第5話 一番悪いところ

 この章までに語ったように、テーマの書籍だけでなく複数の資料(軽くあたれる範囲の話ですが)にあたった上でこの書籍を総評するのならば、


 小山田圭吾氏に寄り添いすぎ、被害者性を強調しすぎ、深く掘れてもいない。


 と結論せざるを得ません。

 確かに現在の小山田圭吾氏は善性と才能に溢れて魅力のある人物なんだろうとは思います。

 フリーの社会人として悪評があるにも関わらず仕事が途絶えず、周囲から信頼されてもいるのでしょう。


 しかし、私は事件の詳細を知る前よりも、よく知った後の方が小山田圭吾氏の所業は酷いと感じてしまいました。

 複数の証言と本人のインタビューや描かれる性格からすると少年時代の深刻な「いじめ」というのはなかったのだと言っていいでしょう。


 ですが、


 小山田圭吾氏の一番非道な行為は、沢田くん(小山田氏の言うところの「友達」)との被害も加害もあやふやなふわふわとしたファンのような友人のような関係性を大人になった時に「いじめ」と確定させて世に出した点です。

 友人だと思っていた人間とのことを「いじめの被害者と加害者として対談してくれ」と第三者に言われた沢田くんの心境を想像すると胸が詰まります。

 息子といい友達だと思っていた沢田くんの両親はどれだけ悲しかったのでしょう?


 それはバックドロップをするとか、ガムテープでぐるぐる巻きにするとか、ウンコを食べさせるとか、彼が実際に行わなかったであろう身体的いじめよりも、ずっとずっとひどいことだと思います。


 小山田圭吾氏は90年代サブカルに傾倒し、自らを露悪的に見せるセルフブランディングのために友人を利用し元いじめっ子のアーティストというペルソナを被りました。

 そして、それが時代にそぐわなくなると今度はそのペルソナを脱いで「ネット炎上の被害者」というペルソナを被ろうとしている、私にはそうとしか見えません。


 小山田圭吾氏は「直接謝罪をしたい」と謝罪文に書いていますが、それが実現した節はありません(多分、何かしらの理由があるのでしょうが)。


 小山田圭吾氏は沢田くんを友人と呼びますが、それは多分、もうずっとずっと前、1994年に「いじめ紀行」を発表した時に壊れてしまったであろう関係性なんでしょう。

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