第7話 覚醒

 何故そう叫んでしまったのか、新自身わからなかった。


 体力が欠落した自分があんな強くて恐ろしい敵に立ち向かっても敵わないことなんて明白。

 だけど才があと少しで死ぬとわかった瞬間、叫ばなければと心が訴えた。


 別に彼女に思い入れがあるわけではない。

 初めて会った人だし。


 けれど才が殺される瞬間、かつての自分――6年前の自分を思い出してしまった。

 もう同じことが目の前で起きてほしくない。

 そう思った瞬間に咄嗟に選んだ行動が叫ぶことだった。




 新の叫びが倉庫中に響いた瞬間、榊原が彼の存在に気付いた。

 声がした方をキョロキョロと探し、新を見つけると訝しげな眼差しを向けてきた。

 榊原に捕まっていた才も新を見ると目を丸くしてパクパクと口を開け閉めしている。


『バカ! 何やっているの!? さっさと逃げなさい!』


 そう言っているかのようで、表情が真っ青になっていた。


「才さんのお仲間? ……いえ。ただの一般人ですか?」


 そんな才の様子と四つん這いで息絶え絶えになっている新を見比べて、榊原はそう判断する。


「一般人に見られるとダメなんですけどねぇ。組織うちは表向きクリーンですから……」


 何かしら迷っているかのように指で顎を摩る榊原。

 しかし、やがて「まぁいいです」とその手を才の頭に戻した。


「才さんを殺した後であなたも殺しましょう。

 そうすれば万事解決。

 あ、SNSには拡散しないようにお願いしますね」


 もししたら、と榊原は笑みを浮かべつつ新に殺気を向ける。


 やはり叫ぶだけじゃダメだったか。

 むしろ新を逃がす手筈をしていた才の努力が全て水の泡だ。

 才ひとりだけが犠牲になるはずだったのに新も殺されるという最悪の状況。


(なんとかしないと……!)


 このままじゃ状況が悪化しただけで何にも解決しないことになってしまう。

 せめて才が殺されるのは止めないとダメだ。

 榊原がいうようにスマートフォンがあればよかったが、才に取られたみたいで現在持っていない。


(なにか……他になにかないか……?)


 すでに才の首が90度に捻じ曲がってしまっている。

 必死に抵抗しようとしているが榊原の力に抗えていないようだ。

 あと少し捻れば、才の命もろとも折れ曲がってしまう。


(なにか、なにか……!)


 新は必死に頭を回し榊原や才の方に目を向ける。

 ジタバタと藻掻く才の足。

 揺れるスカート。

 それによりポケットから何かが落ちた。


 それを見つけた瞬間、思いついた。


「あ、んたが盗られた『欲の虫』とかいう、卵……この人は、持っていない、ぞ!」


 榊原の手が止まった。思惑通りだ。


 ポケットから落ちたのは新の薬が入っていた袋だ。

 榊原にとってその卵は大事なものなのだろう。

 どうしても取り返したいに違いない。

 そう考えて新は落ちた薬を指差した。


「落ちた袋を、見て、みろ。それは俺の薬、だ!」


 才を掴んだまま榊原は地面に落ちた薬を拾った。

 氏名欄に『灰枝新』と名前が書いてある処方箋。

 中身も確認すると、その袋をぐしゃっと握りつぶした。


「なるほど。確かにその通りのようです」


 つとめて冷静な言い方をしているが声が震えている。

 鋭い殺気を眼鏡の奥に込め才を睨む。


「才さん……私を騙しましたね!

 私はおちょくられるのが一番嫌いなんです!

 才さんも知っているはず!

 知っていてなおやるとは。万死に値する!」


 才の首を絞める力が強くなる。


(まずい……!)

「こ、この人を殺せば、本当の在処は、教えない!」


 榊原は才の首から手を離す。

 才は受け身を取れず地面に落ちる。


「カッ……ガハ……あら……ゴホッゴホッ……」


 首を抑えて涙目で新を呼び掛けようとするが、うまく発音できない。

 榊原は拳を掌に打ち付け、笑みを浮かべて新の方へ近づいていく。


「つまり君は知っているということですか? なら」


 と榊原が一瞬消え、瞬間、新の目の前に現れた。

 新が認識する前に首根っこを掴むと、


「教えてもらいましょうか! 君が本当に知っているというのなら、ね!」


 榊原は息がかかる程新の顔に近づいた。


「ア、あぁ……」




 ――誤算がひとつあった。




 榊原の圧に震え、殺意に目を丸くする新。

 榊原が接近し表情歪ませ狼狽えてしまう。


「早く教えてください。

 それとも私が怖くて何も言えなくなりましたか!?」


 いや、違う。それ以上に狼狽えてしまった原因――であり誤算。

 それは――、


(この人の臭いも……クラクラする……!)


