいい!」


 清水の首を掴もうと、手を伸ばした瞬間――、


「――アクション!」


 新が貫いたのは高校生姿の少年の右肩だった。

 清水の盾になるように急に目の前に現れた。


「アァ……命の危険、サイッコーォォ……」


 右肩から血飛沫が出ている中、ギリギリ血のシャワーを浴びない距離で恍惚する清水の顔が見えた。


 欲が満たされて達したようなその表情。

 才の推測は的中だった。


『清水の欲望は『刺激欲求』。

 恐怖やスリル――死の危険を味わうことで満たされる摂取者よ』

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