第5話 邂逅

 金属製の大きな扉がスライドする音で新は目が覚めた。


 起きた時、最初に思ったのは、「なんだ。まだ生きていたのか」だった。


 重度の空腹状態は未だ健在。

 頭はぼうとしているし、口の中はパサついてもう唾も出なくなっている。


 そんな状態で生存していたことに僅かながらに驚いた。

 と同時に、自分のしぶとさに呆れもした。


 ただ体力は相変わらずほとんどない。

 重力に逆らうことができず首が折れ曲がり、そのせいで自分が椅子に座らされていることにようやく気が付いたほど思考力も落ちている。


 しかもほんの少し身体を動かそうとすると、それに連動するように金属同士が擦れる音が聞こえた。

 パイプ椅子に鎖で縛りつけられているらしい。


「気が付いた?」


 凛とした女性の声が聞こえた。

 身体を動かした音で新が覚醒したと気が付いたのだろう。

 ヒールの音を響かせながら新に近づくと、腕を組みながら彼女は新の前に立った。

 そんな彼女を見て新は眉を顰めた。


「あ、んたは……昨日ぶつかった……?」


 艶やかな金髪ロングにキリっとした目の美人がそこにいた。

 同時に良質な香りが鼻腔を刺激して、新は思わず顔を逸らした。


「あら? 覚えていたの? あの時はごめんなさいね」


 そんな新を彼女は冷静に見ていた。

 まさかまた出会うとは思いもしていなかった。


(じゃあここは……?)


 と目をゆっくり動かすが、この女性に似つかわしくない暗く陰湿で清潔感がない場所だった。


 薄く埃が舞っているし、彼女の声が響き渡ることからそれなりの広さがあるところだとわかる。

 新の目の前にはサイドテーブルや机、ソファ、それに本棚などが配置されている。

 どこかの家具量販店の倉庫だろうか。


 ――とはいえ自分のこの状況。決して穏やかとは言えない環境だ。


「安心して」


 新のそういう考えを察したのか彼女は冷静に言葉を続ける。


「別に危害を加えるつもりはないわ。

 場所は詳細には説明するわけにはいかないけれど、まぁ、どこかの倉庫とだけ言っておく。

 ただ……そうね。

 あなたを縛っているのは安全上の問題。

 所謂、念のためってやつ。確認が取れたら、すぐにでも解放してあげるから」


 少し我慢してほしい、と彼女は髪を耳にかける。


 矢継ぎ早に説明され、抽象的な単語のみの内容だったから真意が読めない。

 ただでさえ思考がうまくできていない状況。


 安全? 確認? 何のことだかさっぱりだった。


「といってもいきなり鎖で縛られていたら不安よね。

 まぁ外すわけにもいかないのだけど。

 とりあえず心理学では名前を知ると安心できるそうよ。

 だから私の名前を教えてあげる」


 そう言って彼女は白衣のポケットから自分の名刺を見せる。


「私の名前は進藤才しんどうさい

 以後よろしくね」


 新はゆっくりと軽く会釈する。

 名刺は名前以外が黒塗りされていた。


「ごめんなさいね。

 まだあなたを――というよりお互いにね――信用できたわけじゃない。

 だから全てを明かすわけにはいかないの」


 と言いつつ進藤才はまた名刺をポケットの中に戻す。

 その言い分も新には理解できた。


 逆に正直に言ってくれた方が、下手に隠されるよりも安心する。


「それで――くん。

 聞きたいことがあるの」


 胸がドクンと跳ね新はバッと目を見開いた。


 まだ会って間もないのに。

 いや、もしかしたら6年前の事件を覚えているからかもしれない。

 すぐに平静を取り戻し、冷静な目で彼女を見つめていると、その彼女の手に持っていた物を見て、また新は驚愕する。


「これ、何かわかるよね?」


 持っていたのは病院から貰った処方箋だった。

 名前欄には『灰枝新』と自分の名前が書かれていた。

 進藤才がなぜそれを持っているのか。


 どっかで落としたのか? まさか自分の家に侵入したんじゃないだろうな?


 色々と困惑している新の様子をつとめて冷静に見て、


「何か勘違いしているようだけど、私はあなたの家なんて知らない。

 ただ新くんも同じような袋を持っているんじゃない?」


 けれどここに名前が書いていないものを、と才は処方箋の氏名欄を指でなぞった。


 その瞬間、新は大方の事情を察し、小さく「あ……!」と言葉を洩らした。

 その間の抜けた声を聞いて、才はため息を吐く。


「やっぱりか。どうやら私が持っていた薬と新くんの薬が入れ替わってしまったようね」


「……そうみたいですね」


「急いでいたとはいえ、まさか間違えるなんて。

 私もうかつだったわ。

 それで新くん。

 私の薬、まだ新くんのお家にあるかしら?」


 おそらく返してほしいのだろう。

 才も何かしらの病気を抱えているのだろうか。

 見た感じ元気そうに見えるが。


 いや、人は見かけによらない。

 案外重大な病を患っているのかもしれない。


 けれど新は首を横に振る。


「ありません……」


 残念ながら才の薬はもう家にはない。


「そう……もしかして捨てちゃった?」


「いえ。飲みました……全部」


「全部!?」


 今まで冷静だった才が目を丸くして悲鳴を上げる。才は慌てたように新の胸ぐらを掴むと、


「それは本当!?

 悪いけど嘘はつかないでね。

 私の仲間が新くんの家に向かっている。

 嘘はすぐにバレると思いなさい」


(仲間……? 向かってるって?

 さっき知らないって……あ、俺の鍵や財布からか……?)


 そう考えてはいるが、実のところ新の思考は混乱を極めている。

 近づいた才の方からなぜか良い臭いが漂ってきて、頭がクラクラとなり思考を妨害している。

 なんとか意識を保って、新は辛うじて口を開く。


「ほ、本当で……す。全部、飲んじゃい、ました」


「なんてこと」


 バッと才は手を離し、新から距離を置いた。


「一匹でも適応しなければ死ぬのに……それを全て……?」


 才はそう呟き狼狽する。

 内容はよくわからないが無理もない。

 処方された薬以外を飲んだんだ。

 一錠ならまだしも一気に投与すれば、最悪命にかかわる重大な問題だ。

 正常な判断が出来ていなかったとはいえ、さすがに命知らずの行為だった。


「まぁいいわ」


 才は未だ冷や汗を垂らしてはいるが、冷静さを取り戻したようだ。

 新の方を見ると、


「それじゃあ検査するから一緒に――」


 その瞬間。倉庫の壁から激しい破壊音が鳴り響いた。

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