第15話 色の虫

「――さて、そろそろ話を戻しましょうか」


 才は頭に人差し指をつけると真剣な表情で新の方を見た。


「あのゾンビ達、どうしましょうか?」


「全員、摂取者なんでしょうか? あのゾンビ達」


「臭ったの?」


「はい。微かにですが。

 少なくとも篠原さん――でしたっけ?

 あの公安の方――とその隣の高校生は2人とも臭いがした気がします」


 あと清水さんという人も、と警備員の名前を口にする。


「でもあの人はたぶん勘違いだと思います……」


 彼の近くで息を吸った時、既に近くには沖田がいた。

 摂取者の可能性がある沖田の臭いを嗅いでしまい清水からも臭いがしたと勘違いしたのだろう。

 距離が遠かったからか少し違う臭いがした気がしたし。


 才は新の見解を聞くと考えるように一度下を向き、それからすぐに新の方を向いた。


「全員が摂取者というのはあり得ないわね。

 そもそも欲の虫の摂取は死亡リスクの方が高い。

 行方不明者の全員が全員摂取者になるのなんて奇跡に近いわね。

 だったら摂取者に操られている方が高い。

 確認だけど、侑里とあの高校生。

 同じ臭いがしたんじゃない?」


「あ、はい。確かに同じだったと思います」


「であれば彼らは1人の摂取者に操られていて、その摂取者の残り香が彼らに付いていると考えた方が自然ね」


 確かに才の見解の通りなんだろう。


(同じだったけど……)


 だが、あの臭いにどこか違和感を覚える。

 才や榊原のような摂取者とはまた少し違ったような気がする。

 臭い自体が残り香でそもそも弱かったからだろうか。


「ん? どうかした?」


 そんな新の様子に気がつき才は新の方を向く。

 それに新は慌てて首を振る。


「あ、いえ。なんでもないです」


 まだ臭いを嗅いだ経験が少ないからだ。

 言語化もできない些細な違和感だ。

 そう思って新は何でもないように話を続ける。


「それよりいったいどんな虫なんでしょうね?

 人を操るなんて」


 そんな新の様子に訝しげな視線を送るが、少しため息を吐くと、


「…………人を操る欲の虫――つまり欲望はそんなに多くはないはずよ」


 左手を握り一本一本指を出すような動作をした。


「支配欲、自己顕示欲、独占欲、それに――性欲」


「性欲ですか? 他はなんとなくわかるんですが……」


 支配欲も自己顕示欲も、それに独占欲も、人に認められ思うように動かし我が物にしたいという欲求に通ずる。

 だが、性欲だけは別な気がする。

 他者の存在は関係なくて、自分が気持ちよくなればそれで良いと感じるからだ。

 だが、才は首を横に振り否定する。


「元来、性欲は種の保存のために存在するわ。

 つまり効率的に欲を満たすには、他者との行為が必要なの。

 この欲ほど他者の存在が不可欠な欲はないわ。

 そしてもし今回の事件が性欲の虫――『色の虫』摂取者によるものならば……かなり厄介ね」


 冷や汗をかき表情が歪む才。

 そんな才の反応に新は恐る恐る口を開いた。


「どうしてですか?」


「何故ならその摂取者はアークのナンバー2。

 最強の摂取者であり、最初の欲の虫被験者だからよ」




 その才の発言に新は息を呑んだ。

 そんな新を気にせずに才は話を先に進める。


「アークに潜入する前から耳にしていた。

 人の全てを破壊する最凶最悪の悪魔だって」


 一度接触したら最後。人の尊厳や理性を犯され、ただの猿に戻ってしまう。

 その人の言葉しか聞こえないし、その人しか見えない。その人のことしか考えられなくなる。

 その人の喜ぶことをしたくなるし、その人が嫌がるものは排除したくなる。

 誰もがその人に奉仕したくなり、ただの性奴隷に成り下がる。

 潜入した他の公安捜査員の中にも餌食になった人がいる。


 コードネームは『アスモデウス』。


「組織壊滅の際に最も脅威となる最凶の相手よ」


 才は両腕で自分の肩を抱き合わせて身震いしていた。


「才さんも……会ったことが?」


「ある」


 才は震える声で言った。


「でもすぐに逃げたわ。この人はヤバい。そう直感したの」


「大丈夫だったんですか?

