第12話 もう一人の歌姫(前編)

 僕は、咲依ちゃんを探すため、姿を消した会場近くから、捜索を始めることにした。


 会場の横には、搬入に使われる港があり、多くの貨物船が接岸されていた。朝の港は、冷たい朝霧が不気味な印象を与えていた。その霧の中で、ぼんやりと海を見つめる少女がいた。


 一瞬、咲依ちゃんかと思い駆け寄ったが、そうではなかった。その少女は黒ふちの大きな眼鏡をかけ、クロッシュの帽子を深々と被り、着ている服装も今の流行りものを着ていた。しかしどこか様子がおかしい。


 少女の横には、白い紙を挟んだギターケースが、置かれてあった。しかも真剣に思い詰めた目で、暗く深い海を眺めている。


「ヤバい、あの子、海に飛び込む気なのか!」


 僕は慌てて少女に近づき、身投げを防せごうと近寄った。


「早まっちゃ、ダメだよ!」

「きゃぁぁぁ……」 


 少女は驚いた顔で、振り向き目が合った瞬間、身震いをして悲鳴を上げた。その悲鳴とと共に僕は、ねじ伏せられ、身動きが取れなくなった。


「痛てっ……」 

「なにしてくれちゃってるのよ。あんたは!……痴漢?それとも変態?」


「違うよ、僕はただ、きみが海へ身投げするんじゃないかって思って……」

「はぁ?なに意味のわかんない言い訳してんのよ」


 少女の苛立ちから、腕が僕の首筋に回され、ギリギリと締めあげられてゆく。


「なんで私が、身投げしなきゃいけないのよ……本当のことを言いなさい。言わないと、お姉様直伝の護身術で絞め殺すわよ」 


――もう締め殺されそうなんですけど……息が出来ない。苦しい……


 意識が遠のいて、三途の川のせせらぎと共に、美しい歌声が聞こえてきた。あぁ、ここが極楽浄土というところなのか?

 


「えっ!なに……歌?お姉様……?」


 その瞬間、辺りを見渡す少女がいた。しかしその歌声の主が、お姉様ではないことに気づくと、急に落胆した悲しい表情へと変わっていた。


 落胆と共に、締めつけていた力が緩み、僕はようやく解放されることとなった。


 呼吸困難で乱れた息を整えるため、深呼吸をした。そして僕も少女と共に、その歌声に耳を傾けることにした。


 少女は歌を聞きながら、涙を流していた。僕は、それを見て胸が締め付けられる思いがした。そこで彼女に声をかけてみることにした。


「あの歌声は心に響くよね。何か悲しいことがあったの?」


 すると少女が突然僕の頬を叩いた。僕は驚きと共に、なぜ叩かれたのか理解できずに、真っ赤な手形に腫れ上がった頬を撫でていた。


「うるさいわね。あんたに関係ないでしょう」


 少女は、僕の言葉に少し動揺しているように感じた。そして僕の汚れた羽織をチラリと見た。少女は悪びれた様子で、手をそっと差し出してきた。


「……その服、破れてるじゃない。早く脱ぎなさい……直してあげるから」

「えっ!あっ、でも……」


 どうやら先程、投げつけられた時に、破けたようであった。


「いいから早く、よこしなさいよ!」


 少女は、命令口調な態度で、指示を出した。僕は戸惑いながらも従うことにした。


 少女は微笑んで受け取った。そして鞄から裁縫道具を取り出し、器用に縫い始めた。


「ねぇ、キミは歌が好きなの?さっきの歌を聴いてるように見えたから……」

「……はァ?」 


 汚らわしいものを見るかのような視線が、僕のピュアは心を鋭く突き刺してゆく。


「なに勘違いしてんのよ。バッカじゃないの。そんなんじゃないわよ……」

 少女の手が急に止まり、恥ずかしそうな表情で、ぽつりと答えた。


「お姉様かと……思ったのよ!」

「お姉…様?」

「うるっさいわね!あんたには、関係のない話よ」


 しまった!なにかへんなこと聞いたようで、逆に怒らせてしまったようだ。どうしょう……


「………と言いたいところだけど、あんたにはいろいろと迷惑かけたから、教えてあげるわよ」


 その表情はさっきまでの荒々しい感情のものとは違かった。悲しげで愛おしささえも感じられた。


「詳しく言えないんだけど……私は、お姉様を探しているの……」

「そうなんだ……」


 なんか複雑な事情でもあるのだろう。


「ねぇ!」

「どうしたの?」


 少女はいじらしい表情で、こちらを上目遣いの眼差しで見つめていた。


「こういう時って、なにか聞かなきゃいけないことってあるでしょ!」


「……えっ…と」


 こういう時って、どうすればいいんだ?あれやこれやと悩んでいると、少女の怒りが爆発した。


「もぅ!じれったいわねぇ!こういう時は、困ったことがあるなら僕が相談に乗るよ!とかなんとかあるでしょう……」


――女心ってややこしいなあ......


