第6話 邂逅2

「……チッ。どうやら話はここまでのようね」


 倉庫の横壁からの衝撃音に才が面倒臭そうに舌打ちをしたのが聞こえた。

 流れるように才は新の後ろに回り込むと、後ろの方から射撃音が響いた。


 聞こえた瞬間、鎖が緩くなった感覚。

 縛りがなくなった新は力なく椅子から離れ、両腕を地面についた。


 何かが起きたことは新にもわかった。

 だがそれが意味することは把握しきれず、突然解放されたことに新は戸惑う。


「立てる?」


 動けなくなっている新の横で才が屈む。

 新は呆然と地面を見ている。


「まだ一般人のあなたを巻き込みたくないのだけれど」


 才は新の胸に腕を回すと立ち上がらせようとするが、力が入らないのか新は全然起き上がることすらできない。

 むしろ才が近づいたことで良質な香りが漂ってきて


(な、なんだ……? これ? この人の臭いを嗅ぐたびに頭がクラクラとする……)


 今まで感じたことのない身体の不調に混乱する始末。しまいには。


 ――グー……。


 緊張感のない音。新は思わず右腕で腹を抑える。

 まさか。こんな緊迫したシーンで。

 腹の虫はとことん空気を読まない。


「す、すみません……」


 さすがに羞恥心が出てきて、顔を赤らめる新。


「…………そういうことか」


 だが、才は何故か納得したように息を漏らすと、新から離れ立ち上がった。

 そして端末を取り出し素早く何かを操作すると、


「動けないならここで身を屈めて隠れてて」


 と言いすぐにポケットに戻した。


 新の周りには自身が座っていたパイプ椅子のほかにサイドテーブルや本棚、ソファなどの家具が配置されていた。

 身を屈めていれば、先ほど開けられた横穴からだと新の姿はほとんど見えない。


「幸いは、私にしか興味がないようだし」


「ハァー! ハッハッハァー!

 やぁと見つけましたよ! 進藤才!」


 倉庫の壁側から陽気な笑い声が聞こえた。

 穴をあけた張本人だろう。


 その声が聞こえると、才は新がいるところからゆっくりと大きく離れた。

 敵に新を察知されないための措置だ。


 新も動けはしないが、男の方を向いた。

 棚やサイドテーブルで全ては見えないが、隙間からその男を見られた。


 オールバックした黒髪に髭が丁寧に剃られたこけた頬。

 スクエア型の眼鏡をかけた目は細く笑みを絶やさない。

 更に黒のスーツズボンに白いワイシャツを着用しているが、その服がパツパツとするほどの筋肉。

 インテリサラリーマンのような顔や服装なのに、筋肉が発達した身体がどことなく歪に感じた。


「よくここがわかったわね。榊原」


 才が威勢のいい声を発すると、榊原と呼ばれた男は左腕を持ち上げた。

 榊原の手には血だらけになった男がいた。

 黒のジャケットに黒ズボン、白のワイシャツに黒のネクタイを着たスーツ姿の若い男だ。

 頭から血を流し、榊原に頭を鷲掴みされていた。


「才さんのお仲間に教えてもらったんですよ……ねぇ」


 手に持った男を見せびらかせるように榊原は手を前に向ける。

 男の意識は辛うじてあるが、もはや話せるほどの体力がない。

 そんな男の様子を見て榊原は何を思ったのか腕を軽くシェイクした。


 振るたびに血塗れの男はうめき声を上げる。


 その様子に才は顔を顰め榊原を睨みつける。

 だが榊原は愉快そうに微笑んだまま、


「お役目ご苦労様でした」


 ベシャ、と大きな音を立てて男を壁に叩きつけた。

 男の身体から花火のように血が噴き出て壁を赤く塗りつけた。

 その状態からはもはや助からない。


 才は不快感を顕にして、持っていた拳銃を握り直す。


「残念ですねぇ。

 彼が死んだのは才さんの責任ですよ。

 無警戒にこんな新人くんを1人で外に行かせて、なおかつ私たちの組織を裏切ったんですから、ね!」


 ギリッと歯ぎしりをする才。

 だが、睨みつけられている榊原は臆することなく、


「あぁ……違いました。

 そもそも裏切ってなんかいませんよね~」


 と演技臭く、わざとらしく、右手で額を軽く叩く。


「あなたは元々組織に仇なす側。

 公安のスパイなんですから」


 榊原のその言葉を聞いた新は思わず才の方を振り向く。


(公安? あの進藤さんとかいう人、そんなにすごい人なのか……?)