 榊原から漂ってくる臭い。


(……喰いたい……!)


 その衝動に新は上気した。




「早く答えてください!」


 芳しい皮。香ばしい肉。

 筋肉同士の溝に滴る汗が溶けた脂のように感じる。


 榊原の息が、蒸気が、熱気が、顔にかかるたびに涎がどんどん出てくる。


「どうしました? 知ってるんでしょう?」


 握る力がどんどん強くなり、新の首がどんどん絞められていく。

 苦しい。だが、それ以上に榊原を――欲している。


「やめなさい! 彼は何も知らない!」


 才が新を助けようと叫び声を上げる。


「なら彼を殺したあとに才さんに聞きましょう」


 だが、もう無意味。

 榊原が新を発見した時点で2人を始末することは決定事項だ。

 才にはもう何もできない。


「さぁ。説明する準備はできましたか?」


 首を持ちながら新を揺らす榊原。

 身体が揺れるとまた臭いが不規則に漂ってくる。

 頭に靄がかかり、肉のことしか考えられない。

 どんどん口から涎が溢れていく。


 しまいにはグーッと腹の虫が大きく鳴き叫ぶ。


「プッ……フハハハハ! いいご身分だ!

 まさかこんな時に腹が鳴る?

 呑気なものですね。

 自分が置かれている状況がわかっていないようです!

 だったら――」


 首を絞める握力が更に強まっていく。


「わからせてあげましょう。

 才さんが欲の虫の卵の在処を知ってるとわかった時点であなたはもはや用済み。

 いつまでも答えるつもりがないというなら今すぐにでも殺してあげましょう!」


 愉快そうに歯を見せつつ笑う榊原。

 そんな彼に絞められて、血管や気道、神経までもが潰され思うように息ができない。


 考えられない。


 思い浮かぶ単語は『喰いたい』それのみ。


 握力が増していくたびに汗が滲み出てくる彼の肉を貪ってしまいたい。

 無意識に新は榊原の腕を両手で掴む。

 この筋肉質の腕。

 脂身が少なく、汗で湿り気があり、火照っている肉を――、


(クイタイ……!)


