第10話 積雪の雷鬼
粉雪が、ちらちらと舞い散る稲荷神社に、二人はやってきた。老朽化した神社には灯りもなく、あたりは真っ暗で、なにも見えなかった。
彼女は、僕の温かい手に触れ、初めての感覚に心が揺れ動いた。寒さが二人の距離を近づける。彼女は、冷たい印象に思われがちだったが、そのあどけなさに惹かれていった。
二人は、神社の境内を一緒に歩きながらお互いのことを、話し合う時間を持とうとした。
「こんな場所しか隠れる場所がないんだ。ごめんね」
「ううん、狐凪と一緒なら、どこでも平気……」
「この辺りは夜になると、鬼が出るらしいけど」
「えっ、うそ!ここ鬼が出んの?」
桜は驚き怯えていた。僕は、彼女を安心させようと寄り添い、にっこりと微笑んでみせた。
「多分、冗談だと思うけど……出た時は、僕が護るから大丈夫だよ」
「そうなん?なら……ええんやけど。おおきに、狐凪」
僕達は、神社の御堂の中に入った。僕達は、ここに身を潜め、夜が明けるのを待った。室内とはいえ、ひんやりとした空気が、二人の肌をなでた。
彼女の柔らかな髪がそよ風に揺れた。その姿は、まるで天使のように見えた。
彼女は、今朝のお渡りで疲れたのか、僕に体を預け、安心した寝顔を見せてくれた。
その穏やかな寝顔を、僕は愛おしく感じていた。火照った顔を冷やすために、外に出ることに決めた。
「あんな天使のような寝顔を見せられたら、落ち着いて傍にいられないよ」
そんな安らかな時間さえも、僕達に与えてはくれなかった。
夜空を見上げると、雲間から三日月が顔をのぞかせた。月明かりが薄暗い参道の石畳を照らし出し、幻想的な雰囲気を醸し出していた。
僕は一人、境内を歩くことにした。すると怪しい人影が、月明かりに浮かび上がった。同時に嫌な重苦しい空気を感じ、気分が悪くなった。
「うっ!なんだ、この気持ち悪さは……」
ズドーン!
稲妻が、境内の木を真っ二つに引き裂き、赤赤とした炎が、怪しい人影を照らし出した。そこに立っていたのは鬼であった!
頭に二つの角を持った鬼が、大きな大剣を肩に乗せ、余裕の笑を見せていた。
「なに?」
桜は、大きな音に驚いて目を覚ました。目の前に立つ鬼の姿に目を疑った。
「桜、危ない!早く隠れて……」
この鬼は、サーカス団の刺客なのか?それとも首飾りを狙って来た、追っ手の仲間なのか?どちらにせよ、敵であることに変わりはない。
「よそ見してんじゃねぇよ!」
間髪入れず、大剣を投げつけられた。僕の真横をすり抜け、頬から鮮血が流した。
大剣から発せられた稲妻は、大きな轟音と燃え盛る炎を巻き起こし、御堂と周りの木々にまで拡がってゆく。
「狐凪!大丈夫、なにがあったん?」
桜が慌てて僕のそばに駆け寄り、僕を抱きしめ、心配そうに見つめていた。どうやら桜は無事のようだ。
「あぁ…………」
鬼に、僕達は追い詰められ逃げ場をなくしていた。ここに仕掛けられていた罠は、お昼の戦闘で使い尽くされていた。
今の僕の手持ちの勾玉は、ひとつしか残されていない。それ以外の武器は、持ち合わせていない。さぁ、どうする。
せめて僕にも、あの追っ手が放っていた、黒い羽根の霊術が使えたなら、逃げる方法もあっただろうに……しかし無いものを強請っても、状況は変わらない。
ザクッザクッと雪を踏みしめながら、不気味な霊気を漂わせ、歩寄ってきた。
「ほほぉ、あれを見ても驚かぬか人間!面白い人間がいたものだ。よく見れば、妖に連れらておるのか?ククッ実に面白い、飼われておるのか?」
「飼われてなどいない!」
怒りに任せて、左腕を振り放った。指先から針のような細長い氷が、放たれる感覚を感じた。
一瞬鬼の表情が険しくなり、飛んでくる氷を掴み、砕き落とした。
「ほほぉ、こやつ霊術も使うのか?さらに面白い!」
無意識ではあったが、自分が放った氷の霊術!初めて放った僕自身が、一番驚いていた。あれは僕が放ったものなのか?僕も霊術が使えるんだ!
それは桜も同じように驚いていた。目をまんまるにして、僕のことを見ていた。
――少し変わった子やと思っとったけど、あの霊術は妖狐が、よく使う術……とすれば狐凪は、妖狐族の眷属なんか?
本来霊術とは、神族、妖族のみが扱うことの出来るもので、人族のように霊気が少ない種族は、使うことが出来なかった。
もし仮に人族が使おうとするならば、一番早い方法が、妖族の眷属になるという手法であった。
「あんたね!黙って聞いてれば、ぬけぬけと……うちは飼ってるんやない。懐かれてるだけやねん」
彼女にとって僕の存在は、ただの番犬くらいにしか思ってないのだろうか?その言葉が僕のピュアな心を凍りつかせた。
「それじゃぁ、僕はキミのなんなのさぁ……?」
桜は僕をじっと見つめたあと、顔を真っ赤に染めて微笑んだ!
