第15話 秘密の詩姫衆 曼珠沙華

 家に帰る途中でも、桜のことが気がかりであった。じいちゃんが死んで、落ち込んでいる咲依ちゃんを、一緒に連れ回すことは避けたかった。


 今はとにかく、咲依ちゃんを大吾さんに託し、保護してもらえるようにお願いしてみよう。



「おお、狐凪じゃねぇか!」


 大通りを歩いていると、八百屋の勝彦さんが声をかけてきた。


「今日はまた、かわいい子を連れてるじゃないか。彼女か?若いっていいな……」


 勝彦さんの冗談に、僕は驚き顔を赤らめて否定した。咲依ちゃんは、ちょっとだけ嬉しいそうな雰囲気に浸っていた。


「そんなんじゃありません。この子は僕の妹だから、あまりからかわないでくださいよ……痛っ!」 


 いきなり咲依ちゃんが、ムスッとした顔で背中を抓ってきた。なにも言わずに勝彦さんに、愛想笑いとお辞儀をしてみせた。


「わりぃわりぃ!ただの冗談だ!」


 どう考えても冗談に聞こえなかった。それを聞いた咲依ちゃんが、明るい笑顔で笑っていた。僕もついつられて、笑顔になっていた。


 やっぱりあの違和感は、気のせいだったのだろうか?いつものように僕のことを思い気遣ってくれる、おしゃまな咲依ちゃんだ!


「それよりも、殲獄堂の娘は、どうなった?もう諦めたのか?」


「…………」

 僕は、無言のまま首を横に振った。それを見ていた咲依ちゃんが、不機嫌そうな顔に変わっていた。僕は、それに気づいてあげられなかった。


「悪いことは言わん。貯吾朗だけは、ちょっかいを出すのは辞めておけ!」

「あの団長さんと、お知り会いですか?」

「ん?あぁ……まぁな!」  


 勝彦さんは、急にバツが悪くなり、野菜の品出しを始めた。それでもなにかを思い出したように、手を停め、過去の黒歴史を話し始めた。


「あいつは……昔、うちの店の前で、肉屋を営んでいた。売れ行きは、それほどでもなかったが、互いにバカな喧嘩をしながら、楽しくやっていたんだ。しかしある時、あいつがやってきたんだ」


「あいつ?」

「あぁ、東雲 暁闇という男だ。今は博覧会の運営責任者をやってる奴だ!」

「…………」


 東雲 暁闇の名を聞いた咲依ちゃんは、その名前に恐怖して怯えて、僕の後ろに隠れた。


「どういう成り行きかは知らないが、貯吾朗をそそのかしてサーカス団を作らせた。サーカス団の興行は徐々に軌道に乗って、貯吾朗の羽振りもよくなっていった。しかし、それは表の顔は見せ掛けで、裏では違法な売買を始めていた。妖を始め、人身売買までも取引が行われているらしい」 


 その言葉に、咲依ちゃんの表情が一変した。顔色は青ざめ、動揺で震えていた。咲依ちゃんは言葉に詰まり、胸が痛むほどの苦しみを感じていた。


 そんな彼女に僕は"大丈夫だよ、心配ないよ"と優しく手を握ってあげた。


「ごめん、ごめん!お嬢ちゃんには、少し怖い話だったかなぁ?」


「……大丈夫、です」 

 咲依ちゃんは、にっこりと微笑んでみせた。その微笑みに、勝彦さんの心も温かくなるのを感じていた。


 ◇ ◇ ◇


 その頃貯吾朗は、妖魔博覧会メインステージに来ていた。オープンニングセレモニーで、こばとが歌う演目に、桜を組み込まれることになってしまったからだ。


 彼は、桜のリハーサルチェックのため、舞台袖に姿を現していた。


ハックション……

 貯吾朗は鼻水をすすって、周りを見渡した。そしてハンカチを使って鼻水をかんだ。


「誰じゃ、ワシのイケメンぶりに焼きもちを焼いておるやつは?」 


「貯吾朗さん、それはただの風邪ですよ」


 ゆっくりとした足取りで歩を進める彼は、ハンカチを取り出し、貯吾朗菌でも払い除けるような仕草を取ってみせた。


「なんじゃと……」 

 貯吾朗が、その者をギロりと睨みつけたが、すぐに態度を豹変して、ゴマをすり始めた。


「これはこれは東雲様、今日はどのようなご要件で?」


 そこに現れた者とは、東雲 暁闇であった。彼もまた運営責任者として、リハーサルの視察にやってきていた。


「そうですね……彼女を起用したのは、この私ですから、こばとさんとの息が合っているのかどうか、確認しておかねばと思いましてね。ですがまだ、こばとさんは、来ていないようですね」


 計画当初は、こばとちゃん一人の単独ライブを企画していたが、桜が東雲の目に止まり、急遽ステージに上がることとなった。そのアレンジを含めたリハーサルを、これから行う予定となっていた。  


