第3話 感じた疑問点

 この事件の面白いところは登場人物が小山田圭吾氏しかいない点です。

 いじめのことを話しはじめたのは小山田圭吾氏で、

 実際には直接いじめをしていなかったと否定したのも小山田圭吾氏なんです。


 この書籍において周囲の同級生の話も出てきますが、もはや30年以上前の話で「記憶がはっきりしないけど小山田はいじめの加害者ではないと断言した」となんとも微妙な物言い。

 加えて、伝説となった「クイックジャパン第3号 村上清のいじめ紀行」で名指しされたいじめ被害者の2人と途中まで消息がわかったいじめ加害者にも筆者は行き着いていないのです。


 だから、詳細な当時のストーリーは小山田圭吾氏の過去の記事と現在のインタビューに寄るしかないんです。

 その記事の元となったインタビューの音源は残っておらず、どれだけ編集者の手が入ってしまったのかもわからない。


 つまり、この書籍において過去の真実は「雑誌記事」というテキストはあるものの、どこまでが本当になのかもはかなり微妙なモノとして定義されるわけです。(むしろフィクションより)


 必然、現在の生身で接する「小山田圭吾」という人物に寄り添うわけです。


 そうすると、あら不思議。

 読者の目に彼はとてもイノセントに映ります。

 筆者の目から見た善性に溢れた繊細な人間・小山田圭吾像が描写されていくわけですから。

 過去のテキストの否定と生身の善性の人間。

 弁明にはうってつけですが、私からすると客観性に欠けている、筆者が小山田圭吾氏というアーティストの言動、行動を全て善意に受け取ってしまっている、つまり「小山田圭吾氏の善性に呑まれている」ように思えます。


 そしてなにより「ロッキンオンジャパン 94年1月号小山田圭吾インタビュー記事」という点の重きを置きすぎていて、もう一つの論点である「クイックジャパン第3号 村上清のいじめ紀行 小山田圭吾の巻」の方がサラッと流されすぎという問題点があります。

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