 その……さっき猿にって?」


「見てわかる通り、大丈夫よ。

 あくまで接触――というより唾液とか汗とか粘液に触れなければ大丈夫みたい」


 性欲を増幅する欲の虫。

 その響きだけではあまり恐ろしさを感じないが、普段冷静な才のこの反応。

 新はゴクリと唾を呑み込んだ。


「……つまり今回襲ってきた人達もその摂取者の奴隷だってことですか?」


「あくまで可能性よ。

 それが最悪のシナリオ。

 できれば違う可能性を考えたいものよ」


 才がそこまで怯えるほどの摂取者。

 もしそんな人がこの学校内にいるというならば、自分達ではもはや太刀打ちできないだろう。


(あれ?)とそこで新は思い出した。


「そういえば、どうして教室は安全だと思ったんですか?」


 襲われた時、才は迷わず近くの教室に入ろうと宣言していた。

 あの時は慌てていて気にも留めていなかったが、思えば才は確信めいた表情をしていた。


 すると才は、


「単純なことよ」


 と自分の考えを説明し始めた。


「彼らは声に反応すると思ったの。

 彼らが窓から突入した後、彼らは一瞬立ったまま動きを止めていた。

 たぶんガラスの音でどこに行けばいいのかわからなかったから。

 それから私が声を出すとすぐに私の方を見てきた。

 その後、最初に沖田さんが襲ってきたのは声を発した私。

 沖田さんが爆死した後、新くんが私の名前を叫んだ時に、侑里は新くんの方を襲ってきた」


 あの一瞬でそこまで分析をしていたなんて、と感心すると同時に当時の様子が明瞭になってきた。

 確かに彼らは自分達の声にぴくぴくと反応していた気がする。


「だから教室に隠れてじっと声を出さずにいれば、彼らは私たちを認識できないと仮定した」


 結果は大成功。

 才の機転のおかげで新たちは事なきを得たのだ。

 だが、そうなると思うのはやはりあれだ。


「やっぱりゾンビですね」


 うめき声を上げながら人間を襲い、声に反応する。

 性質はやはりホラー映画のゾンビのようだ。

 となると心配なのは、


「あの警備員さん――清水さんのところに行ったってことですかね?」


 新は浮かない顔で才にそう聞く。


「おそらくね。だけどあっちには兄さんがいる。

 あれくらいじゃなんともないわよ」


 そうですか、と新は少し安堵する。


(それにしても――)


 映画のゾンビでは噛まれるとゾンビになるようだが、彼らはどうなるのだろうか。


 いや、顔も普通だし、ただうめき声をあげて襲い掛かるくらい。

 動きを止めたら爆発する。

 ゾンビのようではあるが、実際には――、


「演じているみたいですね」


 意外そうな顔をして新を見る才。


「あ、いや。なんとなくなんですけど」


「言って。些細なことでもヒントになり得るから」


「……ホラー映画のリハーサルを見ているみたいだなって」


 その発言に才は目を丸くし、やがて考えるように顎を指に乗せ下を向いた。


「確かにそう考えると……最近赴任……経歴は……この名前……」


 ぶつぶつと呟きつつ目を瞬かせる才。

 心配になって「あの」と新は呼びかけるが反応せず、何かに没頭するかのように集中している。


 やがてハッと顔を上げ忘れていたかのように息を思いっきり吸うと、


「兄さんが危ない!」


 才は真剣な顔をしてそう叫んだ。

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