 僕は、複雑な思いを苦笑いで誤魔化していると、少女は再び淡々と話し始めた。


「……そうあれは、五年前のことだったわ。それまではお姉様と二人でデュオを組んで歌っていたの。それはそれで充実した日々だったわ。でもそんなある日のこと、お姉様が突然、姿をくらましたの。手紙もなにも残さずにね。そんな時、お姉様をこの街で見かけたという情報を聞きつけたのよ」


 詳しくは言えない身の上話を、淡々と最後まで話して聞かせてくれた。


「そうなんだ。お姉様を探すために来たんだね?」


「そう……でもどこを探しても、すれ違うばかりで会えないの。一体どこに居るのか検討もつかないわ……」


 少女は、また悲しいそうな顔で、うつむき涙をこぼした。少女の悲しみを癒す方法が、分からなかった。


「だから私、決めたの。新しい歌を作って、歌えば必ずどこかで聞いてくれるんじゃないかって、そしたら、また帰って来てくれるはず……よね。私は、そう信じているの……おかしいでしょ?」


 そんな言葉を涙目で語る少女に、僕はやさしく微笑みながら首を横に振り、彼女に優しく答えた。


「そんなことないよ.......大丈夫!その気持ちは、必ずお姉様に届くよ」


「あんた案外、いいこと言うじゃない!」


 僕が、照れくささそうに笑うと、少女も恥ずかしそうな顔を隠す素振りを見せた。 


「なに照れてるのよ!逆に、こっちが恥ずかしくなるじゃない……」

「そうだね。ごめんね」


「…………はい、終わったわよ!」

 少女は、繕い終わった羽織を、僕の顔に投げつけて返してきた。その羽織は、とても上手に繕われていた。試しに着てみると、とても動きやすく着心地もよかった。


「とっても着心地いいよ。ありがとう」

「当然でしょ!この私を誰だと思ってるのよ!」


 ドヤ顔で自慢げで、ふんぞり返って、僕の背中をバシッと叩いていた。


――いや、誰と言われても……今日、ここで初めて会ったばかりだし…………



 そうだ!その時ふとひらめいた妙案を、試してみることにした。岸壁に設置された船を繋留けいりゅうするための柱を、観客席に見立て腰掛けた。


「そうだ!もし、よかったら僕に、その歌を聴かせてよ!」


「ハァ?なんで、あんたのために歌わなくちゃ、行けないのよ!……でも、まぁ、あんたがどうしても聴きたいって言うなら、特別に聴かせてあげてもいいわよ」


「聴きたいな…お願いします」

 僕は手拍子を打ち、期待に胸を膨らませて、少女の歌を盛り上げて出迎えた。


「仕方ないわね…」 


 彼女も、満更ではない様子であった。ギターケースで飛ばないように、挟んでいた紙を取り出した。その紙はどうやら遺書ではなく、楽譜のようだった。



 少女は、照れくさそうに微笑むと、新曲の楽譜を見ながら、ゆっくりと歌い始めた。その声はまるで天使のように美しく響いていた。


 切なくも淡い恋心が刻まれた音色は、僕の心を感動させていた。少女がどれほど、お姉様に恋焦がれていたのかが、わかる曲に仕上がっていた。


 僕も調子に乗り、ギターをケースから取り出し、思い切って演奏してみることにした。


 初めてのギター演奏だったにも関わらず、不思議と心地良い旋律が響かせていた。少女も、その音色に感動し、僕の演奏に合わせて歌ってくれた。


 二人の間には、特別な空気が流れ、互いの心が通じ合っているように、息ぴったりの旋律を奏でていた。


 その曲を聞くために、多くの観衆が集まり演奏に耳を傾けてくれていた。


 その光景には、僕も驚きを隠せなかった。僕の音楽が人々の心に響き、感動を呼び起こしていることを知った。


 しかし少女に取っては、当然のことであるかのような、振る舞いで観客を魅了していた。


 さらにアンコールに応え、次の曲を歌い始める。まさに歌姫といった感じが漂っていた。


 この曲なら、あなたも聞いたでしょ!と歌い出したその曲は、さっき聞こえた桜の詩だった。


 ◇ ◇ ◇


 僕達が、歌っていた曲は、囚われていた桜の耳にも届いていた。桜は詩うのを辞めて、聞こえてくる歌声に耳を澄ませて聴いていた。


――聴こえる。うちの詩やぁ!……狐凪?じゃない、母上様?……でも、ない誰?誰なの……すっごく気になる。楽しそうな歌声に、桜の心も弾ませていた。

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