「はい、あの娘、人気があるからと、調子に乗りおって……」


『これより、こばとさんが入りまーす』

 アシスタントディレクターが、こばとちゃんを拍手で招き入れた。桜も同様に拍手をして出迎え、挨拶と打ち合わせがようやく始まった。


「それじゃ、一回合わせてみようか」

 舞台に置かれたスピーカーからリズミカルな演奏が流れ、リハーサルは始まった。


 二人の美しい歌声と共に、壮大なハーモニーの流れが生まれる。彼女らは息を合わせ、心を一つにして音楽を奏でていた。その演奏は聴衆を魅了し、彼らを虜にしていった。


「いやぁ〜あの子は、実にいい!やはり私が思っていた以上の存在ですね」 


 東雲は、ステージ上の二人と言うよりも、桜だけを眼中に置き、嫌らしい目で見ていた。


「はぁ……ありがとうございます」

 貯吾朗は、そんな東雲の態度を、妬ましく思っていたが、じっと耐え忍んでいた。 


「それは、そうと……例の物は、既に運び込んでおきましたよ。あとはしっかりお願いしますね」


「はぁ……任せておいてください。この貯吾朗、必ずや、お役に立ってみせます」


「それは心強いですね。期待していますよ」


 彼は、貯吾朗の肩に手を添え、労いの言葉をかけた。その間、彼はにこやかな表情をしていたが、冷たい威圧感が、貯吾朗の心を苦しめ続けていた。


「はぃ……」

「そうそう、これを渡すのを忘れていました」


 東雲は、ポケットから取り出した小瓶を、貯吾朗に手渡した。小瓶には、深い緑色の液体と、どす黒い浮遊物が浮いており、いかにも怪しげな品物であった。


「これは?」

「たいした薬ではありません。ほんの少しだけ、あなたに力を授ける薬です。気が向いたら飲んでみてください」 


 貯吾朗は、ゴクりと唾を飲み込みながら、震える手で受け取った。


――こんな気持ちの悪いもの、飲めるはずがなかろうに……


「どうかしましたか?顔色が冴えませんね」

「いえ……大丈夫です。ありがとうございます」

「いえいえ。お体は大切にしてください。それでは後のことは、お任せしますね」


 東雲が手を振って、その場から消え去るまで、貯吾朗は頭を下げ続けていた。それはまるで嵐が過ぎ去るのを、待つような気分であった。


 彼が消え去った後も、手の震えは収まらなかった。彼は、大きな深呼吸をして、ようやく収まりをみせた。



「ちょっとあんた!やる気あるの?」


 今度は、こばとちゃんの怒りが爆発した。一瞬にして、その場にいたスタッフ全員が凍りついた。


「あんた、この歌が、なんなのかわかってるの?」

「…………」


 桜には、こばとちゃんが言った言葉の意味が、理解出来ずに戸惑っていた。 


「この曲はね。切ない片思いの曲なのよ。なのにあんたは全然わかってない。人をバカにするもの、ほどほどにしておきなさいよね」



 こばとちゃんの説教が絶え間なく続く中、桜は耳を塞ぎ、子供のように逃げ回っていた。


――うちの歌は人殺しの詩……そんな詩をステージなんかで歌うことなんて……うちには、できない。


「あの子、いったい……なんなの?一旦休憩にするわよ。いいわね」


 こばとちゃんは機嫌を損ね、ステージを降りた。そして、マネージャーの爺やに、当り散らして会場を出て行った。


――母上様、うちはどうすれば、よろしいでしょうか?教えてください。


 桜は大空を仰ぎ見た。そこには一羽のカラスが弧を描いて飛んでおり、大空高く舞い上がっていった。


 桜は、古い過去の記憶を思い返していた。その時突然、幼き日の母上様の声が聞こえてきた。 


『さく…ら、桜…あなたは何をしているのですか?』

「母上……様?」



 それは今から十四年前のこと、桜がまだ三歳という年端もゆかぬ年頃ではあった頃の話である。 


「えぃ!やぁあ……」

カン、カッ……カンカッ……


 本殿の庭先から剣術の稽古の音がしていた。それは世話係を命じられていた烏天狗と桜の姉、八千代が訓練をしている最中のことであった。 


「もう終わりですか?姫様!」

「えぇい……まだ、まだ……」 


 厳しい訓練にも関わらず、八千代は微笑み楽しんでいるように見えた。烏天狗も、彼女に呼応して、さらに激しい訓練を続けていた。


「その意気ですぞ。姫様ッ!」

カン、カッ……カンカッ……


「桜…」

「母上様」


桜の母、八咫王妃が娘の稽古を拝見にやってきた。


「桜、あなたは何をしているのですか?」

「はい、姉上様の稽古を拝見しておりました」


 嬉しそうに答える桜を、八咫王妃は不服そうな面持ちで眺めていた。


「そうですか……ただ見ていただけなのですか?」


 幼い桜には、八咫王妃が何をいいたいのか分からず首を傾げた。八咫王妃は、桜の横にゆっくりと座り、隠密八咫烏衆の何たるかを、厳しく語り始めた。


「あなたは、美しくも気高い八咫王の娘であり、詩姫なのです。姉上に勝ってもらいたい気持ちがあるのなら、それを詩に込めて歌いなさい。そのうち、あなたも戦場に赴く時が来るでしょう。その時は戦を勝利に導びく詩姫となって詩いなさい」


「……はい、母上様!」


 隠密八咫烏衆とは、八咫烏の民は、天照大神から勅命を受けた隠密暗殺集団であった。

天照大神に逆らう逆賊や無謀者を、闇夜に紛れて討ち滅ぼす清掃の任を命じられていた。


 桜もまた隠密八咫烏衆 雅の隊 曼珠沙華まんじゅしゃげに所属する詩姫の一員として、詩の力を使い戦に赴く一人の戦人いくさびとの運命を担っていた。 


 まだ幼かった彼女には、その意味がよくわかっていなかった。だが、そのようなことは王妃には、関係なく、ただ躾の一環としてさとしていた。


 桜は八咫王妃の言葉を信じ、疑問を持つことなど有り得なかった。桜は八咫王妃の教えに従い、八咫烏の郷のために、桜は詩い続けてきたのであった。



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