第4話 摂取3

 スマートフォンのアラーム音がけたたましく鳴り響いた。

 いつも起きる時間になってしまった。


 この時間まで安眠できなかった。

 それどころかベッドに潜り込むことすら叶わなかった。


 自分の血が広がった床にうつ伏せになったまま、一晩過ぎてしまった。

 机には飲み干した薬の空シートにゼリー飲料の空袋。

 腹が減ってどうしようもなくて本能のままに貪り続けた結果だ。


 一晩明けて胃の中で暴れ回る感覚はなくなったが、腹の虫は未だ鳴き続けている。


 やはり薬が悪かったのか。

 いや、6年間ずっとお世話になっていた病院だ。


 これまで一回もこんな風に苦しんだことはない。

 病院から処方された薬に非はないはずだ。


「と、にかく……」


 と新は力を振り絞って起き上がった。


 血の付いた床に頬が密着していたからか、ベリベリと血が剥がれる感覚がある。

 ゆっくりと立ち上がり、残った血を腕で拭うと、


(このままだと空腹で死んでしまう)


 ふらふらとした身体で外に出た。


 重度の飢餓状態。

 意識がもやもやとする。

 外を出歩くことすら危険かもしれない。

 だが、もしかしたら、と期待しているのもある。


「大丈夫だ。そんなに遠くには行かないんだから」


 新は自分に言い聞かせるようにそう呟く。

 ザッザッとすり足をしつつ、時折ふらふらになりながらもなんとかゆっくりと歩を進めた。




 着いた先は近くのコンビニだった。

 朝方だからかまるっきり人の姿がない。

 目立つことを極力嫌う新にとって、この状況は運が良い。


 コンビニに入ると、無人レジを利用して早々に買い物を済ませ、コンビニの裏側へ。

 辺りをきょろきょろと見渡して誰もいないことを確認してから、新は袋からおにぎりを取り出した。


 6年間まともに買ったことがない。

 6年振りだから少し戸惑ったが、何とか包装を外すことができた。


「ハァ……ハァ……」


 動悸がしてくる。

 おかゆすら食べられなかった自分だ。

 おにぎりなんてハードルが高すぎる。

 けれどこの飢餓状態ならもしかしたら。淡い期待もあり意を決すると、新はおにぎりをかぶりつく。


 海苔のパリッという音とその中から感じるご飯粒の柔らかさ。

 おかゆやゼリー飲料とは全く違う食べ物としての食感に感動する。



 ――だが。



「……ウッ! ウェェェェ」


 フラッシュバックは容赦がない。

 あの時の様子が頭の中を駆け巡り、おにぎりが生臭い血を浴びせたような味に様変わりする。

 地面に転がるおにぎりと胃酸。喉に込み上げてくる不快感。


「クソ……ダメなのか」


 永遠ともいえるほどの重度の飢餓状態が続いているのに、おにぎりすらまともに食べられない。

 ゼリー飲料を飲んでも腹が満たされる感が全くない。


 新は立ち上がるとフラフラと道へと出た。

 昨日から体力を削がれ続けた。

 寝不足と空腹。

 更には熱。


 最後の望みすら叶わなかった。


(もう俺は死ぬのか……?)


 だったら早くとどめを刺してほしい。

 最期にこんな苦しめられるなんて。


 6年前から地獄の日々。


 地獄を生き続け、地獄に殺される。

 最期くらい楽をさせてくれ。


(あ……足が……)


 もはや体力は残っていなかった。

 新は道端で膝が崩れ、音もなく倒れる。

 起き上がれる気力すら残されていない。


(母さん……父さん……姉ちゃん……)


 意識の奥で浮かび上がるのはかつて幸せだった時の笑顔たち。

 だが、もはやこの地獄にちじょうには存在しない。


(……もう意識が……)


 急激な眠気。

 思考が停止する。

 瞼を開け続ける力もなく。

 新はそのまま意識を手離した――。


「……やっと見つけた」


 そういう声が前からしたが、すでに新の耳には届かなかった。

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