第14話 本の虫

「ぅぅぅうあ」


「静かにね」


 廊下から聞こえるうめき声に新と才は息を潜めてやり過ごす。

 廊下側の壁にぴったりと張り付き、できるだけ彼らに見えないようにする。


 やがて廊下からの声は小さくなり、深夜の学校らしい静寂が訪れた。

 どうやら彼らは新達には目もくれずどこかへ行ってしまったらしい。


 壁によたれて才と新はふぅと息を吐いた。

 ずるずるとそのまま地面に座り込む。


 束の間の休息だ。

 脅威は去ったがあくまで一時的。だが混乱した頭を冷やすには充分だった。


(あれはなんだったんだ……?)


 冷静になるとだんだんと思考が明瞭になってくる。


 突如現れた行方不明の人達。

 未だ死んでいなかったのはよかったが、首に爆弾を巻かれ正気がなかった。

 ふらふらとうめき声を上げながら、新たちに襲い掛かるその姿はまるで――、


「ホラー映画のゾンビね」


 才が発した言葉に思わず彼女を見る。

 まさか考えていたことをずばりと言われてしまうとは。


「なに? その顔」


 面食らった顔で見ていると、才に訝しげな目で睨み返された。


「まるで心が読まれたーみたいな表情をして」


 図星を突かれて新は目を逸らす。

 だが、またそんな心境を理解されてしまっては恥ずかしい。


 話を変えよう。と必死に考えを巡らせて――


「あ!」


 思いついた。


「け、警さん……無事かなぁって……」


 さっきまでの新の表情に納得がいったように才はため息を吐く。


「あの人は大丈夫よ。

 逃げた警備員の清水一雄しみずかずおを保護して必ず戻ってくるわ」


「え!?」


 予想外の言葉を聞いて、素っ頓狂な声を出してしまった。


「警備員の名前、知っていたんですか?」


「あぁ。そういえば言っていなかったわね」


 と才は自分の頭を指差した。


「私が『本の虫』を摂取した知識欲爆発人間だということは聞いたわね」


 言い方があれだけど、と戸惑いつつも新は頷く。

 確か警と才が言い合っている時にそんな話も出た気がする。


「そのせいで私は常に知識を収集する必要があるのだけれど、どうしていると思う?」


「え? それは……本の虫というくらいだからやっぱり本ですかね?」


 新の推測に才はほくそ笑む。


「いい線をいっているけれど残念。ハズレ。正解はこれよ」


 才は新に自分の携帯端末を見せる。画面にはブラウザが表示されていた。


「ネットですか?」


「そういうこと。でも端末これで知識を得ているわけじゃない。

 虫の能力で脳に直接、回線を繋いでいるのよ。

 つまりネットに漂っている全ての情報を私は常に脳内で閲覧している。

 もちろんこの学校のサーバーもね」


 ようやく新は才が警備員の名前を知っている理由がわかった。


「侵入するのはかなり楽だったわ。

 さすが学校。過去の生徒の成績も……管理がずさんね。

 新くんのお姉さん、成績が良かったのね。

 まぁ尤もこの能力をもってしても、アークの情報はほとんど閲覧できなかったけれどね。

 本部がどこなのかすら調べてもわからなかった」


 常に情報を取得し、閲覧しているという才。


 そのおかげで知識欲が常に満たされている状態を実現し暴走しないようになった。

 欲の虫は欲が満たされれば暴れない。

 欲の虫に支配されず理性が優位に立つにはどうすればいいか。

 才が考え出した結論がこれだった。


 だが、と新は心配そうな表情を見せた。


「大丈夫なんですか……?」


「あら。優しいわね。そりゃあ編み出した当時は大変だったわよ」


 才は回顧するようにため息を吐く。

 常にネットに繋がっているということは、才の頭の中では常に無限に近い情報が駆け巡っているのと同義。

 情報が津波のように襲ってきては、更新され、見たくもない知識も得てしまう。


「知識は水と同じね。適切な量であれば気持ちよく漂える。

 けれど多すぎれば溺れてしまう。

 それが嫌で、子供の頃のように本だけに戻してみたけれど『欲の虫』は凶悪ね。

 どんどん欲を増幅して、枯渇させ、本から離れられず、知を奪う者には容赦しなかった」


 私自身にもね、と才は遠い眼で過去を語る。


「だから調整チューニングした」


「調整……?」


「知識欲が満たされれば『本の虫』は満足する。

 だから私が欲しい情報しか得ないように回線を調整したの」


「! そんなことできるんですか?」


 目を丸くする新に才は昔の自分を思い返すように笑みを浮かべた。


「できるわ。そもそも新くんの、欲の虫のみの捕食もいわば調整の結果でしょ」


 新は思わず自分の腹を摩る。

 確かにあの偏食行為は通常の食事ができない新と『腹の虫』との折り合いによる結果だ。


 通常の食事をしていたらあり得なかっただろう。

 だが、相手は自分の欲や人生を混沌に陥れた人造寄生虫。

 そんな虫が人間の思いに従ってくれるなんて俄かには信じられなかった。

 だが、才はそんな新を真っ直ぐ見つめる。


「いい。新くん。『欲の虫』は意外と柔軟よ。

 私たちが寄り添いさえすれば、『欲の虫』は私たちに応えてくれる。

 凶悪な人造寄生虫ではあるけれど、所詮は生き物。

 ――『欲の虫』に罪はない」


 あとは、と才は諦めたようにため息を吐くとゆっくりと口を開いた。


「覚悟の問題よ」

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