 瞬間、榊原が悲鳴を上げた。


 首を掴む力が緩む。だが新は落ちなかった。


 榊原の腕をがっしりと握り――いや、爪を立て榊原の筋肉に出血するほど食い込んでいた。


「貴様ァァ!」


 榊原は新の頬を鷲掴みすると、怒りのままに床に新を叩きつけた。

 その衝撃で床が割れた。


 新の手は榊原の腕から離れ、傷口から榊原の血が飛び散った。


「私の美ボディがァァァア!! 貴様ァァ! 自分が何をしたのかわかっているのか!?」


 榊原は顔を真っ赤にさせ目を見開き新を睨みつける。

 だが新は何も考えられない。

 傷がついた部分から滴る血を見て理性は既に失い、もう一噛み。


「ぐぁ!」


 思わず手を離す榊原。

 新の口元を掴んでいた手をギュッと握る。

 痛みが走ったのか榊原は自分の手のひらを確認すると、目を見開く。

 その後すぐに歯をギリギリと擦り新を睨みつける。


「またしても私の美ボディに傷をつけたな!」


 新に手のひらを見せる榊原。

 血だらけで噛みちぎられたような痕。

 勢いよく手を前に突き出したから、仰向けになっていた新の頬に榊原の血飛沫が付いた。

 だが新はその手を虚に見て、黙々と顎を動かし続ける。


 無表情に咀嚼する様子を見て、榊原は絶句する。

 自分の『欲』に従い新は噛みちぎった肉――榊原の一部を味わいつくす。


 だが、


「ペッ……!」


 その肉は自分が――腹の虫が求めているものではなかった。

 横を向き勢いよく近くに血だまりの肉を吐き出す。

 垣間見える新の異常性に、榊原は彼の行動の真意を推し量るようにじっと見つめ、戸惑いの表情を見せた。


「な、なんなんだ? 貴様……いや、貴様、まさか摂取者か!?」


 榊原の表情を見つめた瞬間、新は無意識に笑みを浮かべる。

 もはや人間のそれではない。


 笑みの隙間から見える歯はギザギザとしていて肉を噛みちぎるのに特化し、ペロッと血だらけの口元をゆっくり嘗める舌は長く奥のモノを掴み取るのに適している。


 榊原をじっと見つめる眼は――捕食者のそれだった。


「キヒッ」


 笑みを見せた瞬間、掌底打ちが顔を横切った。

 榊原が、新が行動するよりも早く右側の手のひらを床に叩きつけたのだ。


「誰にそんな眼を向けているんです?」


 榊原は鼻でふんと笑いながら余裕の表情を見せる。


 だが――腹の虫が再度鳴る。


 その瞬間、新は榊原の首に両手を回すと、榊原の太い首に爪を喰い込ませた。


「――しまっ!?」


 驚きのあまり榊原は身体を引こうとするが、右手が床に埋まってしまったようで動けない。

 新の爪はいつの間にか捕食に特化した鋭利な凶器となり、榊原の首から血飛沫が舞った。


「またしても! くそっ!」


 悲鳴を上げる榊原。

 新ごと持ち上げようと上半身を力いっぱい上げるが、埋まった腕はすぐには抜けない。

 その隙に新は榊原の顔面に目掛けて大きく口を開け襲い掛かる。


 だが、失敗した。


 榊原の反応速度の方が早く、首を反らし避けた。


「貴様ァァァ!!」


 すぐに榊原はそう叫ぶと左手で新の腰辺りを掴み力いっぱいぶん投げる。

 抉った榊原の首の肉片と共に新は倉庫の棚に一直線。


 榊原の力は強く、新の体重は軽かった。

 早さはあったが滞空時間が長く、その時間は新が生存本能のまま体勢を整えるのに充分な時間であった。


 両足で棚の側面に着地。

 衝撃で棚に陳列してあった椅子や机が崩れ落ちたが、新はそのまま榊原の方へ!


「グゥァァアアアア!!」


 腹の虫と共に新は吠える。

 思考はもはやひとつしかない。



 ――喰らい尽くせ!



「しつこいぞ!」


 新に返り討ちしようと榊原は左腕を伸ばす。

 だが、新の速度にはもはや対応できなかった。

 左腕は弾かれ、その隙に榊原の顔面を新の両手でがっしりと押さえられた。


 新はニヤリと口角を上げた。

 紅潮した頬に、愉快げに細くなる眼。

 更に舌なめずりする口元。

 何をしようとしているのか榊原にも伝わったらしい。


「や、やめろ……」


 冷や汗ダラダラの状態で榊原は訴える。

 だが、新にはもう伝わらない。

 新は本能のまま大きな口を開けると、榊原の口元に自分の口を近づけた。


「やめてくれぇぇえええ!! ――ん……ん~~~!!」


 左腕で抵抗を試みるが、頬に歯が喰い込んで離れない。

 更に新の舌が素早く榊原の口内に侵入し、息ができない状態で榊原は血を吐いた。

 舌は伸び続け喉へ、胃へ到達し、内側から凌辱する。

 どんなに鍛えていても内臓だけは鍛えられない。


 榊原の中から何かを探すように舌を動かし続け、やがて――、


(ミツケタ……!)


 新の舌はそれを巻きつける。


 ブチブチブチ。と内側から引きちぎった感覚。

 それに繋がった線が全て引っ張り出され、身体から全ての力が抜き出していく。


 シューッ、と榊原の身体から蒸気が出ていく。

 全てを掻き出すにつれて、榊原の筋肉がだんだんと音を立ててしぼんでいく。

 能力を全て喰い尽くしていく。


 やがて、新は榊原の顔面から離れた。

 榊原の口から引っ張り出してきたのは手のひらサイズの大きな血だらけの虫。

 カブトムシの幼虫のような形で至る所に細い管が飛び出ていた。


 新の長い舌に巻き付かれ、もはや動けなくなっていた。

 新はそのまま舌を巻き取り、自身の口元に納めると、ゴクリと一口で飲み込んだ。

 喉元を血と共に虫が過ぎる感覚。

 その感覚が尋常じゃなく気持ちがいい。


 飢餓から解放される。

 新は頬を紅潮させ気持ち良さそうに舌なめずりした。


「クソ……たれ……」


 一方、能力を根こそぎ奪われた榊原はその衝撃に耐えきれず――そのまま絶命した。

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