「だったらなに?」


 才は榊原の方をじっと見てそう言った。


「あなたの組織全てに知られているというのならヤバいかもしれないわね。

 おそらく生まれてきたことすら後悔するほどの凄惨な拷問を受け、最後には人喰い虫の中に放り込まれ悲惨な最期を迎えるでしょう。

 けれどこの状況。

 察するに榊原、あなた一人しか知らないんでしょう?」


 その問いに榊原は「フフフ……」と得意そうに笑みを浮かべて眼鏡を上げる動作をする。


「ご明察。さすがは進藤才ですね。

 えぇ。おっしゃる通り私しか知りません」


「組織では情報共有が鉄則。

 それを破って一人で追いかけるなんて。

 あなたこそとんだ裏切り行為ね」


「ふん。なぁに。そんなこと些細なことですよ。

 あなたを殺しその首塚を土産にすれば、ね。

 そうすれば私の地位は上がり、組織での発言力がより上がる!」


「どこの戦国時代だか……でもいいの?」


 と才はガサッとポケットから出した。

 新の名前が書かれた処方箋だ。榊原に見せびらかせるように――氏名欄を隠したまま――掲げると、


「これ。盗られたままで」


 つまらなさそうに榊原は眼鏡を中指で押さえたまま下を向く。


「あぁ。欲の虫の『卵』ですか」


「これが公安の研究チームに渡ったとボスに知られれば、卵の管理責任者であるあなたもただじゃ済まないんじゃないの?」


「そんなこと。

 才さんを殺したあと取り返せばいいだけのことですよ」


「フッ……だから脳筋なのよ」


 これがブラフである可能性を考慮しないなんて。と言わんばかりに才は嘲笑する。


「どうやら死にたいようですね」


 榊原の眼光が鋭くなった。

 踏み出す足が重く、一歩一歩歩く度に地面を踏みつける音が聞こえる。

 榊原が近づく度に、才は銃を彼に向かって放ち、少しずつ新から距離を取る。


「無駄ですよッ!」


 榊原の身体は鋼鉄の防弾チョッキを着ているかのように銃弾を弾いていた。


 銃弾が当たる度にボロボロになっていくワイシャツ。

 それが鬱陶しくなったのか、榊原はワイシャツの真ん中を掴みボタンを引きちぎる勢いで脱いだ。


「私も欲の虫――『筋肉の虫』摂取者!」


 出てきた身体は血管が浮き彫りになるほどパンプアップされていた。


「虫によって手に入れたこの最高の肉体で――あなたを殺す」


 榊原は脇を締め両腕を曲げて拳を強く握り、肥大化した三角筋や腕を見せつけた。

 眼鏡をかけたそのインテリ顔と肥大化した身体がより歪に見えた。


「だから脳筋バカって言っているのよ」


 才は新のいる場所から離れるように走り出す。


 目指すは、倉庫の扉。

 榊原の注意を引き、新を巻き込まないように外に出る気のようだ。


 榊原はここに一般人がいることを知らない。

 銃で榊原を牽制しつつ、才は倉庫から出るために掛ける。

 だが、榊原は近くにあった備え付けの棚を持ちあげると、


「甘いですよ!」


 とそれを才に向かって投げ飛ばす。


 砲撃と見紛うそれは才の方へ一直線に、かつ高速に飛翔する。

 間一髪で避ける。

 直前まで才がいた場所が大きな音を立て、棚が破砕した。


 その衝撃は爆風の如く。

 近くの物も巻き添えにしつつ才を吹き飛ばした。

 才は耐えることが出来ずゴロゴロと地面を転がり、ヒールが脱げ服は埃まみれとなる。


 やっと止まったと体勢を整え立ち上がろうとすると、


「無駄ですよ」


 もう既に榊原が目の前にいた。

 ガシッと才の首根っこを掴むと、そのまま真上に持ちあがる。


「時間稼ぎのつもりか何のつもりか知りませんが、私から逃げることなんてできませんよ」


 ジタバタと抵抗するが全く外れる気配のない握力。


「カ……カハッ……」


 首が締まり息を満足に吸えずうめき声を上げている。

 才は銃を榊原に向けるが、それすらも掴まれ銃身を力づくで曲げられた。


「至近距離ではさすがに傷がつきますからね」


 曲げた銃を才から奪い取ると、そのまま横に投げる。

 銃は真っ直ぐ壁に刺さると、中にあった火薬も相まって爆発した。


「これで無力化できました」


 榊原は不気味に口角を上げる。


「さて、それでは裏切り者の才さん……」


 榊原は掴んでいる手とは別の手で才の頭を鷲掴みすると、徐々に徐々に螺子を回すかのように才の頭を捻り始めた。


「これで終わりです」


 才の声にならない悲鳴が聞こえたが、榊原は止まらない。


「さようなら……」


「や、めろ……!」


 その瞬間、新の振り絞った声が木霊した。

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