「きっ、狐凪は、ずっと傍におって欲しい、大切な人や……よ」
僕は、その言葉のおかげで、心を凍りつかせていた氷が、すべて溶けてしまった。
「あはは……ここまで
鬼は、まだ動揺している僕に嫉妬しているのか、鋭い爪を突き刺してきた。しかし鬼の悲しそうな笑みが、僕の心に引っかかっていた。
僕は、桜を護りつつ、その爪を振り払った。払い除けた左手が、ビリビリと強力な静電気の痛みを走らせる。
「くぅ!」
桜を危険に晒す訳には行かない。そこで近くの木陰に避難させた。
その隙に鬼は、さっき投げた大剣を拾い上げ、それを使って細かく串刺しにしてきた。
参道に散らばる狛狐の破片を拾い、鬼の投げつけた。破片が大剣を持つ手に当たり、大剣を手放した。
「ほほぉ、面白いことをやるのぉ。人間!」
「人間、人間言うな、僕には狐凪って言う名前があるんだ」
「おぬし名持ちか?その娘に名付けをしてもらったのか?実に面白い!」
「僕の名前をバカにするなぁ!」
僕は持っていた勾玉を、怒りに任せて参道の石畳に投げて砕き割った。勾玉からは、霊式の魔法陣が発せられた。壁のように石畳が伸び上がり、鬼を封じ込めた。
「ふん!浅はかな技よのぉ!鬼と人間の格の違いを教えてやるわぁ」
そのような技など、鬼に通用するはずもなく、力の差を見せつけんと大剣を振り回して、粉々に打ち砕かれた。その勢いに任せて斬りかかってきた。
「なに!」
とっさに回避するも、剣圧から発する霊気が、頬を傷つけた。その時、桜が歌う詩『曼珠沙華』が聞こえてきた。鬼もその詩声に気を取られた。
「歌?」
狂詩曲『曼珠沙華』通常ならば桜が奏でる詩は、全ての能力を二倍に引き上げる効果があるが、この時だけはその数倍まで引き上げられていた。
これは凄い!体が、こんなに軽く感じるなんて、今までにはなかった感覚だ!
「今だ!」
その瞬間、鬼に体当たりで転ばせ、よろけるように膝まづかせた。大剣は、参道の上を滑るように転がってゆく。
「あの娘……歌を詩うのか?面白い!」
このような場面でも皮肉をいうか?僕は、転がっていた大剣を拾い上げた。そして大剣を、鬼の首元に突きつけた。
「これで終わりだ!」
「ハイハイ、あたいの負けさ、煮るなり、焼くなり好きにしろ……」
「なにが狙いだ!この首飾りか?桜本人か?」
鬼は、ゴクリと唾を飲み、観念したかのように語り出した。
「あんたが持つ、その首の宝石がとても綺麗だったんでね。頂こうと思ったのさ!」
雲の切れ間から月明かりが現れ、暗い参道を照らした。よく見ればその鬼は、女性の鬼であった。薄気味悪い笑みを浮かべて、こちらを睨みつけていた。
「おぃ鬼!おまえに、名はあるのか?」
「このあたいを鬼、呼ばわりするのかい?まぁ、仕方ないね!とっ……」
気を許していた僕達の足元に、複数の雷光のようなものがバァンと弾けた。鬼は音と爆煙に、身を隠して消えてしまった。
『おい人間、あたいの名は茨木童子ってんだ、よぉく覚えておくんだね!次会ったら、その宝石は頂くよ。それまで、あんたに命は預けておくよ。あばよ人間……』
「だから僕の名前は狐凪だって、いい加減覚えておくれよ」
今はいない茨木童子に大きく怒鳴りつけた。
「ねぇ!こんなの落ちてたけど、これって狐凪のものなん?」
桜が不意に出してきたものは、おみくじであった。そこには、凶の一文字が書かれていた。
「これ、僕のじゃないよ」
「それじゃぁ誰の?」
「さぁ……」
こんな古びた稲荷神社に、おみくじがあるはずもなく、風で飛ばされて来たものだろうと思うことにした。
そんなことも露知らず、茨木童子は逃げながら悔やんでいた。
『凶のおみくじは、落として無くすし、あんな妖族と人族のつがい相手に負けてバカにされるし、今日は最低、最悪な厄日だぁ~!』
凶
待ち人: 待ち人来ず、不倫の兆しあり、注意されたし……
金運: 人の持ち物を欲しがると災いが起きる恐れあり、注意されたし……
健康運: 不注意から大怪我に発展する恐れあり、注意されたし……
その夜、茨木童子が逃げ帰った方角の空では激しい豪雨と雷が鳴り響いていた。
◇ ◇ ◇
ホッとした一息ついていた頃、辺りには戦闘に使われた殺気に満ちた霊気が漂い、僕の気分がまた悪くなってきていた。……ううん。
「どうしたん?狐凪……」
「うっ、うえ~っ」
僕は、いきなり青白い顔をして吐き出した。
「こっ、狐凪!大丈夫?あかんわ!これ霊気酔いみたいやわぁ……」
「霊気酔い?」
霊気酔いとは、邪悪な殺意を持った霊気を浴びた場合に引き起こす、抵抗反応のような症状で、人族のような抵抗力の低い者達が起こす症状であった。
「大丈夫、少し休めば良くなるよ……」
ホッとしたのも束の間、真っ赤に照らすライトが向けられ、眩さに目を細めた。
「おい、お前達そこで何をしている?」
他のサーカス団のメンバーが、騒ぎを嗅ぎつけてやってきたのか?なんの策も講じていない現状では奴らに勝てるはずもない。もはや打てる手段は、なにも残されていなかった。
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